大停電から1年。
2018年9月6日の胆振東部地震から1年経過して、我が家の暮らしの変化についての報告だ。
1)闇の夜を過ごして、当日、私の体にパニック障害が再発してしまい、闇を消すために歩道から自宅玄関まで10本の太陽電池照明を並べた。まるで空港の滑走路みたいだ。まだ増設する計画だ。
2)電池を山のように蓄えたが、電池にも寿命があるので随時補給しなければいけないと納得。
3)ガラケイとi-padを充電するため、車のタバコ点火口から充電する機器を購入した。
4)灯油を18リットル常時保管して、灯油ストーブ使用に備えた。
5)簡易コンロのガスボンベを予備に最低3本を切らさない。
6)懐中電灯を3本から5本に増やした。
7)近所の太陽電池パネルを屋根に乗せているご主人に、何かあれば明るい貴宅に10分でも15分でも滞在許可をもらった。
次は早急に手当てをしないといけない案件だ。これから寒い季節に入るから。
1)新しいラジオと簡易トイレの購入。
2)ガソリンを常時満タンにする習慣を。
3)ランプを購入するかどうか迷っている。
4)水と食料の備蓄が進んでいない。
5)何かあればどこかへ逃げる覚悟。道内か本州の親せき宅へ。まだ通知はしていない。飛行場やJRが稼働しないと動けない案件だ。
6)まきストーブが必要かもしれないと考えている。
次は発見というか教えてもらった。
1)ペットボトルに水を入れて、下から懐中電灯を照らすと、倍の明るさになる。
2)インスタントラーメンはじめカップ麺は大切。
3)寝るときは闇が怖いので目隠しをして寝る。
4)星空が素晴らしいと発見。
5)たくさんの知人から心配メールが来て嬉しかった。
6)闇が本来の助け合いや信頼関係を強くする。
7)近所の牧場主が、絞りたての牛乳を小さな子供を持つ母親中心に2000CC配布する旨情報を流していた。タンクローリーが動かず、牛乳廃棄はもったいないと判断したからだ。
8)地元のFM局が細かい商店情報を流して、住民の利便に貢献していた。
昨年の地震では水とガスのライフラインは幸運にも守られた。これだけはどうなるかわからない。
昔の少年。
喉元過ぎれば・・・の通り、災害対策は忘れがちですね。今朝、南一条大橋を通ると河川敷にテントが林立。消防関係の防災訓練らしき行事が。でも実際の場合、河川敷はどうでしょう?地震に大雨でも降ればダム決壊なども想定すれば危険かも知れませんね。これからは公園など作る場合には避難所としての機能を優先させて設計する事が必要でしょうね。公共施設も倒壊しない構造や自家発電設備も必要でしょうね。近くの小学校はグランドが陥没し地割れが出来てしまいました。今日からようやく掘り返して工事が始まりました。復旧工事が完了しても、活断層の上にある以上安全とは言えませんがね。
seto
日本中、活断層ばかりですからね。札幌で一番、地震の被害の少ないのは札幌市電の内側の山鼻地区らしい。最初に開拓されたところが案外、地震に強いところだなんて。豊平川に近いから洪水はあったと思いますが。苗穂でも豊平川の洪水で水に浸かりました。美しが丘地区の陥没もひどかったですね。賠償問題は解決したのでしょうか?札幌市が宅地OKサインを出したわけですからね。地震が起きて、はじめてそこに活断層があるというわけです。なんのための学者なんでしょうか?