安富歩さん「生きる技法」(青灯社 98p)にお金があると失うものについて書かれてあった。お金は持ってる人は「選択の自由」を広げて、そこに権力や権威や地位が付随すれば鬼に金棒のように見える。私もお金持ちになったことはないので(お金持ちって基準がそもそもあるの?)1億円持って3億円の借金ではマイナス2億円だ。豪邸に住んでいても借金の返済に追われている人も多い。それはそうと、「お金があると失うもの」についてだ。その前にお金では解決できないことから書けば必ずやってくる人間(自分)の「死」がある、いつかは死ぬのである。「愛」や「友情」や「尊敬」もお金では買えない。それは他人の心根をお金で支配できると勘違いしやすいが、嫌われ、裏切られて、軽蔑されたときに「お金では買えない」、お金とは関係のない次元のことだと気づく。お金があると、増えたり減ったりするので(株をやる人、FX取引)非常に神経をすり減らす。また、笑顔で近づいてくる人も多くなって、腐れ縁が生じてつまらない時間を過ごすことが多くなる。自分の貴重な自由な時間を奪われ、泥棒される。

しかし、ビバリーヒルズでプール付きの豪邸に住んでいる実業家が毎日、自分が経営する会社に出て単純作業の仕事をする。「もうお金が十分あるんだし、楽をして楽しい人生を歩んだら?」と言われたが「私よりもっとお金を持ってる人がいて稼がないと」という意見の持ち主で、この世界はキリがない。話がそれたが、「お金があると失うもの」だが、身近にはふたりいたが、ふたりとも「持ち物自慢、ワイン自慢、クルマ自慢、時計自慢、高価なパソコン自慢、カメラ自慢、最新の札幌美味しいレストラン知ってる?新型コロナ流行前はハワイ旅行」元大企業に勤務していて制作室でデザインやプロポウザルをしていた。本当はこの人、何をしたかったのかよくわからない。それ以上に私も何をしたかったのかよくわからない広告代理店という業種であったが。自分が本当に何をしたいのかよくわからないというのが、サラリーマンの宿痾みたいで、とりあえず「子供の教育費、住宅費支払い、昼飯・飲み代、クルマの維持費、遊興費」でそれを支払う「お金」を稼ぐ人生がほとんどで、「お金があると失うものって?」と話題を出すと煙たがられる。ある年齢になると、お金で買えないものが確かにあると強く実感するものだ。

 

  1. 小高い坂の上の高級住宅地の下り坂をリュックを肩に歩いていると出会う人は殆どいません。それもその筈、堅固なレンガやコンクリート住宅と言うよりも豪邸ばかりの町並みですからね。あの中にも我々と同種の人間様が住んでいるのかと?想像しても多分想像すら出来ない人種の人達なのか?と考えますね。大きなガレージのシャッターが2台分も有って、中には高級車が納まっているのでしょう。子供たちの声も姿も余り見かけない所を見れば、下界の者との交流は限られているのでしょう。勿論の事、立ち話をする主婦たちも見ませんから、まるで監獄の中に住んでいる人達にも見えますが、貧乏人のヤッカミかも知れませんね。例えすれ違った人同士でも挨拶など交わす様子も有りませんから、この街に町内会など存在するのか?とさえ感じます。それぞれ人的交流も有るはずですが、我々とは全く違う人脈や活動範囲なのでしょう。歩いていても人と逢わない町です。通るのは時折ベンツやランボルギーニやフェラーリやベントレイやジャガーなどばかりでまるでビバリーヒルズかと勘違いしますね。山にも近く目の前にクルミが沢山実を付けていたので田舎育ちの私はカラスたちの為に枝から捥いで道路に転がしてあげました。きっとベンツか何かに踏まれた実を鳥やリスたちがついばむ事でしょう。

    • 一区画、そんな町がありましたね。燃えるごみの日に衣料品を袋に入れて置いたら、小型トラックで持っていったと、ブランドショップオーナーが言ってました。それをまた売るのですね。住民はそれに気づいてハサミで衣類を切ったそうです。あそこの坂道、人が歩いていないですね。もともと札幌市内の商店街を経営して、バブルのとき土地を売っておお金持ちになった人多いです。芦屋など貿易や産業を起こして金持ちになった人と人種違いますね。芦屋を歩いたとき、警備員と監視カメラあって気味悪かったです。山の手もコンクリートの塀が高いですね。私の軽自動車なら冬道は走れません。どんなに金あっても棺に入るわけですから、せいぜい金のある間、他人に金持ちを見せかけるしか人生観ないのかも。もっと困った人に寄附することに熱情傾けてほしいものです。

  2. お金が有れば失うモノって?経験が有りませんから偉そうな事も言えませんが、単純に考えれば失うのはやっぱりお金では無いでしょうか?。その他に失うモノとすれば貧乏人の優しい心ですかね。貧乏暮らしをして居れば困った時のお互いの助け合いや親身な思いやりなどお金では買えない真心の助け合いも有るでしょうが、一旦、成金にでもなれば天狗になって他人を見下し兼ねませんね。しかも、成金の癖に如何にも自分自身が苦労して築き上げたかのような勘違いをしてしまい自画自賛の挙句の果てに貧乏人の心など理解しようとしないばかりか見下したり比較されたりしてはたまりませんね。親族が苦労して築いた財産や、婿養子や、突然の不動産売却で得た資産など自力では到底築けない他力にも感謝しなければバチが当たりますね。

    • 貧乏人はこころ優しい人がおおいです、これは確かです。心優しくてお金持ちになれないのが実際かも。金はある日、突然、降ってきます。保険金であったり、遺産残しだったり、土地がバカ高く売れたり、私の周りのプチ金持ちは皆そうですね。腐れ貴族の国会議員と株で成金男たちの、貧乏人を見下すホリエモンたち。ネットから撤退してしてほしいです。新NISAは詐欺ですよ。国家的詐欺。35年の住宅ローン国家的も詐欺です。せいぜい20年が限界です。将来、破綻します。株屋もインチキで、損したら大企業は補填を求めて証券会社に金もらうのですから、詐欺同然です。個人が損するようになっているんです。

  3. 考えて見れば、自分にとってみれば、サラリーマン時代が一番裕福でしたね。好きな物を買って食べて遊んで仕事も楽しかったですね。毎月毎月決まった日に給与がもらえて更には年二回の賞与なるお金を貰えたからですね。平気でローンを組んだり、住宅や車を買ったり、高級なカメラを揃えたり当時流行りのパソコンを手に入れたりと、今ではシンジラレナイ無駄遣いだらけでした。それらのお金を使わずに今日まで貯金でもして居れば、今では悠々自適でしたね。しかしお金は入るとなれば使い道ばかり発想し考えつくものですね。これで宝くじでも高額当選でもして居たら間違いなく人生狂っていたでしょうね。

    • なんでも経営するのは大変ですね。サラリーマン社長と違い、責任や負債が自分自身にかかり、眠れない夜を過ごすわけで、下手したら自己破産になりかねません。フジテレビは社長と役員に50億円の賠償を求めるらしいですが、現実的でしょうか?サラリーマン時代、ホテルのレストラン、決められた居酒屋、お寿司屋は全部、会社の経費を使えて、後日支払いでした。タクシーチケットは営業は使い放題でした。定期代をもらいながら毎日、タクシーで帰宅した輩もいて総務は困ったものです。注意しても直そうとしない、わがまま一人っ子育ちの男でした。お金は貯めるより、使うほうが大事だとおもいますね。70歳を過ぎて金を持っていても、それを何に使うの・・と聞いてもせいぜい子供に残すくらいの回答ですね。底には自分が老いたら面倒を頼むと言う下心がありそうです。貧しいほうが他人に優しくなれそうですよ。

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