この世でいちばんすばらしいのは・・・。
≪この世でいちばんすばらしいのは、家のなかに家族がいて、静かで、ゆったりと、平和で、いやまったく『ありがいこってす!』としか言えないこと。それだけのことが、なぜ、なかなかできないのか?≫(長田弘 すべてきみに充てた手紙23通目 晶文社 p85)さらに、のこしたい10冊の絵本の紹介で『100まんぴきのねこ』を≪この世でもっともかわいいねこをさがして、最後にのこったのは、ただのみっともないねこ。もっとも平凡な存在こそもっとも大切な存在あることを思い出させる、素敵な絵本≫と紹介している。生きている人生の核(コア)がここにあるような気がする。ここに至るまでにずいぶん私たちは遠回りをしている。お祭りやイベント慣れをしてしまって、どこかに美味しい食べ物はないか、お祭りはないか、有名人は来ないか、コンサートはないか、飲み屋でわいわいできないか、誰と行こうか。家の中に、静けさや平和をかき乱すあれこれを自分たちみずからで招いているとはいえまいか。たぶん、人間はこれを退屈と考える思考の癖にはまってる気がするのである。これはたぶんこの国だけのことだけでなくて、隣の韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも共通の人生の核(コア)を妨げる事件が起きている。中村哲さんが残念な結果にはなったが、彼が目指していたのも、家族の静けさや平和を妨害する、病気や水不足や食べ物不足の解消、働ける雇用場所の確保、安心して暮らせる村づくりではなかったかと思う。壊すのはカンタン、戦うのはカンタン、威張るのはカンタン。しかし、作るのは大変、辛抱するのは大変、謙虚は大変、人でも食べ物でも育てるのはそれ以上に大きな仕事であることを身をもって私たちに命がけで教えてくれたのである。『静かで ゆったりと 平和な』というのは考えてみるとたぶん私たちが記憶には残っていないが、この世に生まれて自宅の隅っこに置かれてすやすや眠っているとき、母親やおばあちゃんが赤子を起こさないように静かにして、編み物でもしている風景と重なるのだ。私的にも初孫が産院から自宅に戻り、床の間の掛け軸の下で3000グラムを横たえていた景色ともダブるのである。私たちが生まれたときの静けさ、平和の原風景が実は未来の風景でもあるかもしれない。最初と最後はこうしてつながっているのかもしれない。私の夢かもしれないが。


昔の少年。
私などは、既に家庭内にじっとしていられない症候群にかかってしまっています。これは一体・いつ頃からでしょうか。思い出せば、中学までは実家にいましたが、その後は今日まで故郷とは離れてしまっていますね。放浪癖は若い時からで、その後は結婚して、ほんの暫くは、おとなしくしていましたが、子供ができた後には、また家に落ち着かなくなりましたね。高齢になった今でも自宅のリビングのソファなどに座った事がありません。カミさんの話し相手も、ご機嫌取りが難しく、話せば喧嘩の火種をつくる羽目になります。ですから触らぬカミに祟りなしと言う具合で、できるだけ接触は避けていますね。幸せとは・一体?なんでしょうね。親の苦労も知らずに、田舎で暮らした幼少期ですかね。
seto
落ち着きなく動き回るのは私も同じですが、自分の書斎に座るとほぼ2時間3時間はOKです。妻とは話さないですよ。テレビも見ないしね。幸せはなんだかわかりませんが、心配少なくぐっすり眠れればそれでOKではないでしょうか。自然の中で暴れ回った少年期は私にはうらやましいです。
匿名
小学低学年の頃、東京から母方のおばあちゃんが田舎に来て2年間同居した事がありました。何せ、母親の実家は大きな車屋で千葉の若い衆の車夫たちを大勢住まわせていたほどで、景気も良く、子供も(母の兄弟姉妹は)13人の大家族でしたから、おばあちゃんは老後2年ごとに順番に子供たちの家を回って同居をしていました。当時はおばあちゃんの居る家庭って何故か楽しかったですね。僕は千葉なまりのおばあちゃんが大好きでした。母の次の兄弟姉妹の家へ行ってしまった時には悲しかったですね。そんなおばあちゃんは、僕が、家を離れて全寮制の高校に入学した年に他界したそうです。最後まで僕の名前を呼んでいたそうです。子供の頃の3世代の暮らしって良かったですよ。
seto
いいおばあちゃんに会えて最高の小年時代を過ごしていて、いいプレゼントをもらってると思いますよ。おばあちゃんにとっても大好きな匿名さんだったのですね。たんたんとした人間関係でしたから、濃い人との付き合いは私は幼少期していないことに気づきました。
坊主の孫。
譲りあうことが歓びに変われば、世界はどれだけ平和になるでしょうか。譲り合う事が出来れば社会はどれだけ明るくなるでしょうか。すべてに譲り合いの精神が基本になれば、人はどれだけ寛容になれるでしょうか。イライラやかけ引きばかりに終始していては平和は実現しません。言葉も態度も気持ちも、使い方ひとつで、すべてが凶器にも、平和にも変わると思いますよ。お互いに気負わなくてもいいのですが、ほんの小さな心の持ち方なんですがね。
seto
人類史を調べている人、(人類の始めから隠されていること)という本がありますが、たぶん初めは殺人と横領(盗み)から人間の歴史は始まっているのではないかという人がいます。現在の経済を見ていると、儲ける=泥棒する=盗み=ピンはねすると思われる仕組みだらけで,言葉は汚いですがね。譲っても(要らないならそれをいただきますよ)という世界ではないでしょうか。(油断も隙もありゃしない)という観念が覆ってると思いますよ。
匿名
猫も何度も飼いました。母猫は捨て猫ばかりでした。お腹が大きくなって5匹も子供を産みました。知り合いに貰っていただいて、親子猫3匹だけを買いました。不思議と昔から我が家に変われる猫は似たようなトラ猫ばかりで、決して綺麗な毛並みではありませんでした。子は鎹と言いますが、猫も子供たちの相手をしてくれたり、家族の輪を作ってくれました。或る日の朝、出かけるために玄関ドアを開けると、隙間から親猫が子猫二匹を残して家を出て行きました。それっきり帰りませんでした。野生が残っていたのでしょうね。像の墓では無いですが、自分の死ぬ秘密の場所へ向かったのでしょう。さすがに子猫たちには野生は無く、二匹とも人間同様、自宅で亡くなりました。ペットショップには鑑定書付の可愛い猫たちが居ますが、買ったことがありません。
猫の居る暮らしも和みますね。