東京で課長をしていた男が突然、北海道へ人事異動してきた。なんでも彼の部下からうつ病が2名発症し、これ以上増やすわけにはいかないと判断されて、札幌にきたわけだ。今度は次長で赴任したが、叫ぶ・叱る・ののしる癖は行きたくもない札幌でさらにエスカレート。部長も止められず、職場環境は最悪になっていったのを覚えている。相手の人格攻撃が凄いのだ、周りもびっくりで、1年置かず、東京の閑職へ送られていったが、もう部下はつけないほうがいいなあと思ってみていた。こういう上司は、実際、どこの企業も何人も抱えているから、うつ病を社会的な云々で語られるが、実際、苦しくなった人から言わせれば特定の一人だということは忘れないでほしい。一人なんだ。周りはそれをただ真似をしているだけ。ここだけは押さえてほしい。小学校や中学もそうで残酷な言い方だが原因は特定の一人なんだ。声の大きい、断定的な物言いをする、命令口調で話すのが特性だ。で、彼(彼女)もすでに不安神経症を患っている。ただ、私の前職では1フロア40人中、鬱にて休職が総務から営業まで7人出てきたのは参ったが、うつ病の原因上司が、今度は人事で制作から営業へ配置転換されて会社に出てこなくなった。若いなら退職をして次の仕事を見つけるはずが、50代での人事異動は給与的にも無理があるので病気に逃げた。カラダが無理ですよとサインを出した。そういえばアル中気味の3人が鬱になっている。社長もアル中で鬱っぽい性格で2名を鬱に追い込んでいる。社長の特徴も「声が大きい、断定的な物言いをする、命令口調で話す」。小さな会社はトップの性格が伝染するから、うつ病もそういう意味では伝染性があるかもしれない。そして全員、長期休暇を終えて、元気に帰ってきた。営業部長は苦手な外回りをしないでいい、数字を上げないでいいと社長から毎夜の酒の太鼓持ちで内諾をもらったらしい。居酒屋が病院だったんだ。良かったね,治って。

  1. 昔の営業マンは見た!

    『♫サラリーマンは~気楽なもんだと来たもんだ~』植木等の唄でも無いですが、嫌でも、怒られても、しがみついてさえいれば給与もボーナスもちゃんともらえて、しかも有給休暇なる便利な制度で休みながら給与も貰えて、それらをあてにして平気で大型ローンを組んで安泰の定年を迎えて退職金に年金を貰って旅行やお洒落やショッピングなどで余生を過ごすなんて本当に気楽です。但し、嫌な上司や嫌な仕事はジッと我慢して定年まで働く事が条件です。しかし、今の若者たちはそんな気の長い人は殆どいなくなって、就職直後から転職を考えているそうです。理由は自分のスキルアップらしいですが、果してご本人のスキルに見合った仕事などが有るかが問題ですね。どこも人員不足と言いますが、手を汚す仕事が嫌われるだけで、選ばなければ仕事はいくらでも有るはずですね。『古い!』『ダサい!』と楽して稼げることばかり考えずに、もう少し苦労も経験した方が良いのでは無いか?と思うのですが『スマホ命』の若者たちには通じないのでしょうね。昔で言う、ホワイトカラーのサラリーマンばかりで世の中は動いていない事も知るべきですね。

    • 前段のコメントは素晴らしくて、サラリーマンのお手本を見事に書いてます。自分も似たような価値観持ってました。スキルアップと言っても1年や2年でわかるはずもなく、実は社内の人間関係で転職希望する人多いと思うのですが。手を汚さず、オフィースできれいな仕事を願望しているんでしょうか? スマホがホント命に近い人いるでしょうね。寝ても起きてもスマホチェックですから。パソコンのメールチェックと似ていますが。働く人が強気の時代になり、働き場所はどこでも探せる環境かもしれません。若いときはいろいろ苦労したほうが20年30年先に生かせると思う私です。浪人して、大学中退して、履歴書送っても全部戻って、27歳でようやく正社員を見つけた私なので、いまは恵まれていると思います。でもそれが恵まれていると言えるかどうか、人生全体を考えるとどうかわからないです。SNSがあるがゆえに苦しんでいる人も多いと思いますが。

  2. ゼロ戦パイロットの弟。

    酷い上司と言えば居ましたね。部下を馬鹿扱いする言動の毎日で会社に行くのが憂鬱でしたね。時には通勤途中で回れ右して病院に行った事も有りましたね。原因は過呼吸で具合が悪くなったのでしたが、原因はハッキリ言って上司でした。いわゆる現代で言う『鬱』だったんですね。それでも、その上司が居なくなるまで勤めました。苦痛でしたね。当時はそんな事は常識の範囲内と言う世相でしたから、誰も相談相手などしてくれませんでしたし、皆んな同じ経験者ばかりでしたからね。求職なんて考えもしなかったですね。そんな相手の口を封じる手だては、売り上げを上げる事でした。筆頭営業になれば、何も言われない事を知ってから頑張りましたね。忙しくて寝る暇も無く働きましたから見る見る内にトップの成績にまでなりましたが、月曜朝の会議では私より年上の他の営業の方やり玉にあげられて気の毒でした。しまいにはその方も堪忍袋の緒が切れて喧嘩して辞めて行きました。今ではその上司の名前を毎日の新聞のお悔やみ欄に無いかと楽しみにさえしています。勿論参列や香典など毛頭考えていませんけどね。しかし余り世の中の為にもならない人ほど『憎まれっ子世にはばかる』の通り、中々死にませんね。

    • 過呼吸でパニックになるやつで私も持病でありました。鬱は昔のノイローゼというネーミングで、抗うつ剤はものすごい量を使ってます。日本でも世界でも。悩みを相談する人がいるのといないのでは、雲泥の差で心が楽になりますから、定年後も作っておくといいなあと思います。憎まれる上司はしかし、定年後も近所で余されてると思いましょう。そこからが長い人生です。ぼっち問題があちこちで語られ本も売れています。孤独や孤立するおじさんたちです。暇で暇でしょうがない、しかしプライド高いので「かまってくれるな」という生き方を選択したおじさんたちですね。誰かのために生きたいものです。

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