2021年6月から9月5日まで、恵庭市の集団接種手伝いで会場内を無線を担いで人数や接種時間開始を知らせる無線が入る。無線は携帯者10名へ聞こえるので丁寧な言葉使いをする。「了解です」「もう一度、確認してよろしいでしょうか」「ワクチンの準備はできあがったでしょうか)「接種会場3の鈴木さんを2へ変更したく思いますが受付のほうよろしいでしょうか」など聞いていて気持ちがいい。

そこで「鞘を失った言葉は暴走する」というきょうのブログに戻る。

ここで言う鞘とはたとえば手紙では『拝啓 お変わりございませんでしょうか』という時候挨拶、よその家に行ったとき、玄関口で丁寧な挨拶をする習慣、顔を合わせたらまず、形式的ではあっても『お変わりございませんか』という長年の習慣言葉のことである。鞘は『形式』の別名でもある。


言葉が武器であると思えば、その武器は鞘に納めてから語られると相手に危害を加えない。売り言葉に買い言葉は、どちらも『鞘』を外したまま言葉を発する行為にほかならない。2ちゃんねるはじめ匿名で毀誉褒貶の言葉を書く行為は、もう『鞘』はどこかにぶん投げて、鞘から出た鋭い剣のある言葉で相手を突き刺す。ブログ炎上も『鞘を捨てた言葉の戦場になっていて』礼儀も何もあったものではない状況だ。会ったこともない、話したこともない人からのののしりは、心身とも極度の疲労に追い込まれると炎上したことのある人は言う。1万や2万の匿名集団からの攻撃は毒を塗った吹き矢に当たり続けるようなもの。多数の人につながるメリットとデメリットがあって、また人間は『ジキル氏の面とハイド氏の面があるからいつどこで入れ替わるものやら』という認識だけは持っていたいものである。夜に書く手紙と昼に書く手紙が内容もトーンも全然違う、感情の入れ方が別人の様相を呈していることに気づいた人は多いはず。


理想的な言葉のやり取りは、初めは近況報告から入り、そして様々な話題へ、別れるときは次回の再開を期してサヨナラする。書けばあたりまえのことではあるが、鞘がないと『おい、生きてたか?』『何やってんだよ』といきなりこんな日本語を吐かれたら不快だろうと思う。相当親しい間柄でも(間柄だから)丁寧さは必要だ。夫婦間で『おい、こらっ』と夫が妻をなじると『何よ、その言い方!』とケンカ突入必至。最近、増えてる熟年離婚も永年積もり積もった沈殿していた怒りが爆発の結果が多い。犠牲はいつも子供だが別れた方が幸せに近づく場合もある。『鞘』を把持しながら何十年も結婚生活を続けるのは、しかし奇跡に近い。どちらかが(どちらも)我慢我慢だ。


話題変わって、政治において『鞘』は憲法であって、則を超えない言動が求められるが『2ちゃんねる』を真似したのか、暴走し続けている。暴走している列車に同乗している人は静止しているように見えるが外から見ると同じく暴走してる場合も多く困ったものである。言論のお手本CDでもつくれば、いまの時代に売れるかもしれない。経営者編、プレゼ編、政治家編、学生編。夫婦編も。とにかく身近に生きたお手本になる人間が一斉に消えたような気がする。知識ではなくて知性が匂う人。物知りではなく人を知っている人。総じて教養のある人が消えてしまった。


ところで『教養っていったい何?』と聞かれると筆者も実はわからないのだ。空気を読むより自分の価値観をドンと提示できる勇気のある人、権力に付和雷同をしない人。そんなとこだろうか。忘れていた、教養のある人は『いい顔をしている』。いい顔ってどんな顔?自分で探しましょう。

book

いい話あれこれ世界のいま

  1. 昔の少年剣士。

    剣道では正座する時に竹刀や木刀は右利きは右側に、左利きの場合には左に置く。つまり、真剣の場合を想定して利き腕側に置く事で刀を抜かないと言う礼儀で、いきなり刀を鞘から抜いて飛び掛からないと言う暗黙の作法ですね。剣道でなくても、いきなり言葉の凶器を振りかざしては対話どころか喧嘩になりますね。親しき中にも礼儀ありで普段から注意したいものですね。例えば上から目線で物申したり、あるいは昔の同僚や部下に対してもいつまでも以前の関係の延長と勘違いして呼び捨てにしたり、案外ご本人は気づかないものですが、きっとお相手の方は辛いでしょうね。今、学校に限らず職場でもイジメやパワハラやセクハラなどが取り沙汰されていますが、時代の進化と共に人間も進化が問われますね。

    • 暴走する言葉が交差しあっていますから、そういう空間に近づかないよう工夫をしています。SNSで短い文に慣れすぎると、感情中心の文言になって、受け手側に不快を知らず知らずに伝えることになります。注意したいものです。電話してもいいかいとメールしてからおしゃべりするほうが気持ちいいと思うのですが、無料慣れしていると話は10分制限されていたり、文字だけの短文メール慣れでゆっくり長く話すことを嫌がる習慣が多くなってます。それできつい・暴力的な言葉が多くなるのでしょうね。アカデミックハラスメントもひどくて、劣等感の塊みたいな学者連中が多い大学で、特に理系(医学含めて)アカハらが蔓延していますが、誰が止めたらいいのか。私なんか透明人間になってすべての学校、警察、自衛隊、官僚組織を探検して報告書を書きたい気分になることがあります。その前に自分の家庭を、足元は大丈夫なのか確かめないとね。

  2. 教養はその文字の通りでしょうね。養われた教えですか。つまり普段も含めて、その言動や行動や態度などににじみ出る多くの事柄では無いでしょうか。ですから見せびらかす物では無い自然に感じるものでしょうね。教養は本人自ら口に出した時点でその資格を失いますね。

    • 黙って立って育ってる植物を見ていて教養を感じますね。同じ生物として考えると。移動しないから戦争しません。根っこで水の取り合いをしているかもしれませんんが。

  3. 勉強嫌いで飽きっぽくて教養には程遠いい私ですが、好きな事になると熱中し過ぎる嫌いはあります。熱中症に掛かると食事も忘れて没頭したりもします。ですから栄養不足で知恵が回らない事も。このように栄養も教養も無い訳ですが、この調子で長年生きて居ます。教養のある方や知性漂う方々から見れば情けない人間に見える事でしょう。が、自分自身のこれまでの環境から考えてもこれで精いっぱい背伸びしているつもりです。残り少ない時間を無理せず楽しく過ごせれば最高ですが?果たして、この先の事は皆目分かりません。

    • 来月24日でワクチン集団接種手伝いが終わります。次に何をしようか考えています。考えているのは、私自身、長年パニック障害に苦しんでいますから、「パニック障害防止セット」を作れないか考えてます。薬ではなくてね。経験値から割り出した商品がつまったセットで軽量ガポイント。小石、袋、数珠、ゴルフボール、パニックなんかこわくない小冊子、音楽、美味しい飴、などなどセットで2000円で売ると売れると思いますが・・。ネーミングもかわいくね。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です