イソップ物語。ザクロの木とリンゴの木とオリーブの木ほか。
イソップ物語・・ザクロの木とリンゴの木とオリーブの木とイバラ
ザクロの木とリンゴの木とオリ-ブの木が、だれの実がりっぱかといってけんかをしました。けんかがはげしくなったときに、そばにあった垣根のイバラが、それをきいてこういいました。「さあさあ、三人とも、けんかはやめようじゃありませんか。」こういうふううに、すぐれた人どうしが争うと、つまらない人がえらそうな顔をします。(イソップのお話 河野与一訳 岩波147p)
紀元前6世紀にも、実をつける木々が優れていて、実をつけないイバラはつまらない木という認識があったんですね。それはともかく、会議をしていて、必ず、みずからは対立の場面には立たず(矢面には出ず)、まあまあと言って、対立者の間をとるくらいの立ち位置で、美味しいところを取ってまとめに入って点数を稼ぐ人って、皆さんの周りにもいません?次は、「女とニワトリ」というお話。
ある女の飼っていたニワトリが、まいにちひとつずつたまごを生んでいました。女は、ニワトリにもっと餌をやれば、一日にたまごを二つずつ生むだろうとおもって、餌をたくさんやりました。ところが、ニワトリはふとってしまって、一日にいちどうまないこともあるようになりました。よくがふかくて、ものをたくさんほしがる人は、いまあるものまで、なくしてしまうものです。あいかわらず、イソップは欲張り人にマイナス点をつけていますね。
現代、イソップが蘇ったとしてこの話はどうなるのか、筆者はつくってみました。
ある女の飼っていたニワトリが、まいにちひとつずつたまごを生んでいました。女は、ニワトリにもっと餌をやれば、一日にたまごを二つずつうむだろうと思って、餌をたくさんやりました。ところが、ニワトリはふとってしまって、女は、近くのから揚げ屋さんに持っていくと大金持ちになりました。臨機応変に、ことに処するとお金持ちになるものです。
わざとくさいですね。最後に少しジーンとくるお話です。「バラとケイトウ」(同書138p)
バラのそばに生えていたケイトウが、バラにいいました。「あなたは、なんてみごとな花でしょう。神々からも、人間からもかわいがられていますね。あなたの美しい姿と、いい香りがうらやましいと思います。」するとバラはいいました。「いいえ、わたしは、すこしのあいだしか命がありません。だれも折らなくても散ってしまいます。ところがあなたは、いつも花が咲いて、そういうふうに若々しく生きているではありませんか。」わずかのあいだ、ぜいたくをするだけで、すぐに不幸なめにあったり、死んだりするよりも、質素にして長く生きてるほうがいいのです。
広告マン。
日本の民話に登場する欲張り爺さんの話にも似ていますね。鶴の恩返しや、猿蟹合戦なども子供に話聞かせるものでしたが、今では子供の方が作り話は信じない時代ですね。ネットの功罪でしょうか。
seto
現代に背景を借りて、日本昔話をマンガにすれば大ヒット間違いないです。舞台は家庭から企業の中へ。翻案できないでしょうか?
童話創作者。
昔話の裏(真実?)のお話として、例えば「桃太郎」では、流れてきた大きな桃をお婆さんが持ち帰ったとありますが、当時は人生50年とも言われていましたから、お爺さん、お婆さんと言えども年齢は30代後半から40代半ばくらいの子宝に恵まれなかったお二人だったのでは無いでしょうか。それに桃の実は昔から発情効果があると聞きますから、桃太郎は桃から生まれたのではなく、桃を食べたお爺さんとお婆さんの子供だったのでしょうね。鬼退治の美談も果たして?実は乱暴者たったとか?。また「浦島太郎」は亀を助けたのではなく、朝鮮からの漂流者を助けたお礼に朝鮮へ招待されたのでしょうね。乙姫様と思ったのは実は妓生だったのではないでしょうか。チマチョゴリ衣装はまるで天女見たいですからね。遊び過ぎて帰国を忘れて、戻った時には既にお爺さんになってしまっていたのでしょう。
seto
昔は短命でしたね。おじいさん、おばあさんが30代後半から40代半ばとすると、彼らが現代にタイムスリップしたらどんな感想を持つでしょう。桃が発情効果があるなんて初めて知りました。さっき9月末日で閉店するイトーヨーカドーで2個桃を買ってきました。大好物です。浦島太郎の竜宮城は朝鮮というのもあり得る話です。行き来が昔から緊密・頻繁でしたから。ドイツのグリム兄弟の物語も実は非常に残酷な話が多くて、中野京子さんが「怖い話」を書いてました。殺す・食べるの日常化ですが、どういうわけか日本に入ってくると文部省はこの血の部分を消して無害な物語にしているそうです。
広告マン。
以前、長年勤務していた会社が「日本むかしばなし」のTVアニメのプロデュースをしていたので懐かしいです。作詞家、脚本家、評論家、作家と肩書の多い、今は亡き川内康範氏のご機嫌取りも大変でしたが(彼が函館出身にも驚きましたが)。その後、中国のTVにも放映しましたが大人気でしたね。鉄腕アトムもその会社で手塚治虫氏を口説き落としてTV放映になったのですが、アニメの走りでしたね。昨今のアニメブーム、これほど加熱するとは?。当時会社では戦隊ものの放映も何本か手掛けていましたが、戦隊ヒーローものも川内氏が先駆者でしたね。未だにブームですね。
seto
万年社ですか?万の漢字は旧字でしたね、たしか。月光仮面とか少年ジェットも彼の作品ではなかったですか?怪傑ハリマ王も?不思議と筆者はテレビっ子ではありません。深夜ラジオは聞いてましたが・・。テレビは家族全員で鑑賞するという時代でしたから、思春期は一人になりたいものだから見なかったし、キスシーンやラブシーンが出てくると両親がもぞもぞはじめてチャンネル替えもありました。落ち着かない媒体でした。まんがもそんなに読まないし、私は何をしていたのでしょう。