飛行機に乗りたくない。

私の住む街が新千歳飛行場の隣。私はパニック障害持ちで飛行機駄目。情けない話です。最近、ストレスが激減して「飛行機は大丈夫かもしれない」と思い直しています。挑戦しないといけません。4月2日の再録です。

筆者は、糖尿病でもあるけどパニック障害持ちでもある。18歳のとき、自宅で一度発作を起こし、父に救急病院へ運ばれた。自宅浪人中であった。当時は、パニック障害という名称はなくて心臓神経症と言われた。救急当番医と話しているうちに、症状が消えていった。

しばらくパニック発作もなく、家族で沖縄便に乗っても正常であったが、激しい営業活動をしていた30代後半、ストレスが重なり名古屋から帰る飛行機で起きてしまった。新千歳空港は大雪で、除雪が終わるまで飛行機が上空を旋回し始めたのである。7機が旋回していた。パニック発生!!それも大パニックだ!「頼む、早く、地上に降りてくれ」と何度願ったことか!忘れていた発作を体が再度覚えると、信号機の故障で停車する通勤電車の中でも、アンダーパースの渋滞する営業車の中、締切時間に間に合わない仕事の夢をみたときも、娘の卒業式に出るため伊丹へ飛んだときも(このときは8000円を追加して広い席を確保したが)ダメ。。三宮から京都へ戻るJR電車に乗ったときも乗るやいなやパニック。次の灘駅下車。しかし、灘駅は道路側が高い盛土で向こうの世界が見えず、またパニック。大阪の友人にSOS携帯。彼の婚約者が車でやってきて、無事に京都のホテル到着。

京都南口から伊丹へ向かう高速バスで運転手に「すいません、私、パニック障害があるので具合が悪くなったら、路肩に少し止まってくださいませんか?」と言うと「なんだ、こいつ、変な野郎だ」と睨まれてチョン。ここの高速も両側がコンクリートの壁でパニック出たが、下を見て目をつぶり何とか伊丹到着。12月28,29日は考えるだけで具合が悪くなる。忘年会帰りで電車は超満員。出口に立ち続ければいいが、押されて中にでも入れば、出ましたパニック!「スイマセン、私、降ります。空けてください」。心臓が苦しくなる、死にそうな気持になる、駆け出したくなる。首都圏の満員電車にサラリーマン・OLが乗車している風景をみて、この人たち皆天才と思う。よく我慢しているな。仕事以上にこれは大仕事だなと思う。

娘の結婚式は別府だ。福岡便に乗らなくてはいけない。今度はエア会社に「パニックなんですけど」というと「そういう方が最近多いのですよ。できるだけ前の席をご用意します。私どもに何かできることあればお申し付けください」。ずいぶん航空会社も勉強してきた。機内で今回はオニギリとバナナを食べて気を紛らわせ、無事に娘の結婚式に出席。妻は「あなたは、付き合っていたころから落ち着きがなくて、今でも家の中をうろうろする癖がある。多動性障害と違う?」と言われるがそうかもしれない。すぐに飽きてしまうところもそうだ。狭いところも苦手。窓のない地下の居酒屋で発症したこともある。

ネアンデルタール人や北京原人などの洞窟に住んでいた人たちにはパニック障害はなかったのかなと思う。庭にいるアリやミミズたちも、暗く狭い中で生きていて苦しくないのだろうかと想像する。しかし、しかしである。棺桶に入ったとき、あまりの狭さに思わず「出してくれ!!」と言って、生き返る可能性も否定できない。パニック障害のメリットは最後に発揮されるのである。


分子生物学の福岡伸一センセイのエセイにミラノの飛行場で雪に封じ込められ、ようやく乗り込んだ満席の飛行機の真ん中の席に座るが、動く気配がない。『私は狭い機内の天井を見上げた。そのときだった。得体の知れない切迫感が肺の奥からせり上がってきた。すっと視界が暗くなった。にわかに息苦しくなる。心拍数が高まる。次の瞬間、叫びだしたいような恐怖が襲ってきた。ここから出してほしい。今、すぐに。外の空気が吸いたい。手足が震える。思わず、シートベルトをかなぐり捨て、出口のドアに向かって駆け出しそうになる。』その後、自分の吐いた二酸化炭素を肺に戻して酸素過多、過呼吸を自分で治すのはさすが福岡センセイである。『生命と記憶のパラドックス』(文春文庫 70p 閉所恐怖症)同病者がいると心強い。今後、私はパニックという命名は止めて『閉所恐怖症』にチェンジします。

  1. そのような経験は何度かあります。が、パニック症候群とは思わないようにしています。自分を追い詰めれば追い詰めるほど症状は酷くなりますからね。どこでも眠れる癖をつけて解決です。普段から寝不足気味も手伝って、いつでも眠れますから助かっています。飛行機は好きではありませんが、急ぎの時には必要ですから仕方なく乗っています。満員電車も大っ嫌いです。大阪時代にも東京でも朝夕ラッシュは経験しましたが、もう二度と経験したくありません。クルマ通勤にしてからは大分リラックスできるようになりました。真冬に一度だけ過呼吸になってウインドウを全開にしてUターンして病院に駆け込んだ事もありました。自分のペースが一番ですね。

    • 昨日、イトーヨーカドー福住へ行く途中、片道規制で長い車の行列に遭遇、少し胸がモヤモヤ来ました。まずいと思いましたが、車が動き出して難を逃れました。窓を開けたのですが・・・・・。

  2. フウテンの寅さんも飛行機には死んでも乗らないと言っていましたが、妹のサクラ夫婦に無理やり車に乗せられ羽田空港まで行ったものの、車を降りた途端、ジェット機の音でおびえ、絶対に乗らないとダダをこねてサクラ達も困っていたところへ、CAの綺麗なお姉さんたちが通りかかり「どうしたんですか?」と。サクラ「兄が飛行機に乗らないって言って困っているんです」。CAが寅さんに向かって「あら、私たちは毎日毎日乗っているんですのよ。ご一緒に」と。女性大好きの寅さんの顔が急にほころび、ついて行ってしまいましたね。女性の笑顔が寅さんの心の病を忘れさせてくれたんですね。心の病は自分で何とかしようにもどうにもならない事でしょうが、気を紛らわしてくれる人が居れば克服できるのではないでしょうか。楽しい事を作って、忘れる術を沢山持つと良いかも知れませんね。

    • 誰かに手を握ってもらったり、おしゃべり相手を探すことができれば回復は早いですよ。CAの手を握り続ければいいわけです。これなら私もぜひ乗りたいです。エアポートで助かったのは、若い千葉から来たサラリーマン4人がパニック出たとき『おしゃべりすればよくなるかも』と豪雨災害の話を長々しているうちに電車動きだし、パニック収まりました。

  3. ゼロ戦パイロットの弟。

    飛行機は怖いものです。兄から聞かされた空母への夜間の着艦訓練など、当時は僅かなライトを頼りに有視界飛行ですから殆ど感が頼りでしょうね。飛行機に乗ると、離陸時よりも、着陸態勢に入った時に緊張が走ります。凄腕のパイロットでも気象条件によっては、かなり危ない経験をしているのだと思います。移動にスピードを求めるあまりに、飛行機を利用しますが、もっと安全な乗り物が出来れば良いと思いますね。ゆったりした移動手段の大型クルーズ船も、今回のウイルス感染拡大事件ですっかり影を落としてしまいましたね。交通手段で絶対安全なものは無いと思いますが、車窓の景色を楽しみながら列車の旅の方が、多少は安心なのではないでしょうか。しかし、間もなく空飛ぶ自動車も登場しそうですよ。オランダやアメリカ辺りでは市販されているそうです。北海道の大樹町でも名古屋の企業が、その実現化のための資料収集テストを始めているそうですね。オスプレイ反対と同じ事にならないのでしょうか?今後、益々騒々しい環境になりそうです。出来るだけ移動しないのが一番かも知れませんね。空は鳥たちに開放して。

    • 飛行機は無理がある乗り物です。すべて軍事から民生運用へ発明品は回ってきます。インターネットもそうですね。日本の空はアメリカの空です。自由にのびのびアメリカの爆撃機は謳歌しています。沖縄が犠牲です。新千歳空港に新型の政府専用機が2機置かれて、使うときに羽田へ向かいます。高いジエット燃料代です。

  4. 大空と大地の下で育った道産子には、狭い空間や密閉された場所や人混みは似合いませんね。なぜ?あんなに沢山の人たちが都会に群れたがるのかも不思議ですよね。戦争や大震災で、あれだけ痛めつけられた東京ですが、それでも懲りないですね。逞しいと言えばそれまでですが、危険ですよね。北海道では雪も数十センチが当たり前で、平気でクルマも運転しますが、或る時、会議で東京出張の朝、珍しく3センチほどの降雪がありました。会議会場へは全員遅刻でした。電車もバスもタクシーもパニック状態ですからね。昔、母が東京で同じような降雪で転倒して手首を骨折してしまいました。靴もタイヤも夏仕様ですから仕方が無いでしょうね。北海道の人たちは厳しい気象条件下で普通に暮らしていける逞しさがありますね。環境の良い北海道から、できれば人口密集地には行きたくないですよね。そう言う私も生まれは東京だったらしいです。

    • 群れて生きると、広いところに長くいるとゴミゴミが恋しくなってしまう人がたくさんいます。東京から転勤してきた人(千葉)が1箇月に1回はあの汚れた空気の中に戻らないと気持ちがおかしくなると言ってましたね。都市というのはそういう気にさせる魔境でしょうか。たえず刺激&刺激の中にいると(ネオン・文化・食・ファッションなど)、それが五感に突き刺さってしまいます。トゲみたいなものでしょうか。私の兄と妹が長い間、川崎・越谷に住んでいますが、6月から10月までの北海道ならね住んでもいいが,雪はね勘弁と言います。20代前半まで暮らしていたのに、変わってしまいますね。寂しい限りです。

  5. 都会で暮らすと、寂しくなって、自然と人混みに足が向かいます。デパートだの、ディスコだの、イベントだのと群れたがりますね。どこへ行ってもゴミゴミして空気も悪く、良い事なんてないんですがね。

    • たぶん孤独感が薄れるような気がするのではないでしょうか?静けさを私なんか加齢とともにありますが、それよりわいわい賑やかさで生きるエネルギーをもらう人たちも一方にいて、劇場を構成しているのが現代ではないでしょうか?

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