ブログを始めたきっかけ
2015年3月18日に1回目のブログを書いてから7年目に入った。ブログを始める数年前、友人から「ブログ書こうよ」という誘いはあった。「別に書きたい記事や話題もないしね」と言って逃げてきた。ところが彼の勘では、私は何かを書ける、面白い記事を配信できると思ったらしい。東芝北海道支社で発行する社内報を3か月に1回彼のデザイン制作で発行していた。道支社で人事異動や社長メッセージがないとき、12ページ建ての冊子に空きが生じる。ここを手分けして二人で埋めなければいけない。彼はインターネットとは何ぞやとかITに関して基礎的なレクチャーを書いていた。私はあまり知られていないマイナーな本の紹介をしていた。表紙は東芝にふさわしい未来を感じるCGにした。たとえば宇宙に漂う帆掛け船とか東芝社員が見たら「えっ!」と驚くデザインだった。
そんな彼にブログって何なのと聞いた。「ブログは元々起源は航海日誌という意味で、船乗りが記録として残すメモであった」と教えてくれた。「*ブログを私的な日記のように書く人が多いのも世間を海にたとえればうなづける気もする)。グーグルのWORD PRESSは利用料も安く、広告も入らず(入れようと思えば入れられるが)きれいなデザインでつくると言ってくれたので始めることにした。ブログを始めた当初は、知り合いに「ブログを始めました」とお知らせ。ネーミングに悩んだが「太古につながる生活者の目」とした。大昔から変わらない人間の営みや事件、ホモサピエンスの持つ性質やそれが果たした人類史への影響など含めて自分の住む北海道の歴史やアイヌや縄文のこと、戦後日本がどうして戦争へ暴走していったのかという日本社会全体の風潮や異端を、少数意見を押し流す社会への不愉快な気分が長い間、取れていないのでどこかで吐き出さないとバランスが取れないわけだ。アウトプットのないインプットは長続きしない。世間の観察も本の選び方や読み方も「ブログ」を書くための素材探しに向かった。自分の中にある関心ごとで現実を切っているのがわかる。
というわけで、彼の後ろ押し、背中を押してくれなかったらブログは始めていなかった。新しく何かを始めるきっかけは、どこかに必ず他人がいるという話であった。私がいるのは親がいるという話、彼らがいなければこの世に存在すらしていないわけだから。ブログどころの話ではない。
昔の少年。
何事にも何らかのきっかけがありますね。考えると今現在の自分が有るのも、あの時あれが無かったら?あの時あの人に会っていなかったら?と。思い出すとともに、何気ない偶然のきっかけが大きく関わっていた事に気づきます。しかし年月の経過とともに忘れてしまいがちですが、その都度自分に影響力を与えてくれた人たちに今さらながら感謝ですね。
seto
同じ人に接していても影響を受ける人と全然関心のない人がいました。人の好き嫌いが左右しているように見えました。私は新聞社系の広告をしていたので、22歳や23歳で赴任してくる新人が何人もいました。札幌は初めてで、私は彼らの案内役をしていました。彼らとのブレストがお互いにとって良かった。「自由討論会・雑談会」もしましたね。なんでもしてやろう、だれもしていない、発想しない企画を立てようと20年以上頑張りました。2年前に営業を完全リタイアしたとき25人から寄せ書きがきました。人を育てた感があって感無量です。ブログを書くきっかけは、彼らとの会話の数々もどこかに生きてるかもしれません。若い人から刺激や影響を私も相当受けていたと気付きます。