どんな事件も、ダムの決壊が小さな蟻の一穴から始まるように、どれだけ早く悪いニュースが伝わるかが、結果的に良いニュースになるのだということを経験や歴史で多くみられないだろうか。

第二次世界大戦の後半、大本営が嘘ではなくて、「物理的にもうこの戦争は100%負けだ」ともっと早く決断していれば、無駄な戦死者やB29の都市爆撃も原爆投下も沖縄戦もなかったかもしれない。政府にとって、国民にとって悪いニュースが結果として良いニュースに変わる。東日本大地震が起きる前に、日本中の原発であった事故隠しがもっと早く公開していれば、国のエネルギー政策を根本的に変えたかも知れない。活断層の上に原発を作ることはしなかったかもしれない。

当初、年金システム構築の際、団塊の世代が労働者として大量に働いて徴収する年金額を親世代へ支払い、世代順送りで支払うシステムに反対した学者がいた。「そんなことをしたら、労働人口がバランスを失したとき、若い世代は年金額を支えられなくなる」と真っ当に主張したが、退けられた。集まり過ぎた年金は、使い道を全国の保養施設の建設と自分たちの天下り先、2回目、3回目の退職金として受け取り、採算が合わなくなった施設は二束三文で売り飛ばして、省庁名を社保庁から年金機構と変えて、誰ひとり責任を取る人がいない。

厚生年金を始めたときに、「このままいくとこうなるよ」と悪いニュースが決定権者全員に周知されていれば、こうならなかったかもしれない。日常、私たちが仕事をしていても、取引先のおかしな動き(社長の意味不明の不在が多い、会社の雰囲気が変だ、支払いが遅れがちになる、退職者が相次ぐ)はもう倒産信号で、誰よりも早く察知するとケガが少ない。私は何度も経験し、失敗して焦げ付いた。未来を考えたら、悪いニュースを早く公開していれば良かったと後悔している。しかもその不安を抱えたままで仕事は気が散漫になるか、悪いニュースを想像の世界から追い払う思考につながる。私は急性心筋梗塞を発症したけど、なんとか生き延びた。

東芝の不正会計も「不正とは知りながら、代々の慣行で、誰かがどこかで告発すると、それ以前の経営者のほとんどを裏切る行為となる」という悪いニュ-スの公開ができず、どうしようもなくなってダムが決壊した。警察も警察への協力費とする名目で不正な税金の蓄財していた。縦割りの中での告発や不正の証言は、今でもある意味命がけの行為に変わりはない。

社会の風潮に「プラス思考」の増長もあって「どうして君は、そうマイナス思考をするんだ。皆が良いと言っているんだからそれに君も従いなさい」とい同調圧力もある。自由度、少数度の許容がどんどん減っていってるような気がするのは私だけだろうか。「悪いニュスは良いニュースなのだ」を今一度かみしめてみたい。それで私たちの命や財産も救われることが多いのだということを肝に銘じたい。

「失態を隠さない」という行為は、いまではお笑いの世界で流行っているが、日々の日常で揚げ足を取られぬよう仕事をしている人たちの逆ユートピアなのかもしれない。出世競争から無縁の世界に筆者がいるから、言える話だと言われればそれまでだが。

  1. 年金も今日のような少子高齢化になると想定していなかった時代の産物に様変わりしつつありますね。余剰金を増やす目的で新規事業を立ち上げてもすべて水の泡と化して大きな損失となりました。システムそのものの構築時点で気づきそうなものですが、当時は何でも右肩上がりを常識と考えていた関係者のアバウト過ぎる考えが根本にはびこっていたのでしょうね。年金に限らず「国のする事の反対を考えていた方が正しい」と、ある人が言っていましたが、それは極論かも知れませんが、相手が誰であろうとも何でも鵜呑みにせず、もう一度自分の中で、もう一度シッカリとかみ砕いてみて行動する事が正しいのかも知れませんね。

    • 実際、年金の仕組みをつくるときに、広告マンさんが言うように「反対」をしていた学者がいました。年金を支払う人が年金をもらう直近の世代へ支払うといずれ人口比で崩壊するから、世代の年金は世代でプールすると提案しましたが否決されました。団塊の世代で使いきれなくなった年金を社保庁は全国に保養施設をつくりまくり、天下り先を確保、2重の退職金をもらい現在でも悠々とした暮らしをしています。私の周りに住んでいます。そして経営失敗、誰一人責任を取りません。戦後最大の地球規模の不況の渦に入ります。円安が続き、物価が上がり、賃金減少、非正規雇用失業、うつ病増加でイライラ感と未来への大不安です。ニュースになったときは事件はもう終わっています。事件は映像化される、活字化される前に起きていて誰かがそれに解説文を付けるか、映像も切り取られて編集され、生の真実は届きません。

  2. 「サンセイのハンタイなのダぁ~!」天才バカボンのパパのセリフですが、例えば、一度認めたにしても、後に間違いと分かれば、ガンとして受け入れないくらいのしっかりした判断や決断は必要ですね。組織内では難しい事も多いとは思いますが、結局は、その判断や行動が、最終的にその組織の為になる事も考えられますからね。

    • 新しい事業で全員が「それはいい」というアイディアはほぼ失敗します。一人の異常なほど思いの強いプロジェクトのほうが成功する可能性高いですね。組織ではなくまず個人でさせるのが賢明でしょうね。昔、札幌軟石の特集を考えました。みな「石か?」とびっくりされましたが、石山の石材会社の社長が100万をだしてくれました。さっそく北大の地質学に伺い、樽前山と支笏湖の爆発を記事にして軟石特集できました。小学生のころから、この石が私は大好きで舐めっていましたから。元気があった、経済が回っていたからできた仕事でした。社会性を狙う仕事ばかりつくってましたね。それをお金にしたいというわけです。

  3. 会議とかプレゼンテーションで良く見られる光景ですが、双方とも頭数は多いのですが、意見を言う人が少なく、上司の顔色を見ながらの発言ばかりですね。例えば、上司が一言「ボソッ」と発言すれば、それに同調する様な意見ばかりになる訳です。つまり自分の意見があっても言わない訳ですから、その路線でどんどん事が進むのです。ですから良し悪しは別にして、他社競合プレゼンで決めたいなら、その場に立ち会う上司の癖や趣味を知る事が近道だとさえ言われて居ましたね。本音で話せるクライアントなら最高なんですがね。無条件で「上に右にならえ!」は良い結果にならない事が多いですよね。

    • 大事な会議での発言は、後出しじゃんけんの要素ありましたね。ほぼ意見が出そろったところで「ワンコメントつけてまとめに入る人」がいました。いかにも整理されてきれいな企画になるのですが、その人自身は言いっぱなしで、まず動こうとしません。あだ名は「つまり君」と言われてました。世間のニュースも「つまりその・・」と解説を始めます。NHKのニュース解説、中道を行く(本人は思っている)、いかにも秀才臭を出す人でした。ゴマをすりすりしましたが役員へはなれませんでした。彼にとって悪いニュースは全社的には良いニュースでした。

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