昨年11月に書いた、重大事故が発生する前に微小な事件や事故が隠されているという法則だ。今回のアメリカの大統領選挙を『大事故』が発生したと考えると妙に納得がいく。ウォ-ル街での1%の富裕層が富の独占をしていることへの大規模デモ、アメリカの小さな州へ本社や預金を移すことで脱税をしている企業群(ホワイトハウスから160キロしか離れていない人口89万人のデラウエア州だ。そこにペーパーカンパニーが94万社が存在している。パナマ文書に米系企業が少ないのはデラウエア州があるからだ)。銃社会での乱射事件、普通のイスラム教徒への罵詈雑言、鉄鋼産業が安い中国からの輸入で閉鎖・失業、アップル製品も台湾経由中国で製造輸入。増えるのはファイザー製薬の抗鬱剤か。大学生も奨学金を多額に抱え、返済に苦しんでいる。企業は本社を置く国の人々を豊かにしない。株主の利益を最大にするために、法人税率の安い州や国へ移転する。この『経営にあれこれ口出しする株主は一つだけ、俺たちにもっと金をくれ』だけだ。そのために投資会社へ金を渡す。犠牲は人件費削減や人件費の安い国への工場移転であるのは目に見えている。

ハインリッヒのイールも法則 1:29:300。重大事故。

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2010年6月から2012年12月まで中国駐在特命全権大使を勤めた元伊藤忠商事社長の丹羽宇一郎さんの「北京烈日」(中国で考えた国家ビジョン2050年)(文藝春秋)に紹介されていた法則だ(42p)。


2050年には世界の人口は90億人へ、日本の人口は8700万人くらい。いまより4000万人減る。年齢構成比でいくと14歳以下が8%、65歳以上が40%、合せて48%。15歳から64歳までいわゆる生産人口は52%。といっても高校生や大学生も含まれるから生産人口はもっと少ない。もともと食糧の買い付けや農業に詳しい丹羽さんだから、人口と食糧の関係についても90億人が地球規模で考えると限界ではないかと考えている。


日本の場合も、住民が減るわけだから、住み方を考えて、バラバラに住むよりまとまって住む方が電線を短くできて効率がよい。さらに今後発生する地震や火山爆発、原発事故の被害を受けにくい場所へ移動して、そこで作物を作ることも考えなければいけない。ハインリッヒの法則というのはアメリカの損保専門家が提唱した労働災害の経験則だけど、あらゆる事故にあてはまるとされている。一つの重大事故の裏には29件の小さな事故が隠れていて、さらにその裏には300件の事故寸前の「ヒヤリ・ハッ」が潜んでいるというものだ。


この「ヒヤリ・ハッ」は事故ともいえない軽微な異状な事象だ。ハインリッヒの法則が示すのは、重大事故を防ぐには、ちょっとした異状も見逃さず、対策をおろそかにしてはいけないということ。さらにこの法則の附則には「重大事故は30年に1回起きる」と。300のヒヤリ・ハッが一つの小さな事故で現れて、さらに29の小事故が一つの重大事故へつながる。そのタイムスパンが30年だと言う。スリーマイル(79年)、チェルノブイリ(86年)福島(2011年)。福島まで30年前後の時間が流れている。


なぜなのか?これは行政や技術者が傲慢になるまでの時間だと。ネグレクトはしかし、技術者だけではなく行政や企業家、マスコミもそうだ。つまるところ、事故は100%人災なのだという話だ。高速道路のトンネルも天井から地面に微量な砂利や雨漏りがしていたら要注意なように。事故は人災だと言う観点に立つと、自然災害も、被害を大きくするのは人間の技術に対する傲慢によるといえる。


この国の自然災害は1970年から1999年まで年平均40件だったのが、21世紀に入って2008年までの9年間に1000件、年平均110件と2・5倍に増えている。人災を減らすために、このハインリッヒの法則を日々の仕事の中で生かしていきたいものである。政治家やマスコミ関係者の劣化もハインリッヒの法則に当てはまるかもしれない。30年前の政治家と言えば、まだ戦争体験を重く受け止めた自民党の政治家や経済界の重鎮がたくさんいて、軍国へブレないよう微調整を裏方でしていたと思う、若手へのアドバイスを含めて。


考えてみれば、戦争に至る道も、目の前の案件(外交のトラブルが発生したらすぐに飛んで行き、相手国へ相談しに行くことの繰り返しだ)を誠実に解決し続ければ防げた戦争もあったかもしれない。人災の最大は戦争やテロだ。その中で爆撃や化学兵器使用、原爆投下などすべて人災そのものだ。

  1. 電気が止まれば?。

    電気に頼りっきりの現代に、電気が止まればこのPCでさえ使えなくなる。電話だってソーラ発電機で気長に充電でもしない限り使えない。ガソリンだって給油所のモーターが止まれば車も給油できない。ストーブだって点火できないしファンも止まれば寒くて凍える。照明も消えれば夜は闇の世界だ。核開発や、宇宙衛星と見せかけてミサイル開発などしている場合ではない。効率が良いと乱立した原発もただの危険な産物に過ぎない。ットもメールも使えず、無線も駄目ならTVもラジオも映像や音声さえ送れない。新聞だって輪転機が止まれば発行できない。人は歩くか自転車しか利用できなくなる。もちろん列車も止まれば、飛行機も飛べなくなる。駅や空港の機能もダウンするからだ。首都圏で働く人達は自宅へも戻れない。都市はすべて電気で賄われているから、有事での危険性をはらんでいながら誰もが無神経に今日も生きている。

  2. 最悪のシナリオ。

    今朝も仙台で地震が発生。最近頻繁に起きる地震も研究はしているのだろうが予測までは出来ないようだ。突然発生してもとっさに対応できないから災害につながる。幼少期に大震災を経験済みだが、あれだけ揺れれば歩く事すら出来ない。安全な場所へ逃げるにも立てないし、走れない。あの頃、子供たちに防空頭巾を用意してくれた親たちは戦争体験者だった。現代の親たちは戦争など未経験者だから、多分ヘルメットなどを買いに走るのだろうが、たちまち品薄でパニックも予想される。最悪のシナリオを、いつも描いていなければいけない時代だ。

  3. 最悪のシナリオ。

    田舎暮らしは不便だし、お世辞にも清潔とは言えない。水道も無ければ、ガスも無く、水洗トイレ、ウォッシュレットなど無い。幼い娘を連れて独居の父を訪ねた時、娘は父の作ったご飯を食べなかった。トイレにも行けなかった。風呂にも入れなかった。実家から離れたJR駅前のスーパーで弁当を買って食べさせ、離れたスキー場のホテルで風呂に入り、トイレも使って数日を過ごした。また、ある時北海道の五色温泉に紅葉を見にドライブに行ったがそこでも露天風呂には入らなかった。知人の経営する屈斜路湖畔の民宿に泊まった時にも露天風呂に枯葉が浮いていたり、小さな虫が浮かんでいたりしたせいか、入らずじまいだった。温泉は登別や洞爺のような温泉ホテルの風呂しか入れないらしい。ベンチで清潔すぎる現代人たちは、果たして災害や有事に生き残れるのだろうか。

  4. 「前例」と「想定外」。

    「前例がない」と、取り上げない理由は幾つもある。この「前例」とはいつ頃前を言っているのだろうか。代々受け継がれる前例は無難に事を運ぶ上では便利な言い訳だ。災害は大抵は「想定外」、「前例に無い」ものがほとんどだ。当然ながら同じ事例を指して「前例」比較すればの話だが。しかし、全員が同じ考えとは考えられない。危険を察知する能力があるか、それとも当たらず触らずで過ごすかの違いだろう。津波に多くの小学生の命を奪われた現場でも、指導者の意見がまちまちでまとまらないうちに、津波の方が待ってくれなかったのだろう。「万が一」に、「もしかして」に備えなければ災害に多くの命を奪われる事になる。

  5. 災害とファッション。

    父が、女性に「スカートは履くな!ズボンにして、踵の高いハイヒールも履くな!短靴にしなさい」と言っていた。父は、関東大震災も東京空襲も経験済みで、おまけに疎開先でも大震災を経験していて、水害など何度も経験済みだった。父の持論は、特に女性はファッションよりもいつでも身軽に安全に災害から身を守れる服とか靴を履きなさいと言うわけだ。確かに災害時にはファッションどころではない。通勤も身動きが楽なラフなファッションを、もっと取り入れた方がイザ!と言う時には命さえ助かるかもしれない。災害の多い一年だった今、あらためて亡き父のあの時の言葉を思い出している。

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