自分の住んでいるところを知らない。
11月4日に登別へ行く途中、伊達の道の駅に行きたいということで室蘭という鉄鋼の町を通過した。おったまげた。ここは北九州かと錯覚した。
富士鉄室蘭(現新日鉄)や日本鋼管、原油タンクの群れ、白鳥大橋は瀬戸内の橋みたいだ。北海道にこんな場所、工業地帯が現存しているなんて感動ものであった。母の妹が富士鉄室蘭に勤務する人と結婚して、55年前に一度だけ水族館に行ったことがあるだけ。
戦艦大和の大砲はここで作ったと聞いている。しかし、考えてみると筆者は札幌に生まれたとはいえ、さっぱり北海道を旅していないことに気づいた。観光地でいまだ訪ねたことがないのは、すべての島、知床、江差、日本海沿の稚内まで、旭岳や黒岳、積丹半島など北海道の半分以上の場所を訪ねていない。道東にしても摩周湖や屈斜路湖は中学の修学旅行で通過しただけ。全くもって旅をしていない自分に気づいた。
四国と九州を合わせた面積の北海道で、詳しいのは札幌市内のビルにあるトイレの場所。営業をしていると便利な知識だ。しかし、札幌はどちらかというと北海道ではない。無名都市、コスモポリタンだ。誰をも受け入れ、たくさん去っていく都市。そして冬は地下都市。モグラ族が寒い冬はパタパタ歩く。札幌以外で地下街は道内にはない。
室蘭という物づくり都市、伊達という火力発電所の町を通過、苫小牧、白老という製紙工場の高い煙突と煙の匂いを嗅いで、自分がいかに狭い都市(地区に)生息しているのかわかった。いわんや日本の他都市、世界の他都市、部落や島々、民族、習俗。ほとんど無知に近い。
それで知ったかぶりで他人のおしゃべりにうなづいて自分の知識にしているのだから欺瞞も甚だしい。そこに住む人とどれだけ本音で話せてきたかを考えると、さらに心細い。この程度で『人生なんて語れないわ』と強く思った登別温泉行きであった。『語るとは自分の知らないことは全部省略して話すこと』と定義したいくらいだ。
さらに恥ずかしいことながら、札幌市内も行ったことがない町がたくさんあることで、近郊の新興住宅街は通ることさえしていない。地名は知っていても自分の足を省いて生きているわけだ。そういえば、転勤族の人と話すと私よりたくさん道内を回っていたり、美味しい地元の特産物を食べていたことも思い出した。『灯台(下)もと暮らし』って本当だ。私自身が『北海道は広大な自然と牧場、美瑛の丘、十勝の平原、オホーツクの流氷、小樽のガラス工芸、函館の夜景、日高のサラブレッド』に凝り固まっていたのだ。
僕のクルマは、市内走行、年間2万Km超。
その点、僕などは、若気の至りとは言え、ぶらり本州からの移住族ですから、最初から、本州との違いに驚き、興味を持って小旅行をしましたね。クルマの無い時には列車やバス、友人のクルマで。最初に手に入れたクルマでは家族で、独りで、頻繁に出かけましたね。まだ行っていないところはわずかです。道内はほとんど行っていますね。もちろん札幌市内もほとんど知っています。口癖は「食いっ逸れたら、タクシーの運転手をするつもり」と知人達には言っていたくらいです。今のクルマにはナビゲーションも付いていますが、ただのお飾りですね。僕自身が感ナビですから不要なくらいです。と言う僕も、まだ知らない土地は東北です。親が生きている間は田舎の福井にばかり行き来していましたから、名古屋やら大阪、京都や近辺の琵琶湖周辺か金沢や新潟には行く機会もありましたが、一度も行った事の無い東北は、両親が亡くなって久しい今も、まだ未知の場所です。年々多忙と、年齢のせいか、遠出もおっくうになってきたようです。思いついて摩周とか、知床日帰り長距離ドライブとかもしなくなりましたね。