永住地購入(芝生墓地)
お寺の納骨堂から両親を出すために、市営墓地を購入した。寺は遠いし、毎月、届く通信文に寄付金振込用紙が入ってくる。父が急死したときお経を上げてもらうために、近所の東本願寺に頼んだら「檀家になるならいいですよ」と言われた。20年前だ。「頼みます」と言ったのが檀家との付き合いの始まりだ。寺にできた納骨堂を買えば、冬も雪のないところで父は休めると思った。中ぐらいの大きさで70万円払った。10年後、母も亡くなり、葬儀を頼み、生前、納骨堂は6人まで納められるので私に向かって「お前も入るんだね」と聞いてきたから「うん」とそのとき答えた。しかし、自分も老化して遠い納骨堂まで車の運転も危険だし、そこの住職の横柄さが嫌だった。知識人ぶるところが嫌いだった。
自治体には、集団墓所が多くあり、格安だ。親族も入れる(1体15000円)ので当初はそこにしようと思っていた。後はお寺から遺骨を出すときに払う礼金が幾らかだという悩みだ。しかし、この夏、集合墓地を訪ねてみたら、大きなトイレの真横に作られていた。お参りに来る人もたくさんいるから、トイレ需要を考えて横に置いたのか、どうも設計思想にデリカシーのなさを感じて「芝生墓地」にしようと考えた。お盆も終わり、お墓も静かになったので9月24日、墓地事務所を訪ねて、自由墓地4㎡を仮予約してきた。石材屋さんを訪ねて、石も選定し、値段も思ったほど高くはなくて、ほっとした。両親の入っている納骨堂の寺へ電話を入れたら。「ああそうですか、お待ちしてます」と時間予約。料金は要らないとのこと。いろんな人から寺によっては遺骨を出すときに、法外な値段を提示されるケースもあると聞いていた。住職が善人に見えてきた。都合のいい私である。子供たちが墓参りに来なくてもOKだから楽、来たければ場所だけ教えておけばいい。娘に電話すると「どうして私に相談しなかったの?」と言われたが、急死もあるから焼き場で焼いて、それをどこに置くの?どちらかが生きていればいいけれど、どちらも骨になったらどうするの?あなた方に迷惑をかけられないわと妻が話すと、娘もようやく納得した。
永住地購入の話であったが、生きるのも大変なら死んでからも大変だ。生前、父が私にお墓をそちらで買っておいてくれと電話があったが、貧乏サラリーマンで13万をその場で出せる懐具合でなかった。
坊主の孫。
亡くなってから後の事も心配は尽きませんね。私は未だに何もしていません。せいぜい息子や娘や孫たちの記憶に残るうちだけで後は忘れて貰って良いのではと思います。本州の田舎から仏壇を移す時には田舎でお坊さんにお経を上げて貰い、札幌の仏壇店で購入した小さな仏壇を同じ宗派のお坊さんを招いてお経を上げて魂を入れて貰いました。この小さな仏壇の中には沢山の親戚縁者や飼い猫たちまで居ます。毎朝炊き立てご飯を備えてそれぞれの名と顔を思い浮かべて、お経こそ読めないですが、手を合わせるのが仮にも坊主の孫の私の仕事です。田舎の墓には父母が入って居ますが、遠くて滅多にお詣りには行けません。孫達も札幌だけでなく既に東京の学校にも行って居て、滅多に帰って来ません。ですから、私は墓は作らない事にしています。少しキザですが、千の風に乗って何処にでも行こうと考えて居ます。
seto
私はこじんまりとしたお墓で周りは芝生で暖かそうです。誰もお参りにはこなくていいのですが、ようやく納骨堂から解放してあげれた喜びが大きいです。神も仏も信じない私で、死ねばゴミになる考え方に近いのですが、ここの地面ならいいだろうと判断しました。あす、骨壺取りに行き、お墓できるまで私の部屋に置いておきます。妻も私も永久に入る墓を買えてほっとしています。お墓仕舞をする人もいて、事務所から●区画●●番が空きましたと連絡を受けたが、大き過ぎてダメ。犬の骨もどこかに入れられたらいいなあと思いました。5年前は自然葬も考えました、樹木葬も。20万切る値段で海へ投棄する団体もありましたね。集合墓地である事件で、骨を投げたあと、やっぱり返してほしいと言ってくる人がいるらしい。それはできませんと言ってました。