marasonn

運動オンチではないが、マラソンは大嫌いだった。中学のときは苗穂刑務所の周りをぐるっと回って、畑仕事をしている囚人さんから「がんばれ!」って手を振られ、このときだけはニコット笑えたが。蛇足ながら刑務所内で作られる作品即売会は大好きだ。囲碁盤もある。

なぜ走るのだろう?箱根駅伝を正月見ていて、妻に「なぜ、あんなに苦しいのに走るの?」と聞くと「上位に入れば就職のときにコネがきくからよ。親もそれを知っていて応援するのよ。とにかく野球にしろラグビーにしても就職のため、頑張っているんじゃないの?」と答えられた。それでいいのかどうか?わざわざ、会社の有給休暇を利用して東京から道東サロマ湖のマラソンに出たり、札幌マラソンに出たり、細胞の活性酸素を増やして、細胞のガン化を醸成するだけだと筆者は考えていて、マラソンをする人間に健康を志向するなら歩くだけでいいんだよと言っている。

健康なカラダつくりなら普通に歩くのが一番だと思うがどうだろう。運動グッズメーカーとメディアと広告代理店に煽られているだけではないかな。走るなら車の走る道路(仕事をしている運転手の道を塞いで、道警職員の休日手当という税金を増やして)を締め切らないで、誰にも迷惑をかけない道で、人のいないところを走ってはどうだろうか。そちらの方が空気が新鮮だと思う。「ふだん車があって走れない道路を走ると街の眺めが違うんだ、快感が走る」と言う。

それにしても日本中、異常なマラソン人口の増加だ。完走しただの、何位になっただの、走った後の充実感だの、ビールが美味いだの、ランナーズハイが大脳を席巻するだのと。札幌マラソンの次の日、中心部の大通リ公園内の何十という仮設トイレから立ち上る糞尿の匂いを残して彼らは去っていく

文章だから匂いまで比ゆ的に表現できないが、月曜日、営業で公園を通ったときの悪臭たるや主催者は何をしているかと言いたい。終わったら、その日のうちに片づけるのがマナーだ。世界中のマラソン大会のニュースを見ていて、私は、糞尿まき散らしをするなら、そんな大会レースをやめて欲しいと思うのである。夏のビールフェスタも簡易トイレを使うがそのときはそんなに匂いが気にならないのに、マラソンの後は尿の匂いは成分が変わるのだろうか?

青梅マラソンの後の匂いはどうだろう?東京マラソンの後の匂いはどうだろうかと想像するのである。テレビのニュースで優勝者のタイムと名前を知らせてもいいが、最終ランナーが到着してから、簡易トイレを片づけるまでの時間も同時に発表して欲しい。どのメディアもこのことについて書かない。

たくさんの市民が鼻に手を当てて「簡易トイレを早く片付けないか」と思いつつ公園を横切っているのをお忘れなく。近くに飲食店もたくさんある大通公園エリアだ。走りながら飲食店も見えるはず。簡易トイレを利用する彼らが真っ先に気づき、意見を述べなければいけないイベントなのだ。参加費を払えば後はすべて主催者が責任を持ってやりなさいねと、丸投げ仕事の発想と同じだ。

  1. マラソンの前後は確かに臭く汚い公園に化してしまう。あんなところで人目をはばからずに着替えをしている女性がいたり驚いた。メディアがブームを助長すれば走る人口は益々増えるのだろうが、マナーはどんどん落ちて行く。スタート当日に大通り近辺でこんな光景を見た。「ゼッケン欲しさ参加型」だ。スタートし直後か?それとも最初から走る気も無かったのか「ピース!」なんて記念写真を撮っているのだ。それでも写真を見せて参加したのだとでも言うのだろうか。僕もかつては長距離は得意な方だった。高校生の時は全校で10位以内でゴールしていたが、それは卓球部の部活で必ず毎日10kmのランニングが義務付けられていたり階段をうさぎ跳びで上がったりハード過ぎる運動で鍛えていたからで、タバコを吸うようになり、車に乗るようになり、歩かなくなると、水泳の25mさえ息が上がってマラソンどころでは無くなった。日に3箱のヘビースモーカーの僕がタバコをやめて18年にはなるが多少は駆け足程度は出来ても走り続ける事は到底無理。マラソンの映像など見れば年配者が自慢気にインタビューに答えている事もあるが酸素吸入までして余り無理しない方がいいと思う。健康の為なら人に併せず、自分流の運動がお薦めだ。楽しく歩ける運動程度が。オリンピック憲章に逆らうようだが、マラソンも競技ならもっと鍛えて競い合うべきで参加するだけなら意味が無いとも思う。どこか広いグランドで参加資格を賭けた周回テストをして人員を絞り込めば、あんなに迷惑はかけないとも思う。マナーに欠けた人も参加させないで欲しい。宴の後ではないが、終了後の公園はとにかくひどい!参加者が全員で綺麗な街に戻すならまだしも。やりっぱなし状態だ。

  2. 私はアフリカの太鼓を持っています。離れた相手と通信に使うほどなので、
    河川敷で叩いていると、数百mは楽に音が伝わってるのがわかります。
    アフリカのリズムは、心臓の鼓動と足のステップという、奇数と偶数の異なるリズムを
    融合させるものなので、聞いていれば自然に体が動きます。
    動いてない時は寝てるのが一番楽ですが、運動をしているときは、そのリズムに合わせるのが
    一番身体が楽だからです。そのせいで、河川敷で太鼓を叩くと、ジョギングランナーのペースが
    全員私のリズムに合って来ます。早く叩けば早く、ゆっくり叩けばゆっくり。
    リズムに慣れてるアフリカ人なら別ですが、現代の日本人は慣れてないので
    それはもう他愛もないほど、簡単に。
    たまに頑なに自分のリズムを守ろうとする人がいますが、身体の中に生まれたリズムに逆らうのは
    坂道にさしかかるような苦しさのはずですので、遠目にもわかるほど
    「畜生!」というアクションをして、Uターンしていきます。楽しいったら、ありゃしません。

    どうです、マラソン嫌いの皆さん。少しは溜飲が下がったでしょうか。

    oldbadboy

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