漆黒の闇が迫る大雪山系(グーグルから)

筆者の就寝は午前1時ころだ。ブログの公開を確認して、あちこち手直しをしてから寝る。4月6日に続いて倉本聡「倉本聰の姿勢」(エフジー武蔵)に、日本人が夜10時までに寝る習慣の割合が書かれてあった。巻末提言 東日本大震災に寄せて「人に問う」から。348p

1960年 65%                 1961年 自動販売機出る 1964年 新幹線走る 1965年 原発運転開始

1970年 45%    1975年 24時間コンビニ出現  1976年 NECパソコン発表

1980年 35%    1987年 NTT 携帯電話発売

1990年 28%   

2000年 24%

2010年の数字がないけど、たぶん10%台ではないかと想像する。24時間営業のコンビニ、夜のネオン街・残業続く官庁・民間、デジタル化で照明の光度を上げたスタジオを使うテレビ局や記事を書く新聞社。そして、それに従事する人々。工場も24時間フル稼働するから3交代で電力を使用する。福島第一原発の爆発で、管前首相は福島民友記者のインタビューで最悪の場合、首都圏3000万人の避難を想定していた。真夏はビルのエアコン稼働で消費電力が大幅に増えて、福島原発が大車輪の仕事をしていた。(家庭での電力需要の37%はエアコン)

「電気がない!?電気がなかったら暮らせませんよ!」

「そんなことないですよ」

「夜になったらどうするの!?」

「夜になったら、眠るんです」(有名な北の国からの一節)

しかし、原発から出る廃棄物処理と原発1基解体に約1000億円かかる。55基の解体で5兆5000億円。心臓部の原子炉解体は長年中性子を浴びて、鋼鉄そのものが放射化されていて、解体はロボットなど遠隔操作が必要だ。現在、ドイツのビュルガッセン発電所でも当初900億円の解体費用が1300億円に膨らんでいる。

日本の電力代はアメリカの2倍以上で、解体費用を電力会社が持てば、その費用は利用者に電力代金の上乗せをしてくる公算が大きい。燃料棒もどこでどうするか。最終処理が完成したうえでの原発推進ではなかった。しかし、日本中の都会の暮らしは、私を含めて原発に乗って生活してきた。放射能廃棄物も、ガラス状に固めて地下に埋める(一時期、北海道の幌延が実験のために試掘した)方式もあったが、放射能が湿潤して、乳牛が草を食べてミルクが飲めなくなるということでペケになった。ドイツは石炭を掘った穴の奥に部屋を作り置いている。

原子力の平和利用はあり得ない。夢ですらない、むしろ悪夢。ドイツの格安航空機がフランスの山にぶつかり、全員即死した事件があったが、飛行機の破片の散り方がおかしいので、あれはフランスの原子力発電所を狙ったテロの可能性があると言われている。それでフランス軍が撃ち落としたというのだ。いまもISは原発を狙っている。自爆されたらヨーロッパは難民どころか住めない死の都になる。ひとたまりもない。狭いヨーロッパなのだ。

日本の場合、海岸沿いに林立だから高い津波にも、直下型地震にもテロにも弱い。日本列島が生きられる土壌の大地になるかどうか。こういう議論がもっとオープンにメディアでヒステリックにならずに、国民を長く生かすためにという大目標は共通しているわけだから、官民挙げて解決策を模索・実施する時期にもう来ていると思う。原発問題が解決しないうちは、オリンピックは返上した方がいいかもしれない。経済の前に生存の問題がある。誰にだってわかることなのに。お金で健康な大地は買えない。

倉本聰さんのエセイや講演に流れる基調は、生存の基本の基を言い続けている。

向かいの92歳の元農民のおじぃいちゃんは午後7時には床に就き、朝の4時に起きる。100歳まで生きるのじゃと申す。冬でもアイスバーンの歩道を自転車でスイスイ乗る。先日、転んで倒れて道路で血だらけになっていて助けに行ったが、平気な顔。北海道開拓の血を思い出させる人物だ。夜になったら眠るんです・・を地でいってるような人だ。外で美味しそうに毎日10本のタバコを吸う。おじいちゃん曰く、タバコは健康の素だ。肺がんの一番の原因はタバコではなくて自動車から出る排気ガス。タバコが魔女にされている構図だ。ナチス帝国は、健康・健康・健康、一斉に同じ科白斉唱だ。気味の悪い国になってしまった。鉄や電力や石油やエネルギーを食い散らす自動車産業の犠牲に葉タバコ農家が犠牲になっている。

参考 宝島社 世界一わかりやすい放射能の本当の話 別冊宝島編集部編

 

 

 

  1. 今や、電気から受けている恩恵は大きい。身の回りを見ても、照明、ストーブの点火、炊飯、洗濯機、冷蔵庫、冷凍庫、TV、音響機器、PC、ドライヤー、換気扇、扇風機、エアコン、電動工具、保温ジャー、ミキサー、携帯充電器、ゲーム機、鉛筆削り機と電気が無ければ生きられないほどに電気依存型の暮らしになっている事に気づく。これに電気自動車などとなれば、ますます電気は無くてはならないエネルギーになる。電気はクリーン・エネルギーと言われるが、生産過程で石炭を使ったり公害も生産している。原発となれば危険性のリスクが同居している。風力は野鳥が犠牲になったり、太陽光は不安定だ。昔ながらの水力発電が一番クリーンと思うが、コストが割安の小型水力発電施設を個人レベルで増やして行く事が必要だと思う。

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