『生きるなんて』(丸山健二)
筆者18歳のときに『夏の流れ』という丸山健二さんの小説を読んで衝撃を受けたことを覚えている。死刑を執行する人の一日を書いていたと思う。執行した日に出る特別手当、夜はお酒のチカラを借りて記憶を消そうとする。縊死した死刑囚が存命しないよう、執行人は下から死刑囚の両足を引っ張る仕事もある。それを感情表現を抑えてたんたんと書いていたから迫力を感じたのかもしれない。
私の住んだ地区に死刑執行ができる『苗穂刑務所』もあったし、刑務間の子供たちも同級生にいたからより真実味を帯びて読めたのだと思う。丸山健二22歳のときの作品。それから40年後、『生きるなんて』(朝日新聞社 1300円 2010年)を書き下ろした。若い世代へ向けて彼の渾身のメッセージ。テーマは11章に分けられている。(1)生きるなんて(2)時間なんて(3)才能なんて(4)学校なんて(5)仕事なんて(6)親なんて(7)友人なんて(8)戦争なんて(9)不安なんて(10)健康なんて(11)死ぬなんて。
人生のキーワードを網羅して、メディアに常識として流されているテーマの本質を書いている。どの章からも読めるから立ち読みして、惹かれれば購入すればいい。相当厳しい生き方をあなた方に提示している。『おのれが果たしてどんな人間であったのかわかるようになるのは、それも薄々わかるといった程度ですが、60歳を過ぎたころからでしょう。それとても最終的な答ではないかもしれない』(同著 210p)。
筆者もブログを詠めばわかるとおり、人生観が(あったとして)緩い。特に文章の語尾が断定的に書けていない。身近な友達について書いた七章(友人なんて)から。自分を食い物にしようと寄ってくる危ない人間の見分け方が紹介されている。(130~133p)(A)自分が招いたわけでもないのに、用事もないのに接近してくる手合い(B)いかなるときにも笑みを絶やさない者・・腹黒さを隠す、相手を油断させる、小心者(C)ボランティア100%という人間にも気をつけたほうがいい。
『世間には善人面をした悪人が無数います、他人を騙すことで食べている輩がひしめいています。慈善家のみならず、政治家や役人や医者や企業人や文化人や教育者などあらゆる分野にいます。〈中略〉友人がいないことを大げさに嘆く必要はありません。・・・友人を求める前にすることがあります。それはあなたが友人なしでも生きてゆかれる、自己を信頼できるあなたに鍛え上げ、仕立て上げることです。・・・・そうすれば友人の有無にこだわるがことがなくなり、本当の友人に出会える機会が増えるでしょう。』
この本の出だしは、『生きるなんて、実にたやすいものです。とりわけ、戦争や経済の崩壊といったパニック要因から少しばかり離れた環境と時代においてはなおさらです。』
今後,機会をみて違うテーマについて書いてみます。
友人から他人に。
大阪で同居生活をしていた嫌な友人?から逃れて、バンドで知り合った友人二人と北海道にきました。行き先を誰にも告げずに。なぜ逃げ出したくなったかと言えば、僕のお気に入りのお婆ちゃん(他人)の居る下宿に、ある日突然転がり込んできて、家賃も払わず、まるで自分の部屋同然に振る舞って、我まま放題。全寮制で数人同部屋の生活を数年間経験していた僕も、せっかく見つけたプライバシーを乱された事が原因です。しかし、その友人は数年後に僕の家に忽然と現れました。執念深く調べたのでしょうね。我が家に一泊させて飯を食わせて帰しましたが、その後は一切会っていません。あきらめたのでしょう。
友達三人無くしました。
友人はいっぱい無くしました。親友も一時のもので、こちらから離れた友人、向こうから離れて行った友人などいっぱいいました。こんな事件もありました。友人二人で始めたデザインプロダクションも、その友人が辞めると言いだしたので、医大前あたりの下宿をフリーのデザイン事務所兼住居にしました。まるで有島武夫の住居のような、お気に入りのグレーのドイツ張りの板壁で、白い窓枠の洋館風の家でした。四畳半ほどの部屋で、毎晩遅くまで制作仕事をして、翌朝は大通公園を東6丁目あたりまで歩いて印刷所に作品を届けたり営業したりの毎日で疲れていました。そんなある日、前職の制作会社で知り合った友人が訪ねてきました。何でも、ある広告代理店の就職試験に提出の苦手のイラストを描いてとせがまれ助けてやりました。採用までの間、僕の仕事を手伝うから住まわせてくれと言うので家賃代わりにしばらく居るようにと言いました。しかし、間もなく、もうひとりの同類の友人が訪ねてきました。彼も職を失って困っていたのでしばらく居るように言いました。ところが二人とも仕事は出来ず、毎日、ただ飯食って、狭い部屋でふざけ合って暴れる始末で、とうとう「出て行ってくれ!」とどやし付けました。一人は無事広告代理店に就職、もう一人は新興宗教に熱心で奈良に行きました。僕も生活を乱され仕事にも疲れて、広告代理店のディレクター職に転職しました。ところが、数年後、またあの友人の一人が面接に現れたのです。社長に取り入って僕の下に着きました。僕はまた逃げるように、別の広告代理店に転職しました。それ以来彼らとは縁を切ったのですが?或る日タクシーに乗ると、何と運転手が、あの友人でした。イラストも描けないパクリ専門でしたからね。
正しい距離感。
着かず、離れず。友人関係は、円満夫婦同様、ほどほどの距離感を保つことでしょうね。踏み込みすぎれば、相手は引きますから、親しき仲にも礼儀ありでしょう。恋愛などは異性同士ですからくっつきやすいのでしょうが、同性同士の友人であれば、そんなにベタベタすることもなく、程よい距離を保てると思います。ただし、お互いが、お互いを理解しての条件付きですが。
親切な人には気を付けて。
大都会に住んだ経験者は一般的に警戒心を持っていますね。それだけに都会は危険なところとも言えます。電車に乗っていても、ついウツラウツラ居眠りなんかしていれば、スリ集団に囲まれ、隣に座ったスリに財布を抜かれ、次々と仲間の手にバトンタッチ式で誰がスッたのかさえ分からなくなります。吊革につかまっていても、絶えずスーツの内ポケットは片手でガードしていなければいけません。ハンドバッグはもちろん無の前に持たなければいけませんが、今、流行りのリュックなど背中に背負っているのは危険ですね。「他人を見たら泥棒と思え!」なんて嫌なフレーズですが、それくらいの警戒心を持っていなければ都会では暮らせません。なぜ?都会かと言えば、ありとあらゆる手段で悪事ばかり考えて他人のお金で、「ラクしょう」と思う輩が、人口密度の高い都会に集中しているからです。札幌などでも増加傾向にありますね。北海道は大らかで人懐っこくて親切な人が多い土地柄と折り紙付きでしたが、これも最近では「警戒対象」になるのでしょうかね。
笑う顔に鬼宿る。
『イヤな渡世だなぁ~!』座頭市のセリフだが、現代風に変えれば、小池氏以前までの東京都の『イヤな都政だなぁ~!』となるが、東京に限らず、全国津々浦々なかなか良いニュースが無かった今年も、間もなく十日余りで終わる。最後は笑って終わりたいが、意味なく笑っていれば福どころか、鬼に疑われる『ご時世』かも知れない。