ノーベル賞の発表が近づいてきて筆者も2008年ノーベル生理学医学賞受賞者のリュック・モンタニ博士の本を見つけ、読むと中面で引用されていたアインシュタインの言葉。『無限に続くものはこの世にふたつしかない。ひとつは宇宙、もうひとつは人間の愚かな行為だ』(同著183p)。


1945年、燃料をがウラン325の広島、プルトニウムを燃料の長崎の2種類の原爆が使われ実験された。(関連記事 3月21日、湯川博士、原爆投下を知っていたのですか)。さらに水爆まで開発・実験し、このままいくと人類の滅亡に至りつくとの危機感から、哲学者や物理学者はじめ科学者の社会的・政治的未来志向を模索する有名なのカナダ寒村で開かれた『バグウォッシュ会議』。日本からも湯川秀樹.朝永振一郎も参加した。


科学者・技術者からみれば『学問は、科学は純粋な勉強や発明なので、それをどう利用するか、それは政治の問題で、科学はあくまで価値中立性を保てればいい。私にも家族があり、相応の暮らしをしないといけない。住宅ローンもあって稼がないといけない。いまさら失業の危険を冒して、人類にとって正しい方向や宣言に署名するまではいいが、さらに一歩踏み込んで、現在の政治体制や国の国防やエネルギー政策に歯止めをかけるアナウンスまで実名を名乗ってできない気がする』。内容はさておきまずは自分の生活なのだという人生観は固い。


いつの時代も権力は最先端の科学技術を軍事に向ける。その余波で民生用に応用して企業を儲けさせるという順番だ。抗がん剤も生物化学兵器のマスタードガス開発から生まれたとされる。日常、利用している飛行機ももとをただせばまず軍事での軍用機開発ありきであったことを思うとわかりやすい。建設や土木で使われるキャタピラも戦車の走行のために開発されたもの。ノーベル発明のダイナマイともやはり軍事優先だった。とにかく軍事は破壊・破壊のパレードだ。軍事力で相手国に橋をかけたり、道路を整備したり、学校を作ったり、上下水道を伸ばして民生に寄与する話は聞いたことがない。『殺らないと殺られる』限界に人を追い込むのが軍事だ。


人類の揺籃期、アフリカから私たちの先祖が中東に入り、西と東に分れてネアンデルタール人と長い間、共生しながら家族や部落や社会を構成して、隣との境界線で土地と食糧・水の取り合いをしてきたわけである。武器は棒や石や青銅や鉄になり殺傷力を増した。境界線の移動には必ず人が犠牲になる。


哲学者バートランド・ラッセルと物理学者アインシュタインは1955年、すべての核兵器および戦争の廃絶を訴える『ラッセル・アインシュタイン宣言』を出した。今から61年前に、人類の文明史を考察した哲学者ラッセルがBBCラジオで演説した内容をお読みください。シリア内戦・難民の大発生・アフリカや中東での虐殺・北朝鮮の核実験やミサイル発射が続くなど、現在も私たちの見えないところで『殺人者が進軍』している。あらためて二人の宣言文を読むと、61年前と人間のどこが進歩したのかまたは退歩したのか相変わらずか、比べられる。当時は米ソ2大国の東西対立の時代であったが、現代におきかえれば主役は中国や北朝鮮、中東のイスラム傭兵軍人たちなどおきかえて読めます。

  1. 「飲~める賞」にもノミネートされなかった男。

    昨日から、日本人の「ノーベル賞単独受賞」の話題で持ちきりだ。ノーベルだって危険なニトロを安全に扱えるダイナマイトを発明したとか聞いているが、当初は、土木工事など平和利用のための研究だったにしろ、実際にできた暁には、軍事利用にも犯罪にも使われる事は想定内だったのだろう。善悪はいつも背中合わせのものだ。今日も世界各地で研究者たちは、研究に没頭しているのだろう。地球環境や生態系に悪影響を与えない研究をして欲しいものだ。

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