イベント失敗談(講師が来ない!)
1)割りばしを減らして、昼ご飯を食べるときには自分でハシを持って食べようという運動が広がった時期がある。マイはし運動である。札幌でも割りばしをたくさん使うお蕎麦屋さんを中心に、マイハシ運動を盛り上げようと札幌パークホテルで講演会を開催した。午後1時からの開催で、大阪にマイハシ運動の事務局があって、そこの事務局長に講演を依頼していた。当日、テレビ局のカメラクルーも来て、地元ニュース素材に使う準備をしていた。12時までにホテルに入る予定であったが来ない。焦った。先に札幌入りしていた事務局員から大雪で伊丹へ事務局長が降りられず帰ったというのだ。冬の講演イベントは危険だ、せめて前日に到着しないと。さてどうする。会場で配られる資料は出来上がっている。偶然、副事務局長が『私,講演できますよ』と助けてくれた。彼は1便早い飛行機で来ていたのだ。冬の飛行機は怖い。パニック障害を発した私はいまは飛行機に乗れない。そもそもあんな物体が空を飛ぶなんて信じられないくらいだ。講演も上手でその日のテレビのニュースには間に合ったみたいだ。いまはプラスティクストローを紙ストローに素材を変えている。リサイクルに向けて産業は回転していく。
2)美しい摩周湖を持つ美幌町で道民を対象に健康教室のキャラバンを開催した。参加者にはホクレンから牛乳パック(250cc)が配られる。1か月前に美幌町の保健所と打ち合わせも終わり『150人くらいはすぐに集まりますよ』と自信満々の保健課長。当日の開始時間は1時。12時45分を過ぎても町民がグランドホテルにやってこない。焦った!保健所の人に聞くと1週間前に町民対象に「健康祭り」を実施して終わったばかり。まだ20人でガラガラ。私はホテル内を走って、「制服を脱いで、できるだけホールに集まってください」とお願いし続けた。会場の椅子を半分にして、仕切り版を前に持ってきて講師の人に失礼がないよう配慮してなんとかイベントを乗り切ったが、反省会が暗い暗い。「私、タバコを飲みに行きます」と一人二人外へ出ていく始末。
アドマン。
講演会イベントは企画しましたが、終了するまでの心労は計り知れませんね。先ずは講師の殆どが道外、それも海外までもありましたから当日まで気がもめる事ばかりでしたね。マネジャーなどの付き人がいる場合は左程でもありませんが、ご本人との間でのブッキングは作家など気難しい方も居て開催時間が迫る会場前で気を揉んだものです。そんな私を尻目に、短波ラジオのイヤホンで競馬放送を聞きながらニヤニヤと到着する講師の方さえいましたね。でも反対にキチンとした方々も沢山いらっしゃいました。回を重ねると考えたのは、予め地元の方で講師を出来る方をご招待しておいて、イザと言う時の為に準備した事も有りました。講師の方々の心配ばかりではありません。司会に地元放送局の女性アナウンサーにお願いしたのですが、事も有ろうに私が書いたシナリオを読むだけでしたが、幕間で聴いていた私は赤面しました。大勢の聴講者に向かって、彼女は堂々と手渡した台本を読み上げて居ましたが、最後の方で、『何卒よろしくお願いいたします』と結ぶところを、何と『なにそつよろしくお願いいたします』と、しかも自分では気づかずに堂々と宣わったのですから、会場はざわめき、失笑を買いました。幾ら若いからと言えプロのアナウンサーですから?と呆れましたが、しかし私も反省しました。プロだからと本人と読み合わせをしなかった事、それに最近使わなくなった漢字を使って文章を打ってしまった事を。
seto
なに卒お願いいたしますの話、いいです若いアナウンサーだったのでしょう。フリガナを必ず原稿につける必要ありますね。以前、していた日テレのニュースゼロでジャニーズの桜井さんのために読み上げる原稿(カンペ)を大きく書いて準備する、自分で話せないので、その準備で疲れに疲れたと関係者が話していました。今回の岸田のアメリカでの演説もバイデンのスピーチライターが書いた英文を予め日本の首相官邸に送り、それを練習して朗読したものです。構造は自分で自ら発言できない、頭の悪さ、ふだん勉強や苦労をしていない、現実体験のお粗末さですね。困らない暮らしを長くしているとこういう人間が出来上がります。自分以外はどうでもいいのです。現場は失敗の話がたくさん転がっています、責任も発生します。真剣です。ア責任者はひとりで他人に転嫁はできません。失敗で会社に損害を与えるわけですからね。講師に恥をかかせるわけですからね。
アドマン。
失敗と言うか、早朝、突然起きた大地震で開催二日目の早朝に会場撤収。もう一度は強い台風接近で当日も雨に見舞われ翌日の豪雨と強風の天気予報を聞き、初日から不安で翌日の中止を覚悟した事です。丁度、北海道マラソンも中止を決めたので、私も中止を決定。その日の夕方にはテントも設備も全て撤収。翌朝までに中止理由とお詫びの看板を作成し、翌早朝に看板を空っぽの会場の真ん中に設置してきました。台風の最中にイベントに訪れる人は居ないとは思いながらも万が一のクレームに備えたのです。これまで晴れ男を自負していた私ですが、とうとう神通力?も弱くなり、その後の屋外イベントの前日にはテルテル坊主を沢山作って神頼みをする始末です。今も来週のイベントの準備中ですが、今回は屋内会場のため、天候の心配からは解放されてホッとしています。
seto
天候ですね、冬のイベントは講師はせめて前日に入らないと危険な北海道です。大阪から来た講師も午後からの講演だったから当日、札幌へ入ればいいと本州感覚でいたのでしょうね。怖いことです。屋外イベントも事故はでますね。kィヤンプイベントはケガですね。病院と提携をしていました。郵政局のイベントでは資料作成間に合わず、担当の人が左遷されたました。私のせいでした。スドウさん、いまいずこ?ずっと私を恨んでいるでしょうね。印刷製本をを外注した会社の社長、昨年、自宅で孤立死、発見されました。独身でした。余談ですけど。