ブログ炎上(再録) 昨年9月15日
システムへの依存とクレーマーの大発生
人間が食べるものも飲むものもすべて、自分で作り、自然と自ら対峙して生きて、SEXをして自分で倒した木で家を作り、妻の出産を助けて、家族を養えれば、貨幣も要らずクレーマーも生じない。「近代化とは生活に必須なインフラをすべて他者に任せていくプロセスだ」(鷲田精一)。「この世はウソでできている」(池田清彦・新潮社192p)より。
他者とは、国や地方自治体や大企業。水も食料もエネルギーも金を払うことによって他者から供給してもらうシステムの中で生きている。この供給システムに不具合が生じると人々は自身の力では生きていけない。クレーマーはこのシステムがある限り、必然的に増加する。
水が出なければ、水道局へ。虫の入ったパンは食品会社や消費者協会へ、停電は電力会社へ、子供の通信簿や内申書は担当教員や学校または教育委員会へ、番組内容はテレビ局へ、新聞記事内容は新聞社へ、。あらゆることが他者任せの世界は、自力で生きる力を弱くするがゆえに(自分では何もできなかいから)クレーマーになる。2ちゃんねるやブログ炎上も、このシステムがなければ発生しない。
しかし、時々、きらっと光る真実が見えるときもあって、あながち否定することもできない。学校の教師が辞める原因の大半が保護者からのクレームからだという。私の高校の同級生が女子高で現代国語の教師になった。卓球部の顧問もしていたが、ある日、練習を終えて、間違って「着替えをしていた部員の教室を開けてしまい」、その噂が次々広がり、親からのクレームもあって、辞表を書いた事件を思い出した。彼はいまどこで何をしているのか連絡がつかない。
ある人の話では新聞社の読者相談室も「クレームの嵐」に見舞われ、電話を取るのが恐怖でうつ病を発症した人もいる。毎日、SFを読んで異次元へ逃げないといけないとも言っていたらしい。言ってすっきり、受けてガックリである。それはあらゆる組織(システム)に言える現象で、いまはクレームが来る前に、クレームになりそうな事柄を探すサービス会社が繁盛していると聞く。医者の世界も同様で、妊産婦や小児科での多くのクレームを処理(?)するために裁判費用を積み立てる医師も多い。
もっとも、群馬大学医学部の腹腔鏡手術の失敗で8人から18人を手術失敗で連続死に至らしめる事件は犯罪ではあるけれど、簡単な処置する程度のものでも同意書を書かせるのは、医師と病院の責任回避ではあるが、患者にしてみたら、自信を持ってやってほしいものである、嘘でもいいから。「大丈夫、任せなさい」たとえそれで死んでも諦めがつく。(群大のことではないので誤解のないように。自分の心臓カテーテル手術のときのことを思い出していた)
おころが、どの世界もまずは「私には責任はありませんし、取りません。そのためにこういう書類があってあなたはサインをしたのです。そうでしょう?これは法律で決まっていることで、私の一存でどうにでもなるものではありません。入力は別な人間がしたのです。私ではありません。上司に言ってください」(旧社保庁)「そのときのあなたの担当者はもうこの支店にはおりません」(証券会社)。
「今回の社員の自殺については、労働条件が特にきついというわけでなくて、会社側として特に残業時間が他の社員からみて、異常なほど長かったとは思えません。原因は彼個人の資質にあったのでは?なので労災認定は会社としてできません」(一般企業)。クレームに対して、組織の防衛は超厚く、責任者はどこかにいなくなる。すべて顔のないシステムが独り歩きしている。こちらはクレームをガンガン言わないといけないケースだ。
しかし、私のブログもときどき世の中へのクレーム記事もあって、クレーマーにああだこうだと言えない。同じ穴のムジナだ。できるだけクレーマーにならぬよう自分のことは自分でする習慣を身に着けたいものである。
匿名
いま、大人たちが子供クレーマーを養成している。小6の女子が介護師の殺人を報じるTVニュースを見た後「何で、介護師や保育士なんかの面倒な仕事をするんだろう?クレームばっかり来るのに?」と。諭すように「世の中には困った人たちを助ける仕事をする人もいなければ・・・」と言っては見たものの、内心驚いた。幼稚園でも学校でもクレーマー、TVでもそんなニュースが流れれば、子供たちは「保育士や先生や介護の仕事は嫌だ」と思うと同時に、クレーマーは正しくて、クレームを多く受ける職業は嫌いと言う事になる。公共の窓口で声を荒げている年配の男性をよく見かけるが、自身の身体にも触るので、もっと穏やかに話したら?と、毎日、血圧のクスリを飲んでいる僕は思う。
昔、昔の少年
ウチのカミさんもクレーマーだ。僕に対して毎日クレームをつけて来る。「朝5時から起きているのに何もやっていない」、「いつまでお風呂に入っているの」、「まだ、居たの?」、「もっと早く帰って来て」、「子供たちを早く寝かせて」、「家でパソコンやらないで」など切りが無い。僕は反論しないで「うん!」とだけ言うか火曜と木曜には返事もせず「寡黙」な抵抗をする。クレーマー本人は個室で深夜~早朝もTVなど見て自分の世界。一番遅く起きてきた頃には、僕は既に「食器洗い」、「米とぎ」、「風呂掃除とお湯張り」、「自分の弁当づくり」、「朝食」、「朝刊早読み」、「PCでブログ」、「薬をのんで」、子供たちの後に「風呂に入って」身支度をして家中の「ゴミを収集」して、「皆を起こし」て子供たちの「布団をたたんで」1~3階まで「掃除機を掛け」る。これに雪でも降ろうものなら、6:00から「除雪」をしなければならない。これだけやってもクレーマーは更に用事を言いつけたり上げ足取り的クレームを連発し「何度言ったら判るの認知症じゃぁないの?病院に入れるよ!」と一喝する。一種の病気だとあきらめて「そうだね」と笑いながら受け流しながら心の中では「ババぁ~!口だけは何時までも達者だよな~!」とつぶやいている。あなたのそばにもクレーマーはいませんか?此処で一句「クレーマー 逆らわなければ 容赦なく」馬笑。
匿名
僕もクルマメーカーにクレームをつけたことはある。昔スバルのツーリングワゴンを購入したがブレーキをかけると波打ち現象が出、ディスクが異常に高温になるのでハンドブレーキだけで札幌・恵庭間を往復したりしていた。ディーラーのサービス・フロントでは異常なしの判断でラチが明かず、メーカー本社に手紙を出した。広告の営業で札幌のディーラー本社の課長さんとは親しくなってはいたが未だ仕事は発生していなかった。そんなある日、課長さんから電話で「今、社内は大変なんです。メーカーから人が来て、貴方の車のブレーキ回収修理の件で大騒ぎに・・・」と。クルマを持ち込むと、今度は4輪のブレーキ全て交換と、僕の不具合なブレーキを回収して行った。何でもディスクブレーキのローターの芯出しの旋盤作業の精度が悪くまるでカムのように楕円軌道と左右のブレでルーターが絶えずブレーキパッドをこすって居たようだ。人命にも関わる問題だけにメーカーは対応が早く、ディーラーとの温度差を感じた。その後、広告の仕事の発生直前になって、今度は東京のメーカー系ディーラーからクレームが入った。メーカー出向役員がお気に入りの広告会社に肩入れしていたようだ。そのころ札幌のディーラー本社の課長さんも辞め?、ホンダのディラーに移籍した。クレーマーもクレームをつけられたお話しでした。
oldbadboy
食品製造業で異物混入があった場合、以前は商品の交換と菓子折を持って謝罪で済んでいたものが、今は同一ロットの全廃棄が普通になり、それが経営を圧迫しているそうです。安全への配慮もさることながら、発覚後の対応次第で、経営が危うくなることもあるためです。また、廃棄食品の再利用が問題を見ても、表面的には廃棄された食品が、アンダーグラウンドな流通網に流れていることも想像されます。過剰なクレーム圧力が、結局消費者自身の不利益になっている構図です。おそらくこれからの消費者は、企業だけでなく、本来味方であったはずの、消費者の中にいる過剰なクレーマーへの監視も必要なのかもしれません。
これに対して面白い現象が「訳あり商品」の人気です。割れた煎餅やチョコレートなど、はじめから不備はあるけれど毒ではないし味も変わらない。そのぶん安くするので、目をつぶってね、というわけです。そのためメーカーでは、完全に出来上がった商品をわざわざ割ってから販売しているそうです。本末転倒な気もしますが、メーカーと消費者とがゆるい「なあなあ」の信頼関係を結ぶという、賢いやり方のような気もします。