IMGP3939-1

本文とは関係ありません(今井昇撮影)

私は東本願寺のにわか檀家で(父の急死で檀家になるならお経を上げると言われて)、父母の葬儀や納骨堂購入に両親の残した遺産を使い、さらに本堂の耐震のため新築する2億円の建築費用を檀家400戸で分割する遠回しの寄付依頼も後日、舞い込んだ。兄と相談して無視することにした。いいかげんにしてほしい東本願寺、住職さん。ひとり娘が同志社大学へ入学したお祝いに同大学のボールぺんまで送ってきたり、ピント外れていやしないかい?そう思っていたので、何をやってる宗教法人!?。(この寺が特殊なのか?)

次々と文化会館を作る宗教があったり、都心に布教本販売を兼ねる宗教本部を作る新興宗教があったり、宗教法人って無駄に金を持っていて、それで食べている印象も強く、文科省から補助金をもらいながら大学教職員の暮らしを守る学校・大学と同じく税金に関して学校法人と宗教法人には長い間、不信感を持っていた。それに対して、お寺に生まれた知人が宗教法人の無税について丁寧な返事をくれたので掲載する次第。

課税というのは、国家による最大の権力行使です。(筆者:税金を下げる・優遇も権力行使かも)

世俗権力に迎合しないのはどの宗教も同じで、

それをやってしまうと、信徒が最後の逃げ場を失ってしまう。(筆者:昔、寺はアジールでもあった)

そういう時代のほうが、長く続いたわけです。

石山本願寺、比叡山、一向一揆など、

仏教側にも否はあったものの、それぞれを行った戦国大名の最終目的は

課税です。ですから、たかが100年にも満たない政治権力の都合で

数百年、数千年の歴史を持つ教団が、これを受け入れるわけには行かないので

す。戦国大名と同じで、時の権力など、100年も続かないうちに

変わってしまいますから。これは仏教以外のどの宗教も同じです。

逆に地域社会のルールは、成文化されてなくても何千年続いてること

かもしれないので、伝来以来千年ちょっとしか経ってない寺のほうが

あっさり受け入れています。

 

 

政治権力というのは、庶民を踏みつけてどこまでも強大に

なろうとしますから、何かの歯止めがなくてはなりません。

歴史上、さまざまなときに、宗教は其の役割を果たしてきましたし

当時はおそらくすべての宗教が同様の判断をしたと思います。

宗教と課税=政治権力はそういう関係にあり、

近代的な国家は、それを認めているということです。

 

とはいえ、課税はされてますよ。されてないのは土地、建物、仏具だけ。

これをやってしまうと、法隆寺も1会計年度で切り売りしなければ

ならなくなります。逆に住職の収入も、土地を使った幼稚園も、

事業はすべて課税対象です。法事の際に出されるお膳でさえ、

1回につき数千円の利益を受けたと計算されて、年間通算回数分の

課税がされます。国税は、できることなら土地、建物にも

課税したがってますが、その税収の行き先がどうなるかはご存知のとおりです。

国税=権力者は、代々の信徒が築き上げてきた寺院を

国費に吸収しようとしている、となるわけです。

 

それ以外のケースは単なる脱税です。自営業者だろうと、寺だろうと

多数派ではない、犯罪者ですので、ひとくくりで語ることは出来ません。

犯罪を目的とした集団が、数百年も存続できるわけがありません。

むしろ、理不尽に源泉徴収されるサラリーマン階層の

不満のガス抜きとして、スケープゴートにされてるだけです。

 

 

  1. 僕の家系は浄土真宗大谷派(東本願寺)だ。ルーツは調べて居ないが、農山村に多い宗派で「門徒」などと馬鹿にされる事もあるほどだ。それでも近くの武生市は寺町で、一気に攻め込まれない狭い迷路の小路に無数のお寺が点在している。僕の亡き父母もその武生市の、とある寺の建物内本堂裏の納骨堂に永代供養されている。祖父は、この寺のお守役で、自宅母屋は広い板張りの集会所になっており、その正面には大きな間口の金ぴかの仏壇が収められていた。その仏壇裏の部屋は武生のお寺さん(住職)専用で、お殿様用みたいなトイレも付いていた。その部屋の襖絵は何と幼少期の父が面相筆で描いたレオナルド藤田並みの、「羽衣をまとった天女と孔雀」のみごとな水墨画だった。お寺さんの来る夜は村中の人がここに集まってお教と説教を聞いた。そんな時、僕は大きな囲炉裏端で薪をくべる役目だった。つまり祖父は村の集会所として自宅を開放していた訳だ。さらにご住職が京都の本山に出かけている間は武生のお寺を守り、住職の代理でお教をあげていたと聞く。そんな祖父の息子、長男坊の父は継承せず家を出て弟の叔父に譲ったが、その叔父も亡くなり母屋も取り壊された。自宅を開放し、伴僧をした祖父はその地域では、昔の庄屋的役目を果たしていたようだが、今で言うボランティアに私財をはたいていたようだ。田舎の檀家は皆んな固い絆でつながって地域社会が形成されていた。お寺の修復費などは有る者が寄付し無い者への強制はしない暗黙の了解で成り立っていた。住職のご家族も広いお寺をいつも綺麗に守っていて、めったに行かない僕たちにも苔が綺麗な中庭を見渡せる部屋でお茶やお菓子を振る舞ってくれた。まるで国宝のような古いお寺で安らげる場所でもあった。父母の供養をお願いしていながら最近ご無沙汰しており気になっている。同じ田舎に永平寺などもあって宗派を超えて参拝して、お寺の瓦に自分の名を筆書きして修復費として3,000円とかを寄付する慣習もあり、あちこちで瓦に名前を書いた。また、隣の煙草屋のおばちゃんは、亡き父母の墓前で「般若信教」を朗々とあげてくれた。都会とは違って田舎では仏教も暮らしの一部で、今も檀家の人達によって大切に守られている。お寺は住職の個人財産ではなく檀家の人達の共有財産として守っている。僕には祖父の真似は出来ないが、小さな仏壇をい通して毎朝、亡き親族やペットたちの顔を一つ一つ思い浮かべながら花や炊き立てご飯を上げて合掌してから出かけている。そんな坊さんの孫も教本が無ければお教は上げれない。他の宗派の事は余りよく分からないが、宗教に絡む酷い話を聞くたびに全てが一緒にされる事に心を痛める人も多いと思う。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です