人生に暇があるから趣味や好きな学問や研究に没頭できて、恋愛も失恋も仕事も旅行もできると考えると『暇』という代物がとんでもない化け物に見えてくる。


ひとつのことに集中している他人を見てみると、それに向かう形相とは別にどこか滑稽とか狂気に入っているようにも見える。動物を見ていると食べる・寝る以外は暇人(動物)にしか見えないが、風格があるのはどうしてか?人間は余計なビルを建てたり、穴を掘ったり、埋めたり、土管や電線を張って、家に電気を通して、パソコンやら携帯をいじらせ、ゲームで暇な時間をつぶしたり、その暇を買うためにお金を払い、払うお金のために働き労働を売る。本屋へ行けば、暇な時間を活字やCDやDVDを売っていて時間つぶし産業が流行る。


映画も時間つぶし産業、テレビも電気紙芝居と思えばいい。スポーツも昔あったゲーム盤を人間がしていると思えばいい。おしゃべりも暇がなければできない。サラリーマンも8時間のうち実際、集中力を発揮している時間は半分もないかもしれない。忙しそうに暇をつぶしている人が多いと思う。『それって仕事?またゴルフ?それって会社のお金を使うの?』、そんなサラリーマン上がりの経営者の群れを見てきたから、そんな管理職が回りにわんさかいたから、筆者は『暇には敏感』だ。


ブログを毎日書いている今のほうがサラリーマン時代より働いているかもしれない。収入はゼロだけど、エネルギーは本読み・テーマ設定・文章書き・校正など多岐にわたる。悪戦苦闘の毎日である。モンテーニュという16世紀フランスのエセイイストに(暇について)書かれてないか調べてみたが、宗教戦争の只中で、暇について考える暇はない。


パスカルなら人間のすることはすべて『慰めごと』という発想があるから彼の『パンセ』に書かれてあるかもしれない。探せたらまた書きます。『人生はアドベンチャーではなくて暇つぶし』なら、戦争や狂気の発現や戦いに勝つ意志へ紙つぶてを投げることになるかもしれない。


人間は静かに生きることが嫌な動物種のかもしれない。我が家の庭に咲くツツジやバラたちブルーベリーの木々を見て、人間が掘り返して移動させないと動かず、静かにそこにいて太陽を浴びて、水を根から吸い込んで呼吸をして、時期が来れば、誰が見ていなくても黙って咲いている。隣家は誰も住人はいないが秋には見事なツツジが紅葉している。移動は戦争を引き起こす、国境線の変更も。しかし、国境線が人工的に引かれただけならどうする?国境線を越えて移動するのが難民たちだ。貧と飢えや戦争から逃げる。それに壁を作ろうとするEUとアメリカ。インターネットが先進都市の豊かさの幻想を世界中に撒き散らしている。


人生は暇つぶしといえるのは、だから筆者がほどほどの暮らしのなかに生きているからだと指弾されそうだ。

  1. ススキノには何十年も無縁の男。

    「♪お暇なら~来てよね~」なんて言われた事は無いが、言われたところでカネも無いから行けない。世の中カネがすべてで動いているから働かざるを得ない。40~50代のサラリーマンの多くは「早く退職して年金での~んびり趣味でも楽しんで暮らしたい」と皮算用しているが、年金暮らしはそれほど優雅なものでは無い。物価上昇で暮らしに掛かるおカネは昔に比べて格段の差がある。夫婦生活で夫が健在なら年金も何とか多少貰えるが、夫亡き後は月額2~3万円での暮らしは、暇はいくらあっても暮らせない。先日もスーパーマーケットの駐車場に車を停めると、近隣の市営住宅に住むお年寄りの女性が大根を一本だけ買って帰って行った。これから寒くなり、暖房など光熱費も家賃も税金もすべてを一日5~6百円で過ごさなければならない。趣味はあっても暇はあってもおカネは湧いて来ない。サラリーマン世帯ならまだ厚生年金に加入していたわけでこれくらいの暮らしもできるが、自営やアルバイト、パートなどでは国民年金だから、さらに悲惨な結果が待っている事になるのだろう。暇を謳歌する暇はなく元気なうちは働かざるを得ないだろう。

  2. 田舎暮らし経験者。

    都会の人には無理とは思うが、田舎暮らしができる人なら自給自足で暇も作れるかも知れない。自分たちが食べるだけの作物を作り、水道は谷水か井戸水、火は薪をくべて、ご飯も煮炊きもカマドか囲炉裏を使い、照明には自家発電の水車かソーラで賄い、TVもPCも、クルマも持たず、せいぜい自転車とリヤカーで移動やモノを運び、鶏を飼って卵を得たり、鶏肉を食したり。あまり大袈裟な家畜を買えば飼料代に掛かるから鶏くらいが丁度いい。基本的に公共料金なるものから倹約する事を考えれば、電力消費が少ない、自家発電や再生エネルギーで賄える程度のラジオくらいならいいと思う。なんだか昔の暮らしそのものが理想的に見えてきた。周りと比べなければ。

  3. 「暇だったころ」を思い出すと、若い頃でしかなかった。絵を描いたり、釣りをしたり、麻雀をしたり、映画を見たり、喫茶店で長々とお喋りしたり、写真を撮りに道東めぐりをしたり、知人と小旅行をしたり、ゴルフをしたり、ドライブを楽しんだり。年齢を重ねるごとに暇はなくなってきた。せいぜい年に一度のゴルフ、年に一度の映画、年に一度の外食くらいだ。でも、忙しいとは言え、嫌々働いているわけでもない。つまり、仕事が暇つぶしになっているのかも知れない。他人から見れば悲しい話と思うかもしれないが、それが自分にとって生きがいの一つなら、年金をもらいながらの仕事もいいかなと思う今日この頃だ。ただし給与を余り要求してはいけない。何故なら確定申告で税金を驚くほど持っていかれるからだ。特に注意しなければいけないのは仕事を辞めた翌年の税金がワンサカ来ても払えないなんて事にならないよう。働くのはいいが欲張らない事も大切。

  4. うるさい爺さん。

    暇は嫌いではない。働けなくなれば自然発生的に暇になるわけで、その時のために今は暇を大切に保存しておこうと思う。暖かい日差しの当たる静かな公園の片隅のベンチの指定席でギターでもブルースハープでも何か手軽な楽器で遊べたら最高に幸せな時間だと思う。そのうちブルース爺さんたちが寄ってきてセッションなど始めれば、ニューオーリンズでは無いが、楽しい老後になりそうだ。でも傍らのベンチで静かに読書なんかしている婆さんに「うるさい奴らだ!」と嫌われるかもしれないが。

  5. 暇人のお相手はなかなか出来ない。と、言う僕は他人から見れば同じ暇人の部類に入るのだろう。それが証拠に、いろんな人からモノを頼まれる。多忙だろうが問答無用と、どんどん頼まれる。だから一日駆けずり回って、アッと言う間に一週間が過ぎてしまう。そんな毎日も、気がつけば後一カ月半で今年も終わろうとしている。今朝も風呂張り、自転車4台を物置に片付け、荷物運びをしてから仕事に出た。昼前にはある人を送り届けて、又デスク仕事、今日くらい少し息抜きにカラオケでも行きたい心境だ。カラオケなんかしていると、又誰かに暇人だなぁ〜と言われそう。

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