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私がいまアルバイトをしている西洋骨董店リトルオークの社長が鈴木均さんという人で、お母さんの兄弟で鈴木東民(とうみん)という叔父がいて、釜石市長を3期12年勤め、エライ人なんだと聞いた。本もあるというので、さっそく市の図書館へ検索したらありました。父親は鈴木太仲で眼科医。長男は東京で生まれたので「東」の漢字を用い、次男は北海道で生まれたので「北」と名付け北民という。

「反骨(鈴木東民の生涯)」(講談社 鎌田慧著・全402p)という本に詳しく書かれている。ネットで調べると東民さんの顔がリトルオークの社長にそっくりなので「隔世遺伝だね」とお互い笑った。生まれは1895年(明治28年)6月25日東京。東京帝大の経済学部を卒業した後、1923年大阪朝日新聞に入社するが、日本電報通信社(電通の前身)の海外留学生に応じて、電通のベルリン特派員になり現地でドイツ人の妻ゲルトールト結婚し、娘マリオンを授かる。「マッサン」のエリーと違って、1979年12月14日、亭主が先に逝った。享年84歳。

鎌田さんの「反骨」の出だしは「鈴木東民さんは生きながら抹殺されたのではないかともいえる。激越にしていささか狷介だった彼は、孤高の中で息を引き取ったようだ。同日の朝日新聞夕刊に「・・・電報通信社特派員を経て、読売新聞外報部長、論説委員、編集局長を歴任。この間、日本軍閥の侵略戦争に反対するとともに反ナチの論陣をはり、戦後、新聞界をにぎわした読売争議を闘争委員長として指導した。その後、自由懇話会や理事長や民主主義擁護同盟常任委員をつとめ、30年5月釜石市長に当選、42年まで三期在職した。著者に(ナチスを見る)」。

実際は、しかし、ドイツ特派員時代、ナチスドイツ批判をして国外に退去されられたことや、読売新聞社でも戦争を批判して軍部から執筆禁止処分を受け、新聞社を追われたり、釜石市長時代も富士鉄(現新日鉄釜石)の公害に早くから警鐘を鳴らして、「城主釜鉄」に抵抗、ついに孤立して故郷を去った反骨魂が朝日夕刊の死亡記事からは伝わってこない。

鎌田さんの本「反骨の生涯」では、ここをこう書いた。「こうして、東民は、ついに大企業の力によって市長室からも追放されることになった。ヒトラー、天皇制軍隊、マッカーサー、そして4度目は新日鉄。それは今にして思えば、彼の反骨の魂にぶら下がった勲章とでもいえるものである。しかし、東民はそれでもまだ屈しなかった。驚嘆すべきことに,今度は市会議員に立候補した。市長を3期も務めた人が市議選に出るのはけだし前代未聞である」。

1989年NHKが「鉄の町にサケが帰る」を放映した。鎌田さんは、てっきり東民の人物・働きも報じると思って見ていたが1行も報じられることはなかった。甲子(かっし)川にサケの遡上が戻るよう、製鉄所の公害を規制したのは鈴木東民だったのにである。また日本で唯一の橋上市場を作ったのも、東民がイタリア・フィレンツェに倣った彼のアイディアだった。しかし、釜石は新日鉄の城下町で、公然と鈴木東民さんを語ることがはばかられるということである。

いずれ高炉の火が消えることを東民は見通していた。時代を先々で読める人はそう多くはないが、あの時代に、軍国一色の時代に鈴木東民さんがいたことを、しかも生き延びて天寿を全うされたことを誇らしく思いたい。

リトルオークの社長が「ぜひブログに書いてくれ」という要望で東民さんについて書いた。彼の口から名前が出なければ私は知らなかった人だ。その鈴木社長は大学卒業後、一度もサラリーマン生活をしたことがなく、50年を経過。独立心旺盛な骨董の勉強家、イギリスへ毎年4回は買い付けに行く。好奇心が衰えない。西洋骨董を扱う人で彼を知らない人はいないくらいだ。

また東京大学の学術機関誌リポジトリに宇野重規さんが「釜石市長としての鈴木東民」という16pにわたる論文がある。地域に根差した福祉政治と開かれた土着主義という副題で、書いている。数少ない彼の残した作文が引用されている。底本に鎌田さんの著作が引用されてはいるが。サラリーマン記者に溢れているメディアの中で、自分の言論について戦争責任を感じ、敗戦後、辞表を書いた朝日新聞のむのたけじさんに、政治家と闘いを加えた人のようである。

最後に彼の生の言葉を書いて終わりにします。1973年「ある町の公害物語」という東民さん78歳の書き下ろしに書かれてある言葉。

「釜石市では集会において発言するのは、町会の幹部とか世話役とかいわれる人々である。そしてその発言がたちまち一座を支配してしまう。その他の者は終始一貫沈黙である。(中略)多くの場合、青年や女性は聞き役であって発言者とはならない。それでは聞き役に回ったからには意見の持ち合わせがないのかというとそうではない。実際はボスの発言に対して異議もあり彼らも彼らなりに自身の主張を持っているのである」。(156p)若者と女性に優しい人であった。

明日は定年を廃止した会社。そのわけは?

  1. 東民氏の「集会において発言するのは・・・」の下りは、現代の官庁や企業においても変わってはいない。上層部から促されないかぎり意見は出ず、上司の意見に同感ですと言わんばかりの顔つきで表現する。実は上司の考えが成功すれば別だが、失敗すれば影では自分の考えは違ったが・・・となる。自分可愛さに組織内での護身術を応用すると言うわけだ。大抵の人は?生活・将来・家族・自分の事を優先し、社会・世界の事は後回しにして生きている。反骨精神が微塵も無いわけでは無いが臆病なだけだろう。反骨とは逆らう事ではなく真面な考えを優先する事。反対の表現方法にも色々あるが、せめて、バカボンのパパの様に「賛成の反対なのだ~!」と勇気を持ちたいものだ。

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