空白な手帳に恐怖する人々(99本目のブログ)

 

手帳3

49歳のときに急性心筋梗塞で60日間入院。安静にしていて、気になるのが仕事であった。妻に携帯電話を持ってきてもらい、日ごろ付き合いのあるお客さんの電話番号を一覧表にしてベッドから見える壁に貼った。よーしこれでいいぞ。いつでも病室から仕事をするんだという意気込みというか自分のプライドであった。


いま思えばサラリーマンの悲しい性(さが)だ。私の入院は、別な営業からすでに取引先へ連絡をしているので、仕事の電話をかけてくる人はいなかった。それでも仕事は進行していた。驚くなかれ、入院した2か月間、月の売り上げと利益がいつもの月より増えている。


請求書だけは私のチェックが必要なので、自宅へFAXが帯のように流れ、担当者へ請求書送付OKの電話をする。別に自分がいなくても会社は困らないと実感した事件だ。困らないどころか、利益を増やしている。内心、「日頃の付き合いがあったればこそ、私の窮地に、応援の発注が来ているんだ」と傲慢に思っていたりする。負け惜しみだ。


しかし、退屈だ。とにかく退屈だ。病室で企画書を書いてなんになる!?誰が営業するんだ?!いつも使ってる手帳を開いても書かれてあるのは、精密検査の日、カテーテル実施日くらいであとは空欄・空白。誰々さんがお見舞いで菓子を持参程度。打ち合わせもなければイベント実施日もない。


そういえば、ビジネス手帳をスケジュールでびっしり書かれてあるのを見てニヤニヤしていた先代の社長がいたことを思いだした。手帳を予定で埋めることでどこか安心する、サラリーマンは空白を嫌う本物のマゾ集団かもしれないなどと妄想していた。予定の文字に自縛されて快感を覚えているわけだ。


時間っていったいなんだろうと思う。入院してわかる時間は太陽が昇り、沈み、朝が来て、夜が来て、また朝が来てを繰り返す静かな時間だ。その間にまずいご飯はあるけれど。「手帳を見れば、彼が仕事をしているかしていないか一目瞭然だ」と叫んでいた役員もいた。彼の手帳は予定で真っ黒だが、稼いだのはゼロ、しかし莫大な交際費を使っていた。京都では舞妓さんを呼んで一晩で200万円を使った、関連会社にも誘いをかけてね。そして2か月後辞表を出した。社長在任中、1円も稼がない稀な社長であったし、いい時代であった。


手帳、この不思議な存在・・・。自分が必要とされているという実感を強く持つためのツールと言い換えたらどうだろうか。ときどき空を見上げたり、花を見たり、公園の緑を観察したり、自然に近づくと濃すぎる人間関係も薄まり、気持ちが楽になる。空白な手帳部分を無理して埋める必要はない。実は時間が空いていても「その時間はちょっと無理」と言い、心身を休ませる賢さを持ちたいものだ。皆さん、心身症にはくれぐれもご用心!!

  1. かつては、いつも分厚い外国製システム手帳を左手に持っていました。財布がわりとか、名刺ホルダーとか、当時の写真データのカラーポジフィルムの一時保管とか、電話や住所録などと万能手帳でした。その後、今度はモバイル流行りに成り、鞄に小型薄型パソコンを入れて歩くようになり、かさばるシステム手帳は持たなくなりました。更にスマホ時代になってからは、スマホ以外は一切持たなくなりました。 電話兼カメラ兼電話帳や住所録パソコン兼時計などと、何も持たなくても良くなりました。今やペイペイなど電子決済で財布さえ要らなく成りました。しかし、此れだけは未だ不安が残っています。

    • 私の仕事には携帯ノートも要りませんが、手帳は1冊持ってますが、さっぱり活用できません。20年前の手帳を見ても有効に活用されてるとは思えないので、きちんとメモする習慣が身についていない、慎重さのない社会人であったのでしょう。それでも最近はあまりにも物忘れがひどいので、新しいお客さんの名前と電話・住所だけはメモしようとしてますが、元来のいい加減さや別なことを突然考えたりして今を忘れる私です。

  2. この時期になると、書店の売り場には手帳コーナーが。いろいろな手帳につい手に取って見たものの、使わない事に気付いて元の棚に戻します。歳の瀬も押し迫ると手帳を買い求めていた頃を思い出します。大抵は走り書き程度で数ページしか使わなかったですがね。

    • 1000円くらいの手帳はことしも買う予定ですが、2年使えるものにすると昔のメモが出てきて、私の場合、有効かもしれないと思い直しました。

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