日本人の良質な生活規範は北海道にいっぱいある(保坂正康)自由・寛容・多様性・包容力
札幌生まれの昭和史研究家保坂正康さんが、2012年11月25日、道新フォーラムで講演したとき語られたコトバ。全国の府県から移住してきて、集落をつくり、開墾して作物をつくり、寒さ(冬)との中を生き延びてきた。戊辰戦争に敗れ、薩長の維新政府から逃れて、札幌山鼻地区には伊達藩、会津藩、津軽藩など旧幕臣が屯田兵として入植した。家族を含めると1114人。100年以上にわたって彼らの結束や協力で各界に様々な人材を輩出してきた。山鼻地区にとどまらず、明治16年十勝の原野に晩成社をつくり28歳で入植した依田勉三もそうだ。未来の生活を目指す開拓団でもあった。故郷の言葉や習慣・地名・行事も開拓人が携えてきたのは言うまでもない。
新十津川は明治22年の奈良県の十津川村の大水害の被災民2489人がトック原野に入り、新十津川村をつくった。私の母は仁木町に入植した徳島藩の安崎一族の末裔だと自慢していた。阿波踊りも仁木町で育てられて、後のよさこいソーラン祭りのヒントになった。小樽や函館、松前,江差は北前船全盛のころ、京都からきれいどころをはぶりのいい商人が連れてきて、地元民と文化につなげた。文化は必ず人を通して伝わるから、北海道は全国各地からの祭りを含めた習慣や言葉が混合される。加えて冬の暮らしに長けたアイヌ民族がいる。山鼻で暮らし始めた屯田兵の冬の暮らし方、寒さへの備えの衣類と住居のアドバイスもアイヌから教えてもらった。さらに開拓使はアメリカからお雇い外国人を高い給料を払って連れてきた。来道した78名のうち48名はアメリカ人で中でも農業から地質・酪農まで指導したホーレスケプロンは年棒4000万から1億円出したとされる。欧米文化の移植を急がせた。西部開拓の経験があるアメリカ人を多く採用したのである。鉄道や鉱山開発にも着手した。詳しくは下記のHPに詳しい。北海道博物館主査の三浦泰之さんの「北海道の開拓とお雇い外国人~欧米文化の移植」
https://ishikari-c-college.com/topics/2016/1012-150-1.tm
ジャガイモが寒冷地に適した作物だと発見したのもこのころだ。筆者のブログ「北海道のジャガイモ」に詳しい。開拓民の食料として「愛欄(アイルランド)種バレイショ」が強健で病害にも強くて採用された。デンプンは第一次世界大戦に英国へ輸出するまでに成長した。麦やホップも植えられて後の大日本麦酒(サッポロビール前身)となった。戦後の財閥も基礎は鉱山で、石炭(空知)や金(鴻之舞)で大儲けと人災を引き起こして、財閥の基礎をつくった。
ここで、最初のテーマに戻ると「日本人の良質な生活規範は北海道にいっぱいある」の意味が、全国各地からの移住だけでなく、お雇い外国人たちの夢、石炭で一儲けを企む財閥たちと労働者、日高へ入植した淡路島から来た人たちが未来のサラブレッド、馬産地の礎を築いていたことは「静かな大地」(池澤夏樹)にも詳しい。厳しい冬を乗り越えたり、大木を切り倒す倒すためには人々の協力、共同体の安定が必要である。なんといっても人々が優しい。
先月、今月と東京本社の人間が北海道に半分仕事・半分プライベートで来る。時間があればたえず、気になる北海道に帰ってくる。北海道が公私とも第2の故郷になっている。このお宝をどう今後、生かしてゆくか。美味しい菓子や食品や清涼な空気や花畑だけでなくて、変わり者がやってきて大樹町でロケット起こしをしたホリエモンのような人。細かい契約には弱い部分のある道産子だが、楽しい土地や仕事をつくりたいものである。全国各地からいろいろな地域の習慣・方言を持ってきてもお雇い外国人みたく、世界から来ても、広い北海道で受け入れられる素地が明治から続いているので、そこで醸される排他的ではない風土が日本の未来を変えていく可能性を多く秘めている。
昔の少年。
移住した頃の半世紀も前の北海道には人情も風景にも優しさがありました。今や、すっかり変り果てて北海道らしさは消えつつありますね。あの頃の中央区は桑園あたりにも有ったマンサード型屋根の住宅や郊外のサイロなどの姿や歴史的洋館建てもすっかり消え失せ、コンクリートの建物ばかり。しかも超高層さえ林立し始め、東京などと変わらない状況を憂うばかりです。札幌の都市景観は素晴らしかったのですが、すべて無くなりました。行政の失策が招いた成れの果てですね。
seto
札幌っ子の私としても、残された通り、南2条通りや3条、屯田通り、山鼻界隈、北9条や10条など昔の札幌を電車に乗って探したいと思いますね。市電も札幌駅前まで走らせれば景観も回復すると思います。計算できるコスパなんて市民感情の落ち着きをもたらす、旅行客に「サッポロだ」を与えるとんでもなき効果があります。お金では買えられないノスラルジーがります。景観が情操を養うことを再度考えて欲しいですね。ウクライナやガザ、アフリカの破壊された瓦礫を見ると、心死んでしまいます。北1西5にダイゴビルがあります。大理石で作られたビルでとにかく清掃が凄い。エレベーターもきれいです。真鍮部分はピカピカ。昔のビルづくりに流行った大理石と真鍮ですね。敷島ビルも大理石をつかってます。ホテルニューオータニの壁も一部大理石残り、化石探しにはいいですね。何でも壊してつまらぬ建築思想家のガラスとコンクリート、せいぜい吹き抜けを高くして開放感を出す思想ばかりで個性がありません。生命保険会社のビルに多いですが、海外の建築家に依頼するほうがいいのではないでしょうか?北欧の建築家ですね。一番、札幌で欠けているのは色です。ビル看板の多さです。しかし、人情はおじいさん、おばあさんから学びたいものです。
馬鹿に馬鹿野郎!と言った私。
昨日も嫌な思いをしました。私は小路からグリーンベルトの有る幹線に出る為車が来ていない所を見計らってグリーンベルトの辺りまでクルマを進めました。でも入りきれずに少し後部がはみ出ました。ところがフルフェースのバイクが猛スピードで迫って来て横車線にはクルマが1台も居ないガラ空きなのに、グリーンベルト幅からはみ出した私のクルマの後部直前で急ブレーキをかけ、アクセル音で「ブーン!ブーン!ブーン!」とわざとらしく威嚇。クルマが空いたので私がクルマを進めると、今度は、またアクセルの超爆音の連呼で走り去りました。北海道にもこんな奴が居るんだ?と。思わず「死ね!馬鹿野郎!」と、もう一人の自分の口から汚い言葉が飛び出しました。こうしてマナーの悪さが広がるんですね。どうやら譲り合う精神を教わらなかったんですね。やっぱりバカは死ななきゃ治らないんですね。本州からのバイク乗りの方がマナーが良いですね。見習いなさい!北海道が馬鹿にされますよ。
seto
道産子ドライバーはランプを出しても譲らないことで有名ですが、バイクもそうなんですね。アクセル音出すのが趣味みたいなバイク野郎が夜も36号線を走っています。寝室にまで聞こえてきます。パトカーの追跡音も聞こえることがあります。事故なければいいですが、怖い時代です。俺が先、俺が先志向ですね。棺桶に早く入りたいのでしょうね。