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2015年4月24日、アルメニア人虐殺から100年。ナショナルジオグラフィック

『ナショナル・ジオグラフィック』(2016年4月号)に、アフリカから人類の拡散ルートを徒歩で旅するポール・サロベックの5回目の記事を読んでいたら、第一次世界大戦中、オスマントルコによって約100万人のアルメニア人が虐殺された現場を歩くサロベックの辛い紀行文が載っていた。


『選ばれたトラウマ~政治心理学者のバミック・ボルガンは、個人でも国家でも、深い悲しみがアイデンティティーの核となった観念や世界観をそう表現する。集団的な暴力に痛めつけられた社会を一つにまとめあげるのは、選ばれたトラウマだ。だが、一歩間違えると、内向きのナショナリズムを助長する』。


初めて聞く(選ばれたトラウマ)という単語を吟味すると、誤解や妄想を含めて民族をある集団を理解するキーワードかもしれないと思った。しかし、そこに囚われすぎていると『すべてをつらい過去に結び付けても、未来がないと思いませんか?被害者意識にとらわれていると、ただの物乞いになってしまいます』(アルメニア人活動家)。第一次世界大戦でオスマントルコは対ロシアと戦ってきた関係でドイツに接近、そのときアルメニアがロシアと協力してオスマントルコに敵対してくることを恐れたので、起きたジェノサイドだ。露(ロシア)土(トルコ)戦争真っ最中である。


親日家が多いトルコ(日露戦争で偶然、日本が勝ったことでケマルアタチェルク率いる青年トルコ党は独立)が実は、その前に、オスマントルコ時代のアルメニアへのジェノサイドを、犯罪を行っていたのであるが、現在のトルコの人々は『あたかもそんな事件はなかったかのように』振舞っている。元々、トルコ人とアルメニア人とは仲が良かったがトルコ民族主義者がドイツ側について、アルメニアのロシアとの連携を危険と煽ることで国民を反アルメニアに扇動していったのである。


いつの時代も声の大きい集団が(現代ではマスコミやネットを使って)世の中の流れをあらぬ方向へ押し流すのが常だ。ポールサロベックの旅は、シベリヤ、アラスカを越えて、北米大陸を南下し、最終地点が南米のホーン岬だ。徒歩で人類の拡散を実体験しているが、そこに住む(移住させられた場合もある)人々の歴史や悲劇は重い。結論はどういうことに落ち着くのか。


私たちは『自分が見たくないものは見ない』、『見たいものだけを見ている』。『関心があることだけ』で生きていて、それに突然亀裂が入るのが、自然の驚異や災害に襲われたときである。見たいとか見たくないとか、そんなレベルの話ではないから。いま現在をどうするかで生きなければいけないし。

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