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縄文ファンのためのフリーペーパだ。3万部。

6月4日に書いたブログであるが、このあと朝日新聞科学欄の記事やや日本人はどこから来たかという題名の本も出てきて、さらにアフリカのオーストラロピテクス(黒人)が中東付近でネアンデルタール人と交錯する話とか人類学は忙しくなってきた。日本列島を中心に考えると。まずは縄文人がいつごろどこからきたのかという話。次は弥生文化(稲作)はほぼ朝鮮から北九州あたりに上陸したのは確実みたいだ。それが、順次、西から東へ移動するも現在の長野県(信州は弥生文化を拒否)は通過して一気に東北へ伝播。諏訪神社の大木信仰(祭礼)の名残からNHKが分析していた。果たしてそうなのか?今一度お読みください。

知の相対性~もうひとつの日本の歴史~

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教科書で書かれた歴史は、統治した側から記録したものが多く、書かれなかった歴史、残された絵や版画、生活必要品や言語から推理できる歴史の再構築がフランスのルナール学派を中心に主流になって50年以上経過する。


日本でも実業家・渋沢栄一が宮本常一に命じてお金を出して、今のうちに集めておかないと庶民の歴史が無くなってしまう危機感から、日本中の民の歴史を収集させたのは有名な話だ。宮本常一は『普通の人』を『常民』と名付けた。ドイツ中世史の阿部謹也さんは丹念に版画1枚を分析して当時の暮らしを再構築して見せたり、日本中世史の網野善彦さんも富山の民家の倉に残された資料を読んで『百姓』は必ずしも『農民』ではなくて、百というたくさんの職業の総称であることを発見したり、私たちが知識として思い込まされてきたのが実際の内容とどれほど歪んだものなのかを見せてくれる。


誰も疑うことをせず思い込まされてきた知識を捨てられた瞬間は何とも気持ちがいい。たとえば日本国歌『君が代』が、明治時代、英国人から『欧州各国にには必ず国歌というものがある』と聞いて、慌てて近代国家として整えるために、英国人・ドイツ人・日本の雅楽者が一緒になって作った話だなんて、小学校の1年生の音楽の教科書の1ページ目になぜ掲載しないのか。なんでも国粋を第一義に考えると、真実を歪めてしまうから気をつけたい。(内田樹「日本辺境論」から)


嘘を100回言うと(真実)になってしまう。『政府は必ず嘘を言う』(堤美果)。これは、世界中で行われている嘘でロシアでも北朝鮮や中国でも英国でもアメリカでも変わらない。そのためにジャーナリストは政府を権力を監視するために存在理由があるのだが、アメリカのメディアもFOXやマードックに買収されて自立性を失っているからあてにならなくなってきた。NW貿易センタービルへの航空機激突も原因は闇の中、ケネデイーの暗殺もそうだし、リビアはじめイラクでの独裁者がいたがゆえに国内の政治的な混乱を防いでいたともいまなら言えるかもしれない。アメリカ流「民主主義の押し付け」をCIAを使って意図的に起こされた可能性もある。


ここでようやく本題のもうひとつの日本の歴史という考え方だ。


最近、『アイヌ学入門』を読んで、苦手であった日本の歴史が時間や空間でまとまり出した。それは私の住む場所に膨大な縄文人、縄文土器が採掘され、郷土博物館に並んでいるのを目にして、前は今の自分には関係が薄く、他人ごとのように眺めていたが、ネアンデルタール人やクロマニヨン人の動向や分子生物学からくるDNA研究、オスとメスの書物を読むにつけて、古代人・縄文人の息遣いや暮らしが筆者の頭をよぎるようになってきた。私の足元に歴史が転がっていることに改めて感動している。


アイヌの歴史が日本の歴史と交流貿易でも、金の採掘でも、武士社会で使われた1本の矢の羽がオオワシのものであったり、北海道各地で武士の鎧が発見され、富裕なアイヌが交易で購入していたり、さらに高価な食器類も発見され、和人との交易で買ったエカシ(長老)がいたのだと想像されて、明治や幕末以前にも信じられないくらいの交流がアイヌにあったことを知って歴史がつながるようになってきた。私の住む地面に大昔、縄文人が竪穴式住居を構えて、家族を養っていたことをブログを書きながら想像している自分がいる。私があたかも縄文人であるかのように。

 

 

  1. これだけ近代化された街にも戸建てを求める人間の習性は古代人と何ら変わりないのではないだろうか。コンクリートの集合住宅の方が余程合理的なはずだが、自分を中心に家族を守るための一戸建ての家は、形は進化していても、竪穴式にも似ている。不動産関連の広告の仕事で、かなり前に関わった新興住宅地が、あちこちに点在するが、元の土地の姿を知っている僕には住人も知らない事もたくさんある。住宅団地ともなれば「たくさん住めば怖くない」が、太古の昔には、集合住宅も、住宅団地も無く、住居はまばらで、雨や雪や動物や敵から身を護るために、今では想像もつかない環境下に置かれていたに違いない。九州あたりでは夏は暑く、特に積雪寒冷地の北陸・東北・北海道の冬には、動物の冬眠にも似た暮らしだったのではないだろうか。短い夏場は長い冬を生き抜くための食料確保に懸命だったに違いない。今の様に、のんびり趣味など楽しむ暇など無かったのではないだろうか。

  2. 島国だから、日本人とは言うものの、実際はいろいろな人種が集まって日本は出来ているのだと思う。こんな狭い島国でもこれだけ地域差の有る風習や言語でも、そんな推測ができる。当然ながら大陸から渡り着いたり、渡って行ったり、戦いも当然ながら、自然と交流も生まれたのだろう。歴史は美しく語り継がれる事が多いが、語れない史実が真実ではないだろうか。僕も転々と住居を変えて来たが、今も流浪を続けている。

  3. それにしても、海外の国歌はどうしてみな同じ、軍楽隊調なんでしょうね。各国に独自の民族旋律があるはずなのに。しかも歌詞に「戦い」「敵」「勝利」「死」「血」の入ってほうが珍しいくらい。http://www.world-anthem.com/
    日本語で歌ったら、職務質問されるレベルです。

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