失語症に近くなったこと
大学の学部移行をしてから、哲学のゼミでアリストテレスの正義論を英語とギリシャ語のテキストを使ってやったのは、よかったが、当時記号論理学が大流行で、この文章は正しいかまたは間違ってるかとか、この言葉の定義はどう規定されるとか、日常生活の言語とはまるで別世界の言語環境に私の心身が超不適応症状を呈してしまった。定義された言葉を正しく使うという、学問の世界ではあたりまえなことなんだろうけど、別にゼミの先生と親しいわけでもなく、倫理学科は文系で選択した学生は私ひとりだけだった。
そして助教授がふたりいた。超恵まれた超寂しい学科だった。そして私は語学が苦手ときているから、最悪であった。担当教授は「語学だけやりなさい」である。ふたりともカント学者(カンティアン)で、私は16世紀の宗教戦争の勉強ばかりしていた。エラスムスやトマスモア、異端審問、魔女狩り、渡辺一夫さんの本を読んでいたり、倫理学とどこかで交差はするのだろうけど(キリスト教の本質なので)、学科の単位とは全く関係ない勉強ばかりしていた。そして、学生を逃亡した。大学紛争が収束して、4年になるとリクルートスーツを着て、就職していく先輩たちを見ていて、ダラシナイ人生を送りますね、あなたたち・・と軽蔑していたものである。
旧帝大解体なら、そのとおりの人生を歩んでみたらと思ったものである。倫理学科では、私は失語症に近い大脳に変貌していた。「それはどういう意味で使うの?」が頻繁に出てくると、しゃべれなくなるものである。「スペインの光と影」というカトリック圏で最後まで異端審問をしていた、スペインにスポットを当てて400字詰めで50枚の論文を書いて、担当教授の自宅に送りつけた。(堀田義衛の影響)それが私のケジメみたいなものである。
社会に出てみると、その解放感たるや最高だった。こんなに思ったことをたくさん喋れて、厳密な言葉使いを指摘してくる人のいない(制約を受けない)世間に万歳だった。失語どころか、むしろおしゃべりな人間に私は変わっていた。就職ではいろいろ苦労はしたけれど、どの企業も正社員があたりまえな時代であって、派遣業は速記者や通訳といった業種以外はなかった。
私の仕事柄、文化教室の仕事もあり、哲学ブームを起こした「ソフィの世界」が売れて、その本を読む講座に、学生時代の私が大迷惑をかけた教授に講師をやってもらった。受講者も先生にも喜ばれて恩返しができた。遠回りの人生もいいもので、この道は楽な道、その道は苦労する道の別れ目で、苦労を選択癖があるんだたとつくづく思う。この道は友人が増えるのかもしれない。でも危ない道でもあるから、たくさんの人にはおすすめできない。
昔の少年
時々難しい書物の紹介などいろんなジャンルの読書家だなと思っていましたが学生時代は哲学専攻でしたか。前々前々前職の広告代理店で上司に文系(弘前大)の方が居りましたが、几帳面の文字通り、細かい文字でびっしり原稿を書いて渡されました。小さな広告を作るのに入りきれない?おそらく読まれないないだろう文字数に口論したものです。僕の甥も文系で大阪で先生をしていますが、年賀状に自作の詩が張られて来ていました。長い長いPCで打たれた文字を僕は読みきったはずも憶えていません。社会に出ると学問どおりに行かないことの方が多く、学んでから社会に出るより、もしろ社会に出てから必要な事を探した後で学んだほうがいいような気もしますが誰もが遠回りしているように思えます。しかしジグザグ道も通ってみれば人生を楽しくしてくれますね。