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殷はBC1400~1027年 甲骨文字出現

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篠田桃紅さんという世界的に名の知れた抽象的な書家「103歳になってわかったこと」という本を見つけた。(幻冬舎刊)。

24歳で家を出て、ひとり暮らしを続けて、いまに至り、現在103歳になって思いつくまま書いた本だ。副題が(人生は一人でも面白い)。これからおひとり様人生を過ごす覚悟をした(また自然にそうなる)人には、わかりやすくてとてもいい本だ。

102歳まで母親と辛抱強く同居して面倒を看た会社の同僚もいたが、篠田桃紅さんがひとりで生き続けたとは凄い。この中に「人」という漢字が出てくる。私は恥ずかしながら、「人」はひとりでは生きられないから、支え合う「人」と「人」からできた漢字と思い込んでいた。

しかし、書をする篠田さんは甲骨文字で「人」は(ひとりで立っている)。ひとりで立っている「人」は、横向きになって、両手を前に出して、何かを始めようとしているようにみえる。あるいは手を差し出して、人を助けようとしているかもしれない。・・・という風に解釈。さっそく白川静「常用字解」で「人」の甲骨文字の解説を読むと、横向きになってる絵(文字)が書かれてある。両手を広げると「大」という漢字になる。100歳はこの世の治外法権(この言葉も凄い)。image_5952_400_0

「自らの足で立ってる人は、過度な依存はしない」。「人というのは動物、動く物で私はしょうちゅう手指を動かしている」。「無駄はとても大事です。無駄が多くならなければ、だめです。お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。なんでこんなものを買ってしまったのだろうとふと思っても、無駄はあとで生きてくることがあります。」。

そして、時間でもお金でも用だけきっちり済ませる人生は1+1=2。無駄のある人生は1+1が10にも20にもすることができる。無駄のない人生は考えようによって実はないのかもしれない。さらに知識や解説で物や人を見ないで、自分の感覚や感性で物を見ること、「虫の知らせ」「虫が好かない」「虫酸が走る」。危険を察知できると。いまは大脳過多の時代で感覚がおろそかにされている。

一番、読者が知りたい幸福について。103歳になって、幸福とは何かを自問自答する章がある。極度の貧乏は不幸だとは認めるものの、大金持ちの知り合いも果たして奥さんは苦労させられていたのでは、子供たちは親と比較されて苦しんだのではないかとか、あれこれ考えるに、いったいどうしたら人にとって一番幸福なのかと考えると、わけがわからなくなる。どのように生きたら幸福なのかの「黄金の法則」はないたぶん、この程度で自分はちょうどいいと自分が心の中で思えるのが一番幸福なのではないかと

103歳の老女から教えられたことである。彼女の甥が映画監督篠田正浩である。

 

  1. 篠田さんの対談番組をTVで見た事がある。世界に認められた日本の大書家だ。でも僕の目には書家を通り過ぎて画家でもなく作家でもなく自由な発想の人に見えた。言葉は分かりやすく的を射ていて103歳を二度も経験しているくらいに頭脳を十分に使って生きていらっしゃる方だと思えた。話は変わるが、先日も飲めないお酒のお付き合いで数人の方達とご一緒したが、若い人達からは、すぐ年齢の話になる。僕は彼ら彼女らの数倍も上だから会話の中に引きずり込まれると不快になってくる。また年配者同士の酒場での話は学歴自慢、職歴自慢だ。いずれもつまらない。そんな場で僕の出番は無い。僕の聞きたいのは、もっと人間らしいドロドロした現実の話だ。苦労もなく、怪我もなく、お金の心配もなく、失恋の経験もなく、エリートのような顔にはウソだらけと書かれている。年齢で人を評価しようなど、とんでもない。彼ら彼女らは篠田さんのような人だけには一目置くのだろうか。

  2. ♪今年60のおじいさん~なんて歌もあったが、とんでもない。今の60歳は持て余している連中だ。定年延長で65歳までつとめたとしても、まだまだ元気はつらつだ。100歳越えを望まないなら別だが、100歳まで生きたい人ならまだ人生半ばとすれば、まだでかい事をしでかす事も不可能ではない。60歳はリタイヤ年齢ではなく、人生半ばと考えた方が楽しいのではないだろうか。隠居にはまだ早い。

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