8年間、世界中を旅して遊んで・・・飽きた!!!
先日、ある人の紹介で70歳の居酒屋経営者と話す機会があった。62歳まで働きに働き、十分の蓄えを稼いで、60代は遊んで暮らそうとハワイ、シンガポール、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど世界中を8年間、旅行三昧をしたがあるとき「いったい、自分は何のために生きているんだろうか?」という疑問に取りつかれて、あるビルの地下に小さな居酒屋を昨年オープンさせた。
ビール1杯の値段をどこの店よりも安く設定して、開店と同時に満席が続く店になった。「いまは毎日が楽しく、充実している。旅をしているとやれハワイで知り合い、シンガポールで知り合いなどたくさんできるが、それはその程度で、所詮、そんな知り合いは長続きせずですね」「70歳になって始めた店経営の楽しさ。働くのが一番楽しい」と繰り返し言っていた。
たぶん「海外旅行は癖になる」とも言われて、〇〇の書いた絵を見に行く、〇〇博士と会って〇〇のテーマで討論したい、ある国の誰々に会って旧交を温めたい、戦死した友人に手を合わせるために〇〇島へ行くなどその人の人生の根幹に触れる海外旅行は別として、漠然と旅行会社のパンフを見て行く名所旧跡めぐりを8年もやっていれば、初めは裕福感に満たされても、彼の場合、だんだん虚しくなってきて「誰かと関わる仕事に戻ってきたわけである」。しかもたくさんの協力者もいて(それも現役時代の彼の料理人時代の人徳がなすところ)、成功している。
70歳にして楽しくてしょうがないという雰囲気であった。現役時代に「私は趣味だらけで、時間がいくらあっても足りないくらいにやることが多いから会社を辞めても不自由はしない」と豪語する人を何人も見かけた。しかし、結果は「毎日が日曜日では、趣味も初めは楽しいが、これが1年2年続くと退屈の病魔に侵される。」そこらあたりの心境になるのを知って開催されるのがOB会である。居酒屋や料理屋・ホテル、温泉。飲み放題+料理5品で90分2200円の店などの前で60代70代がたむろしているのを良く見る。
この集団が現実社会と取り結ぶ縁は年金を居酒屋へ投資するくらいか。まだまだ経済的に自立できていない子供たちを援助しているのかもしれず、そういう人から見れば「8年も海外旅行三昧をして、贅沢なものだ。自分もやってみたいものだ」と言う人が多くいるだろう。しかし、それを体験して「海外旅行より、普段の身近な人たちとの会話やお店の仕事がサイコー」という発見をした人がいるという現実も知っておきたい。
蟻かキリギリスか。
老後、恵まれた人とは?一体どんな人達なんだろう。「遊び放題」なのか?それとも「お金の使い放題」なのか?。働くことが嫌な人にとっては、それもいいだろうが、現実の僕などは「趣味は仕事です」と嘯いてはいるものの、実際は働かなくては食べていけない、いや、食べさせていけない状況だ。若い時に貯えなかった「キリギリス」のようだが、余程の高給取り以外、普通に働いてお金を残すにはどこかで、何かを犠牲にして、せっせと倹約しなければ難しいだろう。幼少期に過ごした田舎で習った事は、大人になったら一生懸命働く事で、遊ぶ事などはほとんど習わなかった。年老いても、出来る仕事として自ら進んで近辺の草刈りをしたり、今で言うボランティアもかって出て居た。田舎では年老いても地域社会に必要とされて生きていたようにも思う。核家族化とかで「大家族」も稀になったが、地域社会そのものが無いに等しい現代で、老後を過ごすには「群れ」を見つけるのか?それとも「孤独」を貫くのか?答えは見つからないので、身体が動く今は取り敢えず、「働く」事にした。「蟻」のように。
旅行自慢。
世界中を旅して飽きたとは、羨ましい。知り合いでも、似たような人が居た事を思い出した。地元の商社で長年勤務し、部長職だった彼は、身体が悪く毎週病院通いしていたが早期退職して円山裏参道にあった自宅を売却して福住に立派な邸宅を建てたが、間もなく、不幸にも奥様を亡くされ、大きな屋敷に独り身となった。オーディオ趣味の彼も一眼レフカメラを持つようになり、海外に出かけるようになってからは見違えるようにスリムになって元気になった。70回も80回も海外に出かけるが、現金は4万円しか持って行かないと言っていた。行くところも尽きたのか南極にまで出かけたほどだ。海外で見聞を広げて、今では老後の自慢話に役立てているのだろうか。そんな海外も最近では物騒になって来て、気軽に出かけられなくなったようだ。