寓話2回続き、この辺でお水を飲みましょう。
私の住む恵庭はサッポロビール工場もあり、自然水が美味しいらしい。私は水の味には正直詳しくない。ボランティアを一緒にしている仲間から、水をもらい、その場所を確認するために「アンビウォーター」に行く。地下90メートルから汲み上げる天然水だ。出しっ放しにしているので蛇口にペットボトルを置いて15分で100円。8リットルのボトルを9本持ち帰った。雪の多いところの水はどこでも美味しいと言われているが、私は水道水でも飲めるだけ幸せという感覚だ。厚揚げと豆腐の美味しい店も発見した(うのや藤井)。道産大豆でつくる厚揚げは値段は少し高いが、焼いて醤油をかけるだけの贅沢をしている。人間の体の約70%は水だ。50キロの体重の人なら35キロは水分だ。人が歩くとは水が歩いているともいえる。砂漠のオアシスから考えると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も考えてみると「オアシス」を取り合う殺し合いにも思える。生きるとは水を飲まないと始まらないから。隣町の千歳にも自然水を飲める場所がある。支笏湖から流れる唯一の河川千歳川。ここを含めて支笏洞爺国立公園の周りは名水だらけだ。有名な京極の名水もある。羊蹄山の雪水だ。名水の近くに必ず豆腐屋さんがある。豆腐も冷たい水の中に沈んでいて水をたっぷり含んでいる。少年時代を過ごした札幌東区は札幌の扇状地で、藻岩山から流れる水が東区で吹き出す。そこでサッポロビール工場、雪印乳業、福山醸造、北の誉、千歳鶴、宝酒造もあった。水を多用する食品メーカーが続々できてその家族も多く住んでいた。水と縁の深い所で生きてきたのだと思う。中学時代、豆腐屋のせがれ小笠原君の家はいまでもあるのかな?彼を待つ間、お母さんんがくれた「小揚げ」が美味しかった。「もう少しで来るからこれを食べてて待っててね」。
昔の少年。
少年時代に過ごした田舎の谷水は忘れられないですね。我が家から北陸線の駅までは歩いて40分余りかかりました。夏の暑い陽射しの中、丁度中間地点の隣村に道路に面して格好の冷たい谷水が流れています。それを両手ですくって飲むのですが生き返ります。夏休みに東京の甥や姪たちが遊びに来た時に教えたら、何と?谷水どころか大川の水まで美味しいとか言って飲み始めたのにはさすがに驚き、すぐにやめさせました。田舎の私達は大川では泳いだり魚を突いたりはしますが水は飲みません。それに時には川遊びも禁止されます。何故なら上流の村落で毎年夏には伝染病が発症していたからてす。見かけは同じ清流にもいろいろですね。
seto
その水が当時の昔の少年さんの体を一部つくっていたんですね。山歩きをする人は必ずカップをリュゥクに下げて山歩きをしてます。私も沢の水を先輩に教えらえながら(キタキツネからのエヒノコックスあるので)飲んでいました。きれいな水=安全な水ともいえませんから、都会から来る子供は何でも飲めると勘違いするかもしれません。泥水から飲める水をペットボトルで作る訓練を小学校でしてもいいですね。いつか役立つ日がきます。砂利と砂の用意です。水辺に来るとほっとしますね。進化の過程で海から陸に上がった先祖たちの流れを汲んでる哺乳動物だからなのかもしれません。海につながる川ですから。昨日,汲んだ水でコーヒー飲んでます。
昔の少年。
親に頼まれて朝早くアルミのボールを持って20分ほど歩いて豆腐を買いに行きました。仲良しのクラスメートのミッちゃんの家は豆腐屋と駄菓子屋さんです。行くと必ずオカラにサービスとお使いのお駄賃に飴玉をくれました。家に帰って朝食を食べていると今度は朝早い豆腐屋ミッちゃんが我が家に上がって僕の朝の支度を待って一緒に登校です。僕だけ家から学校は目と鼻の先ほど近いので、いつもギリギリまで家にいました。そんな繰り返しが小学6年生まで続きました。あれ程仲良しだったのに中学になりると何故か自然と縁遠くなってしまいました。
seto
駄賃をくれる楽しみでお手伝いをしていたかもしれません。リヤカーで豆腐は売りに来てましたね。札幌駅の北口に馬車が走ってるころで、車は少なく、鍋を持って私も母の手伝いをしていました。ここでもやはり小揚げでしたね。家に着く前に食べることもありました。豆腐屋さんって、しっかりその地区の人たちと食べ物でつながっていて生活共同体の柱みたいなもんです。食事がその家庭をつくるとしたら、応援する商店とでもいいましょうか。品数の少ない料理が多かった中、豆腐は偉大な存在、揚げも大事な働きをしていました。豆腐屋さんの娘さん、肌が白そうですね。絹豆腐、好きだったりして。