一寸先は 闇 〈3月23日の再録です〉
私は49歳の12月4日、職場で急に心臓が痛くなり、産業医のところに駆けつけた。が、心臓をグイグイ押されて、痛み止めをもらい帰された。病院受付には循環器医として認定する賞状が貼られていた。その日、明日は地元の循環器クリニックへ行くので、お風呂に入った(入浴は最悪の選択であったと後で知る)。次の日、心臓を見た医師は、椅子から動かないで動くなと言い救急車が呼ばれ、椅子に乗ったまま市内の手術設備のある病院へ運ばれた。夢を見ているような時間であった。私は暴れないように手足を縛られ2日間を過ごし痛みで叫んでいたようだ(どうも記憶がない)。
担当医は「奥さん、生死は五分五分です」と伝えらえたと後で妻から聞いて、彼女の中に、葬儀をどうしようかと浮かんだらしい。急性の心筋梗塞であった。50日間の入院で、患者たちが自分の傷を見せ合い、自慢ごっこもしていた。病院の内側から外が見えるようになった。たくさんの見舞い客が来たが、5階の窓から見る彼らは「朗らかで、軽くて、笑顔が多く」車に相乗りして帰社していった。私は、そうだよな、自分はどうにか病気にもならず健康で良かったという安ど感みたいなものを彼らに感じた。
私の入院で見舞いに一番多く来た、会社の同僚が62歳のときにウォ-オーキング中、異様な疲れに襲われ急性骨髄性白血病に罹患した。息子二人とも父親の骨髄と適合せず、骨髄バンクで最適者を見つけたが、登録者の親か危ないからということで、骨髄移植を拒否した。「兄弟は調べたの?」「腹違いの兄弟で財産問題で、ある時期大ゲンカしていまさら頼めない」と。1年6か月後、全身の痛みに耐えられず、叫びながら死んでいった。(なんという治療の病院!)。
あれだけ健康に留意して生きてきた彼が死に、1日40本のタバコを吸いテキトー営業を心がけ・アバウトな生活をしていた私が30%の心筋が壊死したとはいえ、生き残ってる。まったく人生はわからないものである。
太古につながる生活者の目というテーマと関係ないといえば、関係ないが、一寸先は闇は万古から続く真理ではないだろうか。死んだ彼のためにブログに遺しておきたかったことである。
明日は「ネット・バカ」~インターネットがわたしたちの脳にしていること~第二章「生命の水路」です。
匿名
歳をとると周りで亡くなる人が増えてくる。身体に支障をきたして入院や手術する人、療養をする人、騙しだまし病気とともに生きる人、やららとスポーツなどして健康な人、など様々だ。機械が故障するように、人も当然故障する。寿命は保証されていないから先の事は誰にもわからない。僕もこれまでに何度も死に直面しているが、こうして今も元気で居られる事に感謝している。生きていられる事は儲けものと思って何かしら徳した気分で今日も暮らしている。