「人類滅亡後もデータを残せ」という記事
こういうテーマで「NEWS WEEK」7月14日号の50pに書いてあった。「インターネットの父」と呼ばれるビントン・サーフが懸念しているのは、デジタルの暗黒時代の到来だ。全世界のデータの80%がここ2年間で生成されている。
グーグルという企業があって、私のブログもグーグルだけど、この企業だっていつかどこかに売られたりして、データを買った企業が私のブログが消去される場合もあるし、巨大なグーグルのデータセンターにあるデータも10年後、20年後に解読できるスキルを持ったスタッフがいなくなる場合も考えられて、実はデジタル機器は紙や粘土板に比べて耐久性が低い。劣化しやすいのだ。
サーバーも約5年で交換が必要で「何気なく、地図や写真もデジタル化すれば、永久に保存できると思ってる」がエンコード(記号化・符号化・暗号化)されたデータを解読できなくなったらおしまいだ。実際、NASAが1975年、火星探査機バイキングを送り、10年後、得た情報を解読しようとしたら最大20%は読めなかった。読み取るソフトウェア・スキルを持った人がいなかったのだ。
そこで、いま開発をしているのが約3億年の保存に耐え得る永続的に記憶できる装置だ(磁気ディスクや光学ディスク)。石英ガラスを使ったものだが、コスト面でまだ折り合わない。石英ガラスに記録した聖書のコピーは「人類滅亡後も残る」(別に聖書でなくてもいいけど・・筆者)。さらにDNAを構成する4つの塩基で記憶容量を爆発的に増やす。DNAの記憶容量は1gあたり、700テラバイトだと。親指大の合成DNAで700億冊分の本の複製が収まると。
うーん・・。日立製作所も石英で記録メディアを最先端で研究していると書いていたが、そもそも人類滅亡した後にも記録メディアを残す必要があるのだろうか。新しいホモサピエンス(仮称)が現れて(進化して)、現人類の文化文明を解読する営みは、エジプトのロゼッタストーンの解析やヒエログリフ(楔形文字)読解、中国の亀甲文字解釈を遠い未来に延伸させているのだろうか。
しかし、それは共通の人類というカテゴリーの中での営みなので、どうも「人類の滅亡の後」というイメージがSF映画にしろ、ひとりふたり残っているのだし、よくわからないところがある。「人類滅亡後もデータを残せ」は神でも信じていないとなかなか出てこない発想と思うがどうだろうか?地球外知的生命体がやってきて、地上の差別や戦争をなくすアーサー・クラーク「地球幼年期の終わり」で翼と角・尾を持った悪魔が人間を知るために図書館で読書をしている風景にはぞっとしたけど、滅亡までは行ってはいない。
人類の歴史を考えてせいぜい2000年から3000年くらいでちょうどよいと勝手に考える筆者である。それ以外は、岩に絵を書いたり、洞穴に紙を石棺に入れておくだけで十分残せると思うのだ。未来に電気があるという保証もないわけだし。太陽はまだ50億年あるわけだし、日の光のもとで読めるのはそういう類ではないか。してみると、ネアンデルタール人の洞窟絵画の世界に逆戻りになってしまうが、デジタル化して結局、初めの世界に戻ってしまう運命なのかなとも思う。
一番大事なのは、人類が滅亡しないように皆さん振る舞いましょうではないか。そのためにデジタル機器や機能を期間限定でもいいから(多少の劣化に目をつぶって)使いましょう、バカにならない程度に。そう私は思うのだが。
アドマン。
短い間に、次々と記憶メディアが変わって居ますね。新聞社などに送稿する記憶データも当初は製版所を介してフイルム送稿でしたが、次にMDになりCDやDVDでの送稿方式も束の間、今や特殊な印刷用PDFでメ―ル送稿ですからね。一時印刷コスト面で流行った中国での印刷用データにもこの方式でした。一昔前には新聞社へ送稿するのが嫌でしたね。窓口の広告整理部の連中から嫌味をいわれたり、いじめられたりと散々でした。あのころの新聞社の体質は最悪でしたね。そんな嫌な時代も新しいメディアや送稿方法の電子化で改善されましたが、今後は一体?どうなるのでしょうね。もしかして・広告代理店も無くなるかも知れませんね。つまり各企業の広報宣伝部に広告制作部や、外注窓口が設けられて、広告主企業から直接新聞社や雑誌社へ電子メール送稿になるかも知れませんね。つまり、メディアの変革の次には広告代理店のあり方の変革が来るかも知れませんね。そうなると東京オリンピックでも問題(事件)になったブラック広告代理店やその関係者の図式も変わるのでしょうね。新聞社や雑誌社や放送局などのメディアも大きく変わる時期に来ているのかも知れませんね。
seto
版下や写植屋さんが消えました。印刷や新聞社もいつまでもつのか・・といところです。ネットノニュースも新聞の借り物多い。ヤフーなんて格安で各新聞社と支払い契約をしてますから。広告代理店は。現代では各個人がなってる気がします。町内の夏祭りの運営を見ていると、全員素人で上手に運営してます。広告会社の未来は看板屋に戻ることです。野立て看板ですね。安くて簡単で目立つ。そこにQRコードをつける。巨大なQRコードヲエアポート沿線に置くと興味津々、なんだろうとみられると思います。大谷翔平のドjィヤーズスタジアムの看板は(電通支配)は完売で、ほかの球場でも看板が埋まってきているといいます。アナログ復活です。
坊主の孫。
近年、紙媒体から離れる若者たちも多く、映像によるアニメや動画に偏って居ます。中には読書思考の若者も居ない事はありませんが、スマホの普及と共に、これまでPCで得ていた情報さえも手元で手軽に何時でもどこでも入手できるからでしょうね。街行く人々も歩きながら、立ち止まりながら。交通機関内でもほとんどの人がスマホいじりですね。中に一人、文庫本を出して読書している人も居ますが珍しい光景に成ってしまいました。今や殆どの記憶メディアが紙から液晶画面に代わってしまいました。スマホに頼る時代は、次々と現れ来る最新情報と、どんどん忘れ去られていく情報の中に人々は居ますね。危険なのはフェークニュースや詐欺情報も精査されずに届きますからネットは便利でも危険なメディアになりましたね。炎上でもして問題視されれば、即、消去されますし、ネット情報は考査機関があいまいですから自ら判断するしかありません。そう考えるとネットは将来、最終的には残らないメディアとも言えるかも知れませんね。
seto
記憶力がこれから大事なキーワードでしょうね。想像力や文章を書くと気でも必要なのは記憶力です。ネットは記憶力を相手側のデータ一時預かりにとしますから、引きだす行為で物事が形作られます。全国でデータセンター構築が進んでいます。地震のない旭川にソフトバンクがデータセンター作ろうとしてます。建物を冷やさないといけないので冬の雪を埋めておき夏場も冷やすこともできます。首都圏は武蔵野に巨大なデータセンタあります。首都圏で電力制限があったとき、この地区だけは制限をしなかったのでわかりました。おじいさん、おばあさんと話をして面白いのは彼らの記憶がいきいきしてる+いるからですね。
昔の少年。
現代人は、簡単な事にも、わざわざ面倒くさい作業を増やして居るとも言えますね。言葉で伝えれば済む事もメールしたり、歌ったり、踊ったりすれば、それで良いのに、DVDやCD化したりと何かを大量に遺そうとします。写真も撮影してデータを残して大量にプリントして配ったりと。オリジナルは一つで十分なのになぜか大量に同じものを作りたがります。その時点で、オリジナルの持つ価値は低下してしまいますから、絵画のように渾身の一枚を残せばいいと思いますね。下手は下手なりに味わいがありますから有りのままを一つだけ残せれば最高ですね。例え新しい記憶メディアが出来ようとも。
seto
コピーと複製が増えて、それがオリジナルの原作の価値を低減させたんですね。私も自身と同じコピー人間があちこちにいるかもしれません。DNAで簡単に作れますが、果たして必要な人なのか疑問ですが。私のデータは残さなくてけっこうです。