公園キジ

コウライキジ 札幌前田森林公園 斎藤諭撮影

20歳になったら、自分の名前を変えれる制度、そんなことを考えてみた。昔は成人式は元服といって、これまでの価値観も変え・生き方まで、変えるくらいの意味はあった。私が古いのか、キラキラネーム大流行で小さなうちはいいが、大人になってもその名前を使い続けることに抵抗があれば自由に新しい名前に本人が変更できるという法律施行はどうだろうか。名を付けた親の了解のもとに。そういう20歳になったら自分で名前変更OKという法律の施行だ。

親の趣味で付けられた名前を生きてきて、悩み無用の名前を自分で付けれる。これは夫婦別姓より画期的なことに思える。落語でも歌舞伎でも日本の文化はどんどん名前が変わっていくことにそんなに抵抗はないはず。あんまりいいことがない人生をこの際、名前を変えて新しく出直したい人は多いと思う。不自由な名前、縁起がどうも悪いから変えるのは素敵なことだし、なんか芸能人になったような気分で新鮮。前科のある人も、その名前を捨てて新しい人生を歩み出すのだ。ただし、殺人や暴行や悪質な犯罪者は履歴に残さないとまずいので例外規定は設ける。

「20歳になったら私(僕)は〇〇になる」現在の法律では、明らかに現在の名前で多大な不利益を被る場合に限られれているが、これまでの戸籍謄本から変更だから雑務が多過ぎて、書類変更が多くて金融機関や役場・学校など公的機関は猛反対をするだろうなと。名付け親も。それでも面白い。一度、付けられた名前を変えるのは、子供にとってどこかウキウキする事業というか、大人へ脱皮する責任感を植え付けるのにも効果があると思うがどうだろう?変更しなければそれはそれでいいわけだし。印鑑屋さんも久々の景気に沸く?!実印作ってくれる人増える。

ちなみに筆者の名前は昭二。昭和に生まれた次男なので、昭二。どうも迫力のない人生だと思ったら、原因は名前にあったのかもしれない。そこで考えた。高貴なイメージになる貴彦、足が早くなるように俊介(シュンスケ)、詩的なイメージ光太郎、お金持になるよう満太郎。どうも出てくる名前に鮮度ないね。知人に占をしている人がいて、彼が現役のとき、部下に子供が生まれると「みんな俺が苗字との画数を考えて付けた」と豪語していた。付けられた子供のその後は聞いていないが彼に頼む手はある。しかし、待てよ、名前の変更は60歳還暦でもOKにすると楽しいかもしれない。これまでの人生を振り返り、未来を見据えた名前にするんだ。思い切って彫刻家の運慶の名前をもらうのもいいね。「運」がつきそうだ。不運だったりして。

  1. 名は体を表す。親が付けたか?誰が付けたか知らないが、思い当たる処もある。前々職のときに社員にならず者がいた。ヤクザに因縁つけるは、暴力的で、あちこちに返さない借金はするは、悪名を地で行くような奴だったが、会社命令で僕がようやく説得して自腹で餞別をあげて、辞めさせたが、その後、取引先業者さんから「御社に○○さんて居ましたか?」と。「いいや?」。「おかしいですね?確かにご本人が言ってましたが?」。実は他の同業他社に再就職していたらしいが、名前を変えていたとは知らなかった。ある日、一本の電話が僕の携帯に架かって来た。画面には登録していた奴の旧姓が表示されていて誰だかすぐに分かったが、電話の向こうで「僕が、誰だか判りますか?」と。電話は変えて居ない間抜けな奴だ。借金から逃れるためか?。その後の奴は京都あたりに居るとか?居ないとか?風の噂だ。

  2. かつて、子供に悪魔などと、とんでもない名前をつけていた輩がいたが、今風と言うか、我が家の小学児童や中学生に聞いたが、漫画やアニメの登場人物のような名前ばかりか「宝石」と書いて「ジュエリー」と言う子まで居るらしい。輝いて欲しいと願う親心か?単に宝石が好きなのかは不明だが、学校ではまともに読めない漢字の名前が氾濫しているようだ。本人が嫌いな名前は変えたほうが良いが、苗字まで変えれば別人と思われるだろう。作家ならペンネーム、タレントや役者や芸者やホステスなら、みんな別名を持っているが、身近に堂々と名刺の名前(姓ではなく名)を変えていた社員も居たが二つの名前を使い分けて、彼は一体何をしようと考えていたの辞めた今も、とうとう分からず仕舞いだった。

  3. マイナンバーを活用すれば、何度名前を変えても本人確認ができるはずですね。その代わり、マイナンバーを明かさない限り信用されなくなりそうですが。また、親がキラキラネームをつけたばかりに子供がおかしく育ってしまって、20歳の改名の時に、元の名前よりもっと馬鹿げた名前をつける可能性も、なきにしもあらず。

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