3連休,誰ともしゃべっていない.
おしゃべりな自分には考えられないが、「3連休、コンビニで弁当を買い、ありがとうと言った以外、3連休は誰とも話していないんだ」と言う独身の73歳の人がいた。携帯電話があるから、誰かから電話は来ているのだろうけど、どうもわからない。近所に一人暮らしの老人が何人もいて、ゴミ出し風景を見ているから他人ごとではない。働ける間は働くという意味が、他人と関わるという大事さがわかってくる。夫婦だろうと子供とであっても近所付き合いであっても「他人と関わる」という意味では同じだ。言葉は社会性を含んでいるからその確認作業をしているのだ。彼は自宅にパソコンも置いてもいない。
とはいえ、だれともしゃべらない効用もあって「言わなくてもいいことを言って大失敗」しなくて済む。本を読んでいるときはしゃべらないが、書き手と対話していることを思えば空虚なおしゃべりするよりは効用が増すというものだ。いやいや、空疎なおしゃべりでも話しているほうが(話す相手がいるほうが)ずっと健康に寄与するかもしれない。筒井康隆「誰にもわかるハイデガー」(河出書房)に「空談」という単語が出てくる。自分の死を忘れさせるおしゃべりのことで、どうでもいい文章は「空文」とも。自分の死の恐怖を横に置いて生きる生き方である。したがって私のブログは空文に属する。テレビは沈黙を嫌がり、新聞は空白を嫌がる。
前職の課長が65歳を過ぎて胃がんを発症し、全摘手術が成功したが、10年後脳梗塞を起こした。右脳がやられて車いすになったが奥様の話では「大好きな新聞も読まず、好きなクラシックのCDも聞かず、妹の見舞も拒否、すべてに興味と関心を失って面倒を看るのも嫌になった」と。趣味に相当なお金を注ぎ込んで、新刊本も紀伊国屋に出かけて、カフェでおしゃべりをした仲だった。すべてに興味を失った彼の姿を想像できないが現実だ。
私もそうなったら、たぶん誰とも会いたくないし、だれともおしゃべりたくないだろう。ひとりにしてほしいと思うがどうだろうか。普段から考えておくべき自分の態度である。
私もあんまりおしゃべりしないよう、その日に備えて黙することを学ばないといけない。
昔の少年。
黙して語らず。普段から家では黙していますから、少しばかり自信はありますが、「何とか言って!」とせかされれば、つい口を開いてしまいますね。一人になったらTVに向かって喋るのではないか?と思いますね。「ダサいCMだね!」とか、「どうでもいい答弁しかしていないね!」とか、「下手な歌だね!」とか。主に批判ですがね。
seto
私は黙さず、言葉に主語を省いて語るので評判悪いです。何について話しているか理解できないと言われます。これも困ったものですよ。CMについてはギャラは幾ら、プロダクションへ50%抜かれているとか裏話ばっかりで、こちらも評判最悪です。「素直に見なさい、テレビくらい!」と。私はそうはいきません。
坊主の孫。
軽い認知症に掛かった80代後半の隣人を見るにつけ自分の近い将来に重ねて考えてしまいますね。今週のゴミステーション当番は我が家でしたが、来週からはお隣にバトンタッチです。歩く動作も大変そうで極端に遅く、ゴミ当番くらいなら代わってあげたいのですが、奥様は体は少し不自由のようですが、頭はしっかりしていて「主人に何でもさせないと余計ボケるから」と言うので手伝いたいところをグット我慢して見守っています。以前のように顔を合わせれば話しかけて来たのに、耳が遠くなったのか?最近では気づかなかったり、自分から余り話したがりません。私は出来るだけ大きな声で話しかけるように努めています。認知症の自覚からなのか?他人と余り交わらなくなっていますし、奥様に怒鳴ったりする事も多くなりましたね。ご本人は近所づきあいも殆ど無くなってしまいました。周りの人達も、もっと関わってあげればいいのですが・・・。老人には冷たい社会になりました。
seto
そうですか。さっき木々の剪定をしていてお年寄りが散歩で通ったので「おはようございます。いい天気ですね」と声をかけても知らん顔で通り過ぎました。こういう60代、70代のおっさん多いです。勤め先がすべての人生を送ってきた人に多いですよ。80代後半ですか、キツイ年齢ですね。明日は我が身の姿ですよ、まったく。
昔の少年。
少年時代には田舎にブツブツと独り言を言うおかしなオジサンが居ました。身体が悪いらしく殆ど家からは出てきませんでしたが、僕が大きな川に掛かる橋の上から釣り糸を垂らしていると、珍しく外出してきて傍を通り際に何かブツブツ独り言を言っていました。近所づきあいも有りませんから、大人たちは会話どころか、顔さえ見た事もありませんが、しかし、子供には気を許し話しかけて来たのか?独り言なのかはハッキリしませんでしたが、何やら言っていました。きっと僕と話したかったのでしょうね。子供ながらに、気味悪がって避けていた事を今になって、初めて後悔しています。考えてみれば我が家の縁戚のオジサンでした。
seto
ぶつぶつ言うオジサン、縁戚だったんですね。もともと昔の少年さんを知っていて、おしゃべりしたかったんでしょうね。釣りに興味があったかも。惜しいことをしました。ブツブツ言うひと、プラッットホームにもいました。寄らないようにしてますが、叫ぶ人もいるしいろいろです。私の甥も引きこもり15年ですから、電気屋や自宅周辺で奇声やにらみつけをして、交番に通報された事件がありました。ブツブツは気味が悪いですね。しかし、誰かと会話を求めています。架空の人と話してる可能性もありますし、天才かもしれません。