〇〇さんへ

観光船の行方不明者12名、船に一人も残っていなかったのは意外でした。最後の最後まで船長と甲板員は乗客を海に逃したこと、断末魔の最期、阿鼻叫喚の地獄絵を想像しながらニュースを聞いていました。

晩年を生きるものとして、人間の一生について日夜考えています。長生きするはずだった級友達が先に死んで、早死にするはずだった自分がが残っている、自由気まま、不規則な日課、いい加減な食生活、長生きしているのが不思議な、信じられない超高齢者なのです。心臓手術とペースメーカーのおかげと思っています。 神からいただいた寿命を大切に、〇〇さんも長寿を全うしてください。ではまた。

*〇〇は私の氏名。

テレビ局でディレクター仕事をし、ドラマのシナリオを書いていた才女。社内結婚してのち離婚。子育てと広告代理店の営業職に転職し、私と出会った。代理店では数人と組合をつくろうとしたため、社長の逆鱗に触れ、退職まで嘱託に甘んじ給与も歩合にさせられた。小説や短歌を書く女性であった。好奇心も旺盛でワープロを社内で購入したとき、誰よりも早く覚え習熟していった。表現欲求の強い人は慣れるのが早い。お茶の水大学を出て現在90歳。鉱山技師のお父さんに連れられて北海道に渡ってきたのである。

10時間に及ぶ心臓の大手術のあと、ペースメーカーを入れている。それ以外にも病気のデパーとみたくあちこち痛んで入退院を繰り返して、札幌東区の戸建てに一人で住んでいる。心残りは優秀な一人息子が近年離婚して孫ふたりを失ったことだ。「私の離婚が息子に影響を与えたのではないか」と自分を責めていた。動きがままならないので趣味の短歌を書き続けいる。全新聞に投稿している。新聞にときどき彼女の名前を発見することがある。i-padからメールが来る。

頭大仏 真駒内滝野霊園 安藤忠雄作 撮影筆者 2021年12月
  1. 何かを書き続けていたり、描きつづけたりする人は孤独に耐えられるようですね。考えてみれば父も独居生活が長かったですが、やはり短歌や絵画をたしなんでいました。新聞にも投稿していましたし、絵のお仲間と集まったりもしていました。田舎には同じ趣味の人はいませんでしたので町に出掛けていました。私も家を離れて木浦していたので町にでて画材屋に立寄ったとき偶然にもバッタリ父と遭遇し、一緒に映画を見て別れたものです。高齢になってもジッとしてばかりいないで何か少しでも行動的に過ごした方がいいようですね。

    • 書道家・画家・俳人・短歌詠む人、工芸家やシナリオライターに長生きする人多いですね。一つの道を年齢に関係なく生きる(つくる)人は長生きできそうです。守銭奴も金だけに執着すれば長生きでしょうか?しかし、これって創造ではないですから、きっと長生きの効用はなさそうですね。亡き後、争いの種残すだけかも。昔の少年のお父さんも、趣味に時間とエネルギーを注いでいたのでしょうが、どこか父親に自分が似ていることにきづきますませんか?

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