最近、思うのは「私はこれといった仕事もせず定年を迎え、定年延長をして、また別な企業2社で営業をしているが何も仕事らしい仕事をしてない」でここまできたという感慨だ!別に私でなくても先輩から代々残されてきたお客さんから仕事と売上をもらい、多少、自分で開拓した売り上げを足して、毎月・毎年を通過して60歳ラインを越えて今に至る。情けないブログになってしまったが、世紀の発明や発見をしたわけでもなくて、たくさんのブレーンに囲まれて仕事をしてきたから「私ひとりでことをなした」ということはない。せいぜい私の参加は10%くらい。これは卑下でもなく実態だ。もし大きな仕事をしたとか取引先を開拓して大幅な利益を属する企業に与えたと妄想する人がいたら、水をかぶってほしい。あり得ない。人間関係づくりのきっかけは筆者であっても仕事の進行は、デザイナーやテレビ局・ラジオ局の人たち、新聞社・折込会社、印刷会社、イベント会社、レンタル会社、アルバイト各員、CM制作会社、コピーライター、カメラマン、モデルクラブとスタイリスト、照明要員、そして全体の費用計画とコンセプトの実現。一番大事なのは幾らの金額はどういう条件(現金か手形か、支払いサイト)でお金が入り、また外注者に出て余ったお金が純利益で何パーセントあるか。費目で漏れているものはないか?最終的に入金は約束通り振り込まれているか確認して、一つの仕事が終わる。ほぼここまで一人でするので帰宅は早くて10時だった。これは一つの仕事で、同時並行で2つ3つ抱えているから昼休みもパンを食べながら仕事をする。その間、「どこどこのTVやラジオ、新聞が突然空いて、安売りが出ているから早い者勝ち」というニュースも入る。仕事をいったん中止して、即時対応の電話営業を開始する。バブル景気の前だったが、各企業も宣伝費を持っていたので売り込みはしやすかったと思う。こういう緊急の仕事の成否は日常の人間関係が物を言う。特段の仕事がないときでも小まめに顔を出して世間話ができるようにしておく。そのための雑学や生きてるニュース(まだ映像や活字になっていない)をすると重宝がられて、突然、顔を出しても会ってくれる確率が上がる。しかし、そういう一方、たくさんの取引先が倒産し、何度も始末書を書いた。始末書のパターンが全部そろっているから、別な営業が「社長まで認証された始末書のコピーを貸してくれ」と言われた。私の営業としての採用が会社にとって果たしてプラスなのかマイナスなのかわからないが、「何か仕事をしたぞ!」と威張れるものは40年間何もしていない気がする。ただ、子供を二人、世の中へ送り出したことがしたことかもしれない。しかし、自分の評価は他人がすること。棺桶に入るまでにまだ何があるかわからない。

  1. 私など、最後になっても他人も評価してくれないでしょうね。いや?寂しいですが、近親者も評価しないのではないでしょうか。
    でも、いいんです。自分に「よくやった!」と言って最後の締めくくりにすれば。

    • 私は評価してますから、一人はいますね。毎日、コメントを書きつつ日常の仕事に邁進。コピーや制作作業も大変だと思いますよ。

  2. 大きな発見や開発や研究などは、その道の達人たちに任せて、今からでも遅くないので、先ずは自分にできる小さな事から始めたいですね。名を遺すなんて構えずに、むしろ名前を隠してやれる事の方が良いかもしれません。タイガーマスクのように。

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