他人から攻撃を受けやすい人?!
昨日「他人を攻撃せずにはいられない人」を書いたが、今日は「他人からの攻撃を受けやすい人」について書いてみる。自身が小学校2年から4年まで住んでいた町の不良中学生Hが監督をする野球チームに入っていた。
どういうわけか、私はその監督から嫌われていて、カラダの小さな非力な小学生の私は、得点チャンスにわざと代打に出され、凡退を繰り返した。小4になったある日、長屋の裏に小学生のチームメートを集め「きょうの試合に負けた原因は筆者がチャンスに打てなかったからだ」と断定されて、ビンタをHから食らった。そしてすべてのチームメートに私へ罰としてビンタをするよう指示を出した。
びっくりしたのは、低学年の小学生が親分の命令を粛々守り、次々に私へビンタを繰り返したことだ。手加減をして嫌々していたけれども。叩かれた痛さはあるのだが、自分より年下の人間が、いったん命令あれば、こんな残酷なことをするのだという痛い認識を小さなときに持ってしまった。だから、学校が私の解放区であった。中学生の不良から離れていられるから。
この札付きの中学生Hは、自身が何回も何回も学校で教師からビンタを張られてる有名人だった。自分より弱い人間を支配して権力を振い、中学で先生から受けていた暴力を町内の小学生に返して心身のバランスを取っていた、いまならそう言える。どこにでもいる人間だ。
でもなぜ、攻撃の対象が私だったのか、いまだに不明である。私が泣いて帰ることも多くなり、ついに母は中学生の親へ抗議に出かけた。そして、もうこの町の環境は良くないと言って、市内の違う町へ引っ越しすることを父は決めた。「他人から攻撃を受けやすい人」は自分かもしれないと考えてみて私の性格なり、行動傾向を振り返っても、その後、今日まで「イジメ」には遭っていない。
だから私の性格云々はないかもしれないが、とはいえ相手のことを考え過ぎて自分を失いやすい、自分のことは後にする人間はイジメられやすいかもしれない。しかし、幼い時に受けた生々しい傷は癒えない。戦争中、幼年兵が先輩に往復ビンタを本気でやられたり、命令とあれば人間は平気で残酷なことをするのだということを肝に銘じたい。
私の偏見ではあるが、美談で語られることの多い、夏の甲子園野球をどこか、斜めから見ている。発表されない残酷なイジメが横行しているはずだという偏見で野球部を見ているのも、そんな美しい生き物ではありませんよという幼い時の経験が反映しているのかもしれない。勝つためには何をしでかすかわからないのが人間ですよと言いたい。
皮肉なことに私の娘が嫁いだ先の姓がHだったときには偶然とはいえ唖然とした。Hという姓はどこまでもついて回る。
昔の少年。
寮生活では暴力は頻繁にありました。主に下級生に対する粛清が目的で上下関係で秩序を保つための手段でした。舎監の先生は夜は自宅に帰るから夜7時から9時までの黙学時間が終わると同時の9時過ぎには居なくなるので、その後は先輩が仕切っていました。先輩にも優れた人物も居て皆に尊敬されていましたが、中には肩で風切るチンピラ風も大勢居ました。そんな中で旨く立ち回れる奴と、そうは行かない奴もいて、私は後者に含まれていましたが、私自身は恋愛はするは、他校の友達たちと遊んだりと何故か半ば自由奔放に過ごしていました。何故か不思議と下級生や同級生の一部の不良友達も大勢居ました。そんな或る日、些細な事が気に入らなかったのか?寮に戻った玄関先で、いきなり嫌いな先輩に顔面に思いっきりパンチを喰らいました。私は剣道や柔道も多少の心得はありましたが、先輩に反撃する事など考えもせず、すごすごと部屋に戻り顔面を冷やして居ると同級生の不良が部屋にやって来て腫れた私の顔面の理由を聞くや、いきなり先輩の部屋に殴り込みをかけに行き、直ぐに戻って来ました『○○をボコボコにしてやったから、もう手出しは一切しないから安心しろ!』と。ありがたいような、下級生に呼び捨てにされ、散々やられて謝った先輩も可哀そうなような複雑な気分でした。また、もう一度は、私が年長で寮の風紀委員長になった時、寮内で現金の盗難事件がありました。容疑者が浮かび、皆に知られないように神社の境内で事情聴取の際に『潔白を主張できるなら俺を殴ってみろ!』先輩後輩の上下関係の厳しい寮生活ですから。ところが暫く沈黙していた彼がいきなり殴って来たのですから驚いてかわしましたが『そうか?分かった!疑って悪かったな!』と言って解放しました。真実は闇のままとなりましたが、もしも真犯人であったとしたら、先輩を殴るくらいの、親にも誰にも相談できなかった余程の理由があっての事だったのかも知れません。
seto
縦関係の厳しい寮での暮らし、イメージできませんが旧軍隊での仕来りそのものですね。私立の体育会系クラブではそういう習慣があったとは聞いていました。殴るって大けがしません?ビンタまではわかりますが殴って骨折でもしたら刑事事件ではないですか?昔の少年さんの青春、縦関係のすごさを体験していて貴重な価値観を体験されてます。現代でも兵庫県知事や小池都知事の人事でのパワハラも価値観は同じですね。
坊主の孫。
私も、他人から攻撃受けやすい類でしょうが、攻撃するよりはましでしょう。攻撃には必ず報復が付き物ですから、この連鎖で収拾がつかなくなりますね。例え攻撃されても報復しなければ、攻撃側も二度とやらないでしょうし、攻撃した事を反省するでしょうね。感情に任せて、即、反撃すれば、相手に反省する時間さえ与えなくなりますから、反撃しない事が、冷静さを取り戻す為にも必要でしょうね。攻撃側には一方的に攻撃してしまった事が取り返しがつかない汚点としていつまでも残りますね。
seto
今日、黒澤明の八月のラブソディを見ました。長崎原爆と平和がテーマでした。アメリカ人リチャードギアが出て、原爆投下を謝るシーンがあります。しかし、戦争は日本にもアメリカにもたくさんの犠牲者を出したことを夫を原爆で亡くしたおばあちゃんが語るシーンがあります。攻撃と報復も似た構造ですね。
アドマン。
覆水盆に返らずの諺通りで、暴力を行使したり、暴言を吐いたら、その時点で取り返す事はもうできません。ですからイラっと来たら、そこで六つ数えて深呼吸して考える癖を付けたいですね。暴力も暴言も大抵は、勝手に反射的に出る事ですから、脈拍を6拍置く事で、穏やかさを取り戻せるはずです。
seto
深呼吸、深呼吸、夫婦喧嘩でも応用できる話です。現在は怒るエネルギーが枯渇しています。