制服効果。
制服効果という単語はあまり見慣れない熟語である。ある人が、その意味について語りだした。最近、駐車場や警備室・道路の違法駐車を取り締まる緑の制服を着たおじさんたちを見るにつけ全員ではないにしろ威張る男たちが多い気がするのだと。もともと制服には、他を威圧する効果があるのだと言ってしまえばそれまでだが、50代60代の男たちはみなさん、それなりの職場で働いて第二第三の職に就いていると思うのだが、どうも他人への気配りや物の言い方を知らない中年男の威張り癖が出ているようで気になる。制服を着ていなくても威張る奴は威張るのだとすれば私のブログテーマも終わりだが、中年の男たちのクレーマーと威張りん坊と私の中で重なるのはどうしたわけだ。縦社会で長い人生を過ごしてきた男たちにしてみれば、集団ではなく一人の仕事のところに立って、ひとり親方的な労働をしてみたい、そのためには他人から注意されない、それどころか注意する側に立てる快感はあるのかもしれない。さらに制服を貸与されて、誰が見ても何かを守るため(法律であったり、駐車場の規則であったり)に私は生きているという真面目さを絵にかいたような態度、他人へ不愉快さを与えることは二の次三の次。まずは私が気分よく仕事ができるのが最優先というわけだ。しかし、考えてみると、男の単調な色のスーツはもともと戦闘服が起源。セビロの語源もシビル・スーツなのかミスターセビロ氏が起源かわからないが、戦闘服だというのが紳士服の店長の話であった。官庁の会議や街中を歩く紺色のスーツ軍団も制服とみれば制服に近い。聞き耳を立てれば(趣味の悪い私)、その集団での各員のヒエラルキーもわかるから話し方って不思議なもの。注意したいものである。きょうのブログのテーマである制服効果って何?の結論は、制服を着ることによってその人が何かを守る、何かを隠す(劣等感や制服に他人の目がいくことで隠れること)効果があるということか!
坊主の孫。
何かを制する衣服ですね。所属先を明確にして規律を守らせ自覚を促すとともに、他人へ向けて身分を明確化するためでしょう。制服組とも言われますが、職種によっては虚勢を張ったり、他人を見下したりする者もいるでしょうが、中身の人格はいろいろでしょう。征服効果=虎の威を借る。でもあり、囚人服や職工のナッパ服などともなれば身分をもさらけ出す事にもなりますね。坊さんの袈裟なども見かけで身分や地位を表現していますし、軍服などでは襟章や勲章で立場を誇示していますね。中身の人格以前に制服そのものや装飾品等で事前に身分や立場を伝える事によって相手も接する態度をその場その場で対応させる効果狙いもあるでしょうね。悪い事をしていなくても警察官の制服を見て緊張したりしますから、良くも悪くもそれなりに制服効果はあるのでしょう。また一旦制服の経験をすれば、自分自身の中で居心地の良さに浸れて、いつまでも制服願望は続くのでしょう。裸の王様みたいに制服を脱いでも未だ着ている錯覚で当時のままの生活態度を見せるならば他人から見て異常に思えるでしょうね。
seto
制服は学生服以外、着たことはないのですが、相手に自分の仕事を伝える効果はあります。スーツを着ていても何をしている人かわかりませんから。ただ災害で出動する自衛隊の集団が来ると、住民はホッとするのでそういう効果も別な意味であります。制服を着る側の問題より、着せる側の問題で、人間をひと目で区別するために必要なアイテムなんでしょうね。『制服を脱いでもまだ着ている錯覚』とは言い得て妙です。退職しても肩書きを引きづってる(私も何度もそうなりかけたことあります)60代、多いですわ。
昔の少年。
どんな立場にいようと、他人様には敬語に近い言葉遣いや、幾ら後輩や立場が下の者に対して名前にはさん付けをした方が良いと思いますね。自分が如何に立派な職種についていたとしてもです。下剋上と言う言葉通り、立場などはいつ逆転するか判りません。ついこの前まで〇〇君と親しくしていた彼が突然!得意先のお偉いさんになったなどの経験上、それ以来僕はさん付けを心掛けています。軍隊超に「おい!〇〇!」とか言う方は気持ち良いのかも知れませんが、言われる側は内心「この馬鹿が!」と思っているかも知れません。随分昔に、誰か偉い人が「人の上に人を作らず、ひとの下に人を作らず」と言っていましたが、果たして現実はどうでしょう。他人とは制服や衣を脱いで接したいものですね。
seto
『さん』付けは賛成です。先輩や後輩でも。前職は社長もさん付けで呼んでました。自由な気風を謳歌してました。体育会系の人で呼び捨てをする人もいましたが、縦意識が強い人でしたが、責任感も何倍もありました。現在はカタカナの肩書き多くて、これ何?という世界で、フラットな会社になりつつあります。忘れてましたが医者の白い制服を見て、血圧が上がる人も多いと聞きます。いかがでしょうか?
ホランペッター。
制服は軍隊から生まれたのでしょうね。敵味方が判別できるように、そして指揮系統が識別できるように。学校の制服の場合は皆同じレベルに抑えるためでしょうが、今年中一に進学した我が家の双子の場合、姉のお下がりをと考えていたところ、何と今年から制服が変わりましたので新規購入してくださいとの事で思わぬ出費でした。制服メーカーは毎年変わった方が良いのでしょうが、父兄にはたまりません。これならいっそ小学生と同じく普段着で通学させて欲しいです。夏冬各2着にシャツ4着に学校名入りジャージーの上下と短パン各2着と学校指定のスポーツバッグなどなど10数万円でした。教科書代も高いですから大変です。各自有るもので十分。制服反対ですね。
seto
高校は自由服が何校かありますが、札幌市内で制服廃止の動き、欲しいですね。管理(監視)をし続ける窮屈さ、高校生や一般社会人との区別ですか。修学旅行(これもおかしな制度です)で迷子探し、スポーツ応援で一体感、(昔からこうだから今もこうする)世界です。親の出費、デカイです。運動メーカーもプロ野球チームのユニホームを『何回も何回もとっかえひっかえ色とデザイン変えて観客にプレゼントする企画』で売上げを作って、少子化対策をしてます。制服を逆手にとって商売というわけです。