シベールの日曜日 - Poster Japon

高校2年の秋から、筆者は予備校へ通い始めた。札幌駅から市電で80円の区間であった。ところが、高校二年クラスも通う学生が1か月経過するたびに半減して、私もごたぶんに漏れず、授業もつまらなくなり、自宅には「予備校へ通っている」と嘘を言い、160円の往復交通費はもらい、通っていたのは映画館だった。

2本立てや3本立ての映画館もたくさんあったが、所持金・授業時間・帰宅時間を考えたら名作1本がちょうどいい。繁華街狸小路3丁目に遊楽地下映画劇場があって、高校生が80円で鑑賞できた。フランス映画全盛の頃で、私もブリジッドバルドーやアンナカリーナやマリアンヌフェイスフルが好きで、ストーリーは忘れたが、青春の真っ盛り、いい女だなあとみていた。特にバルドーの口を細めた色っぽさは、動物愛護活動に突然変身して、小太りの体型だけは見たくなかった。彼女自身、毛皮を大量に買い込み、着ていたのに今更なんですか・・?

ともかく毎日、札幌駅地下、札幌テレビ塔地下の安い映画館を転々、ススキノにあった東宝公楽の後ろに味噌汁臭い小屋があって公楽文化といい、ここでも名作がかかっていて、初めて北朝鮮の映画を見た。画面に豚の首が突然出てきて、びっくりした記憶がある。見た映画名や監督と主演俳優と感想を書いたノートを作り、映画に詳しい友人と見せ合っていた。「スクリーン」や「映画の友」という雑誌もあり、「キネマ旬報」を読めるかどうかは映画通の登竜門だった。

ある日、「シベールの日曜日」(1962年制作)という初めて聞くモノクロ映画にぶつかり、軽い気持ちで「時間つぶし」と思い入ると、これが晴天のなんとやら、17歳の私に激涙が走る。フランスの植民地インドシナ戦線でパイロットをしていて、ベトナムの少女を誤射して、それ以来記憶喪失のピエール(ハーディー・クリューガー)と親に捨てられた孤児院にいるフランソワ(パトリシア・ゴッジ)が出会って、毎週、日曜日、近くの公園で心通わせるお話だ。ピエールには同棲している看護婦がいるが、彼女が勤務する日曜日、ピエールは少女に会いに行くのだ。

しかし、精神不安定なピエールは「何をしでかすかわからない」と通報を受け、警官が最後は彼を射殺するところで終わる。最後の日、フランソワは本名を名乗る「シベール」という名前だと。本名を明かすことは、昔から愛の告白に通じているので、ようやく孤独な二人に気持ちが通い合ってきた矢先の悲劇だった。泣き叫ぶシベールだった。この映画は何度も見た。いま調べると音楽はモーリス・ジャール。レンタルショップでこの映画を見かけるが、私は借りて見ようとは思わない。あのときの感動をそのまま残しておきたいからだ。

札幌駅の地下に「テアトロポー」という安い映画館もあった。時間つぶしで見た映画が「激突」だった。スピルバーグの名前も知らず、見ているうちに「なんだ、この映画凄いぞ!」と画面から目が離せない。「逃げろ、神経質なサラリーマン!」。軽い気持ちで追い越しをかけただけで、どこまでも追い詰めるトラック。スピルバーグとの出会いだった。すべて、予備校通いを止めて、出会った幸運。そう思いたい。

  1. あの青春は二度と来ない。えっ?今も?青春?。中学の頃は雑誌で洋画スターのきれいな女優に憧れた。高校の頃には、映画館のオーナーの不良娘にすっかり慣つかれて、混んでいる時は後ろの壁に、怖い娘と二人で並んでもたれて観る事を条件に顔パス入館させて貰ったものです。おかげ様で洋画も邦画も、日活の青春ものに至るまで憶えていないほど観せてもらった。
    豪雪の年には、先生宅の雪下ろしをして昼飯にカレーを戴き、日当1000円を貰うと、行き先は街の映画館だった。
    親から離れて寄宿舎生活だったので叱られるのは親代わりの寮の舎監の先生と先輩くらいで、自由を謳歌していた。
    今思えば、何故か同学年や後輩の不良やら番長やら街のスケ番に慣つかれて、まじめな高校生の僕を不良先輩から守ってくれていた。理由はどうも、音楽部の部長で映画音楽などポピュラー曲をステージでかっこよくトランペットで吹いていたからだと思う。映画で知った「アラモの砦」、「皆殺しのテーマ」や「或る恋の物語」などサウンドトラックを放課後の教室で吹いていると、おとなしく聴きに来るのは子分連れの女番長だった。彼女も映画ファンだ。映画には印象深い音楽が必ず登場する。映画は田舎の街の僕たちには唯一の娯楽だった。音楽は印象に残ったが、個々の作品のシナリオは余り覚えていない。

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