「この犬は僕のだ」(パスカル・パンセ295)
争いや戦争の原因、不幸の原因に横たわる人間の心的心持ををパスカルは言う。新潮文庫 前田陽一訳
「この犬は僕のだ」と、あの坊やたちが言っていた。「これは、僕の日向ぼっこの場所だ」。ここに全地球上の横領の始まりと、縮図がある。(パンセ 295)
犬をお金や土地や水や油や彼・彼女の財産や親の遺産・地下資源・ここの地位や権力は僕のものなど置き換えると、よくわかる。最近の衆議院選挙にこれをあてはめると、ここの地盤は僕のもの、この団体は私の票田。営業先でいえばここの会社の宣伝は私のもの、私は何度も追い出された記憶がある。そして、戦いになると目の色が変わる人が多い。それはあの人が元々あった性格というより、誰しも同じ状況になると「天使になろうとして豚になったり」「善人だった人も残虐な人に変貌する」。紙一重の世界に生きていて、それは小さな子供の世界から老人ホームまで、古代から21世紀まで、いや23世紀まで世界中の大陸間で日々、残虐ゲームが多発して終ることがない。
パスカルが気を紛らわすこととして パンセ139
「人間のさまざまな立ち騒ぎ、宮廷や戦争で身をさらす危険や苦労、そこから生ずるかくも多くの争いや、情念や、大胆でしばしばよこしまな企て等々について、ときたま考えたときに、私がよく言ったことは、人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かに休んでいられないことからおこるものだということである。」92p
坊主の孫。
自分の物だけで満足せず、他人の物まで奪い取ろうとするのが戦争ですね。まともな話し合いでは奪えないので暴力や武力で奪い取る訳ですね。それから守る大義名分の手段として反撃に出るからエスカレートします。目には目を、歯には歯をとなり、結果は必ずしも正しい方が勝つとは限りません。西部劇でもありませんが、丸腰の者には銃口を向けない暗黙のマナーが有れば、ある程度の国際平和は保たれるのでしょうがね。
seto
農業が始まり、定住生活を人類が始めたときから戦争は始まっています。それまで狩猟採取の暮らしのときは、食べ物なくなれば移動して10人から20人くらの集団で生きてきました。地球環境(寒冷化)の影響でだんだん採取する暮らしができなくなったとき、偶然、小麦や畑作の種子が大きな川の近くで植えられて町がつくられ、耕作が始まり町には必ず「壁」を作ってきました。壁をつくるということは、誰かが侵入して盗む習慣がそのころから始まったんでしょう。人類史でせいぜい5000年や6000年程度ですが、狩猟採取生活は10万年以上続いているわけで、こちらの歴史が長いわけです。日本の歴史も稲作の弥生より縄文のほうが時間的にずっと長いわけで、争いも少なかったと思いますよ。文明は果たして幸福度から見て、ホモサピエンスに幸せをもたらしているのかどうか議論が始まってます。インターネットも人々に手渡すのが早過ぎたという人さえいます。「この犬は僕のだ」というパスカルは、せいぜい聖書時代くらいからの人間を「人間」と定義してますが、もっと何万年前の人も「人間」だと仮定すれば、パスカルの人間観も変わった気が私にはします。映画や漫画、歴史書、戦争史、テレビに出る歴史研究者は、ほぼ農耕生活後の人々について講釈します。ほぼこれに尽きます。しかし、果たしてそうなのかという本を今読んでいます。ご期待を。