依存症について
依存症ビジネス(第3回)
ブログのカテゴリーで依存症ビジネス。その3回目を掲載します。
依存症ビジネス~依存症は本当に病気なのか~
副題は、環境次第で誰でも依存症になり得る社会。著者がアルコール依存を直すための会のメンバーになって感じたことを書いている章である。
筆者自身がアルコール依存を病気とは考えていないという話から入る。というのは私は『私のアルコール依存症あるいは他のどんな依存症も病気だと思ったことは一度もない』。考えてみれば、人間は食べ物依存や酸素や空気依存をしているし、専業主婦なら夫のATM依存、夫は妻の料理依存、子供は親の生活費依存、子供は学べば学校依存、学校は教えについて教師依存、大学は文科省からの補助金依存、町内会は町内会費依存、老人は年金依存、医者の経営は医療制度依存、クスリメーカー依存、公務員や政治家は税金依存、作家は活字依存、テレビは吉本興業ほかタレント依存・広告依存、深夜勤務の人はコンビニ依存、母親は子供依存、サラリーマン社長は部下の稼ぎ依存、引きこもりは親依存、予備校は偏差値依存、筆者などはブログ依存で世の中に益することがなく目も当てられない。『依存』という漢字を使うから誤解を与えるが、『頼りにしている、それによって生きている』と書けば普通のこと。
この本に戻ると、アルコール依存症を治すためのプログラムが(ステップ)があって、それを順番に守って、最終的な禁酒にまで行くというものだが、書き手は一気に順番を超えてある日、禁酒を自分の意思でやめた。これは、ヘビースモーカーだった私にも良くわかる話で、禁煙ガム(とても値段が高かった)を幾らかんでもタバコをやめる意志がないと止められるものではない。アルコールもこのクスリを飲むとアルコールを嗅ぐだけで吐き気がするという薬があったが、知人は試したが、だめであった。止める止めないはステップ踏んで解決する話ではないのである。
禁煙外来を日本医師会へ注文つけたのも外資系のクスリメーカーが寄附金をわんさか日本医師会へ提供した見返りに、建前は喫煙をニコチン依存として病気に分類してマスコミを多用して宣伝しただけである。厚生労働省も国民の多数の健康のために分煙とか最近では居酒屋まで被害を及ぼし、罰則まで設けようとしている。本題をまた脱線してしまった。。自力で立ち直れる機会を、『病気』と分類することで、より治りを遅くしているかもしれないのだ。ノイローゼをうつ病やパニック障害などと分類し出してから病人が増えて街中心療内科だらけ、抗うつ薬の使用量を急増させたのである。
著者にアルコール依存者の友人が二人いた。一人は人生の目的(仕事への情熱を見つけて治癒)、もう一人は自殺した。その違いは生きがいの発見の有無ではないかと。ベトナム戦争従軍兵士の間でベトナム現地でヘロインが大流行をしていたが、帰還するとその習慣がどんどん減ってきた話も書いている。(ヘロイン常習者に関して過去最大の調査と思われる調査だが)『ひとたびアメリカ国内に戻ったあと、依存者とみなされる量のヘロインを摂取し続けた帰還兵はわずか12%未満にとどまった』『従軍した若者は、正常な社会環境から引き離されてしまい・・・戦場での暮らしの混沌、恐怖、恐ろしい経験、無秩序から別な世界へトリップ(旅)するためにヘロインが使われた。兵士の5人に1人は常習になった。しかし、母国に帰ればヘロイン依存から脱した若者が多かった』
これは誰でも環境次第で、依存症になる例だと筆者は言う。むしろ習慣になりにくい環境、簡単に手に入らないよう配慮する。依存症は『習慣病』であるからという説を唱える医師の説を著者も共感を持って紹介している。そばに置かないである。そばに置くとすぐに使ってしまう人間の業みたいなものか?カードを使う頻度を下げていく生き方も必要な時期に入っていると思うこのごろだ。便利を減らして不便を意図的につくろうである。メディアで使われる語彙もできるだけ咀嚼して違う単語で話す工夫も必要だ。
苦い禁煙の思い出
かつてヘビー・スモーカーだった私は、何度も禁煙に挑戦して失敗を繰り返していました。或る時は、家内から「禁煙したら10万円給付?」の話があり、これぞ!とばかり飛び付いたのでした。10万円給付は、どこかの政府とは違って、即、支払われ、有頂天になって未だ幼い息子に高価なマウンテン・バイクを買って与えました。乗用車とジープの2台の車を持っていて、その日によって乗り換えていましたが、タバコを辞めたと宣言も、未だ未練が?依存癖が時折顔を出していました。流石に乗用車はタバコの匂いが充満してシートにまで染み付きますから、幌タイプで風通しの良いジープに乗って、こっそり吸っていました。しかし、悪い事は直ぐにバレるものですね。普段は乗せないジープの助手席に家内を乗せてしまいました。すかさず灰皿のチェックをされ、吸い殻を発見されてしまい、きついお灸を据えられました。その後も依存症が顔を出し、なかなか思うようにやめられない状態が続きました。が、そんなある日、長年勤めた会社の倒産劇がありました。当時、支店の責任者でもあり精神的にも辛い思いをしました。支店では小切手決済でしたので大口負債はありませんでしたが、即、銀行口座も凍結されてしまい、よく働いてくれた印刷ブローカーへの翌月支払う小口負債の数百万円だけが支払えませんでした。あとは管財人に委ねるしかありませんでしたが彼に謝罪する為に食事に誘いました。その場で何も出来ませんでしたが、何故かYシャツのポケットから真新しいタバコの箱とライターを取り出して彼に渡しました。その後は彼とは会っていませんが、タバコも一切辞めました。倒産ショックと債権者に申し訳ない気持ちが、皮肉にも既存症から立ち直るきっかけになりました。しかし犠牲者の彼にはいつか借りを返したい心境です。
seto
素晴らしい体験記のコメントありがとうございました。何か事件やきっかけがないと自分の意志だけで禁煙はむつかしいですね。私は50歳のとき心筋梗塞の疑いで救急車で病院へ搬送されて、即、手術室でした。50%死去の可能性を覚悟してくれと主治医は妻に言ったといいます。カラダ中、動けぬよう拘束されてましたから禁煙れべるではなく生死のレベルでした。ニコチンが抜けるときカラダじゅう痒くなります。皮膚からニコチンが抜けていく感覚もありました。自分の意志を超えたところで禁煙できました。18歳から一日40本は吸ってましたからいまでも喫煙者にも理解はあります。彼らも犠牲者で、一番の犠牲者はタバコ農家です。先日ヒッチコック『鳥』(原題 BIRDS)を見たら、女優含めて喫煙シーンの連続でびっくりしました。座るとタバコ、相手とおしゃべりするときも喫煙、おばあさんは自動販売機でタバコ買い喫煙。ヒッチコックは愛煙家だったのでしょう。間を取るには最適なアイテムです。パチンコ屋さんも喫煙室をもうけるところ多くなり、咳き込みはなくなりました。禁煙してもらった10万円、返さなくて良かったのですか?
広告マン。
サラリーマン生活も長かったですが、全く給与やボーナス依存症でしたね。住宅ローンを組んだり、高額な買い物をしたりと、何の不安も抱かず暮していました。今になって考えれば、あんな贅沢をしていたのですから、少しでも貯金などすれば良かったと。でもお金はなかなか貯まらないものですね。依存症は依存症を呼び、車依存症にもなって毎月の車関係のローンや経費に追われていました。贅沢はきりがなく、ボーナスが少ないとか昇給が少ないなど不平不満ばかりでしたね。そんな依存症も、フリーランスや起業をきっかけに少し改善されましたね。
seto
どういうわけか、高価なものは管理や面倒を看るのが煩わしくて持たない私でした。給与&ボーナス依存は同じですが、高い給与でもなく細々と住宅ローン返済してました。車も新車は買えず、新車を買ったのが52歳のときでした。『物』は『別な物』を呼びます。1台のテレビなら録画機やステレオ装置が欲しくなり、さらに4Kなど進化していきます。きりがありません。そもそもテレビを見なければいいのですから。車も運転しなければ必要ありません、レンタで済みます。家も所有から賃貸へ。衣料品もリサイクルショップで購入。本も新刊より中古本または図書館で。家族もレンタル家族があります。葬式のお経も派遣のお坊さんがいるので檀家は必要ありません。さらに企業って、その会社、必要性あるの?と問われてます。現在、広告代理店が苦しんでいる背景に従来の仕事の延長という考え方が創造の羽根を失わせてます。依存を脱して新しい依存に向かうと思うのですが、とにかく食べていくためにアイディア全開モードで駒を回し続けないと倒れてしまう日本社会になってます。