とにかく毎日10年続けたら物になる(吉本隆明)
1月22日の続き。糸井重里の「素質ってなんだ」という問いかけに「とにかく毎日、(いっしょけんめいでなくていいから)10年続けたらものになる」と断言した。それは「僕(吉本隆明)が保証する」と。
無芸大食(最近小食)なだけの筆者は10年以上毎日続けていたのは、通勤、営業(外歩き)、ビル街でのトイレ探し、パチンコぐらいで何一つ職人的な、たとえば線を引くとか穴を空ける、文章を400文字であるテーマで書くとか何もしていないことに気づく。
そういえば、主婦がものになるのは毎日の料理や洗濯や掃除や後片付けをこなしているから物になってるんだと気づく。主婦も職人だと思えば間違いない。知らないふりして職人になっているんだ。女性が強いのは、毎日の日常を繰り返すことができる、単純(こう言っては失礼にあたるが)な作業を苦も無く(苦があるかもしれない)こなしているから、男から見て強く思える。この年齢でわかっても遅い。家事を苦も無くこなせるのが筆者の夢だ。
なぜ毎日やるのが大事かと言うと吉本隆明は、その場合は掛け算になるんだと。たとえば昨日より今日は2倍巧くなったとしようか。明日もやれば2×2、次の日もすればさらに×で8倍に。毎日やらないと単純に足し算になってしまうんだ。長い年月を考えるととんでもない差になるんだ。
「素質とか天才とか才能とかっていうことは、一丁前になった以降のことなんです」。どんなに素質があってもやらなきゃだめだということ。毎日、机の前に座るとか、ぼーっとしててもいいから座る。三島由紀夫は文学の才なんてないと思う、ないけど天才的な人だ。それを見破っていたのは武田泰淳。市ヶ谷で自決したとき泰淳は「この人は刻苦勉励の果てに死んだ」とコメントしている。志賀直哉も「暗夜行路」を書いたのが22代後半か30代はじめ。それから全然ダメ。伸びない。素質だけで書いてしまった。太宰治が志賀直哉に「お前の作品は詰将棋じゃないか。必ず詰むに決まっている」「おれの小説は1行目からおののきで、どうなるか自分でもわからん」と。
それはそうと、自分でこれが長所かなと思ったら毎日10年間続けてねと語る。吉本自身ももの書きになっていなければたぶん植木屋さんになっていたと思うと。木を見て、ここを伸ばすのにこの肥料を与えてとかね。伸び伸びした一生が送れたかもしれない。
イギリスの作家ジョージ・オーエルに「なぜ書くか」というエセイでスペイン市民戦争に従軍して帰国、ジャナーリストになったが「もし平和な時代なら大きな樫の木の下でヒゲを生やして説教する牧師になっていただろう」という言葉を思い出した。人間、みな今現在している仕事や営みはたまたま何かのきっかけで、その仕事について、10年以上しているうちにそうなってしまったのではないだろうか?
*10年といえば学校の義務教育で9年間通学、高校まで足せば12年、大学まで足せば16年~18年。学校だけで通学の癖がついている。これに約40年の会社通勤を足すと56年~58年続けているわけだ。通学・通勤のプロだ。この癖が取れず、近所の旦那に、決められた時間に犬の散歩、ウォ-キングに出かける男たちも多い。図書館通いも多い。通勤の名残りかもしれないと思う、万歩計を付けて。カラダが通勤を欲求している。
昔の少年
歩く事はいい事です。僕はさっぱり歩けなくなっています。クルマです。通勤も買い物も何でもクルマが足になっています。だから靴は減らず高いタイヤが減るばかりです。階段が長ければ息が切れ、走れば息が続かず、ただせっせと手を動かしてキーボードをたたくばかりです。でもそんな僕でも10数年かけて習得した技術があります。左手マウスです。ずいぶん前に右手がしびれて動かなくなった時に左手の存在を知りました。それまで左手は一体何をしていたのだろうかと。真剣な左手の訓練は役に立ちました。今では左手でマウス、右手でキーボードの二刀流です。何でもプログラマーたちはこの方法らしいです。効率もよく、しかも肩が凝らない方法です。今では右手マウスの方がぎこちないほどです。お薦めします。速足も苦手なので、今度は足を使って後ろ歩きの訓練でもしますか。