『利己的遺伝子』の40周年記念版の50pに書かれていたドーキンス博士の言葉。『進化は未来のことなどおかまいなしだ』。自然現象もそうだし、考えてみると、突然変異は、次に生物の変化(進化)を予告するのだろうけれど、合目的的(高いところの実を食べれるように背が高くなったとか、空を飛ぶために羽が付いたとか、生物がある目的のために変化することを合目的的という)に変化しているわけではない。結果としてそうであっても、その目的のために進化はしない。はっきり言って偶然の出来事でしかない。

なぜ、人間は二本足で立ったのか?二本足で立ったから二本の腕を使えるようにはなったけれども、腕を使うために二本足で立ったわけではない。京都大学の今西錦司さんは『ある日、突然一斉に立った。』である。世の中には理由のない事柄がたくさん起きる。現に毎日起きている。私たちはいつのまにか『因果論(律)』に大脳が捉えられていて、起きてしまった事柄を平気で原因分析をして結論出してチョンで終わる。しかし、ドーキンス先生は『未来のことなどおかまいなしに進化が発生する』と言う。突然、3本の手を持つ生物が出てくるかもしれないし、目が3つあったり、頭が三角形かもしれない。何でもありなのである。

『私たちにとって都合が悪いよ』と言っても、進化は自然現象と同じで関係ない世界なのである。いつのまにか人間は、生物の中でとても高尚で、賢くて言語を操り、次々に発明をして、文化や文明を築いてきたけどそれも偶然の出来事で、昆虫や花という生き物は作れない。人間とは何かとギリシャの哲学者や古代の賢人は問いかけてきたが、いまだに結論が出ない。発言者が自分の立ち位置で都合のいいように答えているに過ぎない。人間とは気まぐれな動物だ・・が一番近いかもしれない。

夢も希望もなくなってしまうが、明確な目標を立てて毎日努力を惜しまない人間が評価される世界ではあろうけれど、その背景には人間の価値観は変わらないはず(努力は大いなるプラス価値、誰よりもお金持ちになる、出世する価値、子供をどの子供より難しい学校に入れて、未来の幸福が約束されるだろう位置につける・・などなど)。しかし、果たしてそうか?幸福という価値観にしても、みなさん十分経験済みではあろうけれど、瞬間的な出来事に過ぎない。不幸が来るというわけではなくて、幸福感はすぐに去ってしまう。偶然な出来事で、偶然であるがゆえにより強い幸福感を瞬間味わえるだけ。『進化は未来のことなどおかまいなしだ』。未来は何があるか予測がつかない、やはり『一寸先は闇』が真実ではなかろうかと思うきょうこのごろ。

 

  1. 立派な理論も仮説から成り立って居る事が多いですね。何か仮説を立てなければ前に進めないからで、それらは自分勝手な都合から考える訳ですね。仮説は仮の説ですから、それが真実か?または正しいのか?は誰にも分かりませんが、分からないだけに適当に結論づける事も可能な訳です。太古の昔、あの巨大な生物の恐竜が支配していた世界が、何と?今や絶滅。小さな我々人間が席巻して居ます。と言う事は、同じ事はまた起きうるかも知れないとも言えますね。未来予測は、多少の変化は有るとしても、実際には過去の繰り返しでしか無いのではないのかも知れませんね。

    • 歴史は繰り返すと言うのは本当かもしれないと最近思いますね。どこまでが仮説なのかわからないときがあります。メディアのコメントなども憶測・自分の願望を入れた予測、誰かの借りものの言葉の泥棒、直接的に見た聞いた話でもなくて、推理だけが先走りますから。映像にしてもどちらの側から撮影しているかでまるで変わりますから、どこに真実があるか自分で分析しないとね。戦争は大本営同士の発表で、嘘も多いし、目も当てられない残酷なシーンだらけで私は心臓がばくばくして正視できません。進化の未来は恐竜と同じ運命になる気はしますね。しまし、ホモサピエエンスの次に新しい生命体が繁栄・跋扈するかもしれません。進化はおかまいなしに未来へ進むということでしょうか?もっと足元を大事にして、武器などで相手を殺したり、ロケットを開発したり、やめて欲しいものです。

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