残念ながら、この値千金はお金を何億円積もうと買えません」。そういうことが世の中にはある。貧乏な時代(全体が貧乏で貧乏を感じていないが)に生まれた筆者なので、その感が深いが、しかし、(國分さんは哲学研究者)

國分:最近、「絶望の国の幸福な若者たち」という本を書いた古市憲寿さんと対談したのですが、彼は「いまの若者は幸福度が高い。それはそれでいいじゃないか」と言って物議を醸しました。でも、僕は古市さんの言うとおりだと思うんですよ。これまで未来のためにいまを犠牲にして働いて経済成長してきたけれど誰も豊かにならなかった。そんな過去を日本社会はあるときから反省してきたはずなのに、はっきり「それでいいじゃないか」ということを言う人をみんなで批判するのはおかしいと思うんです。(國分さん43歳)


NHK(Eテレ)のトーク番組で古市さんの司会上手を見ているから、そういう考えもあるのかと納得したのである。私の同世代をたくさん見ていて、ぜひ「この人のような生き方、顔つきの人間になりたい」と思わせる人がホント少ないと思う。どんな高い車に乗っていても、乗る人の品や生き方まで総合すると、いまやマイカーを持つこと自体、都心に住めば不要で身分証明のために必要なときだけレンタカーを借りれば済む。


素敵な生き方や考え方は、どこにあるのだろうか?もう消費生活ではなくて、会話の楽しい人、誰もが気づいているが実行できないことをヤスヤスとやれる人や、全く次元の違う知人や知り合いをたくさんネットワークとして持っている人、発想が全然違う人。車や大きな家に住んでも豊かそうに見えるどころか、貧乏を促進している、負担を重くしている。外から見えないところに大金を投げるように浪費するほうがいいかもしれない


「浪費」はお金がなくなれば止まるが「消費」は止まらないからタチが悪い。「浪費」をたとえればバサラの精神でえいっとたとえば大阪城を作ることで終わる。エッフェル塔を建てて終わる。しかし、消費は永遠に足し算の世界で終わりがない。家の中を見れば、どんどん買う品物で埋まっていく。空間が狭められて息が詰まる。果たして消費が豊かな人生につながるのか?むしろ筆者から見れば貧困な狭い空間で時間を享受しているとしか思えない。この本には消費と浪費についても分析がされている。


一体、幸福そうな人々はどこに隠れているのだろう。駅前で「幸福そうな人々の行列のイベント」でもして欲しい。私の世代なら孫を連れた世代がデレデレ歩くだろうね。これでは若者の憧れの豊かな世代の標章にはならない。自分たちで楽しくその時間をワイワイやることにに越したことはない


私にとって幸福な時間は、「ぐっすり熟睡できて、気持ちのいい朝を迎えられたとき」帰りの電車で本を読んでいると、ユダの復権を促す(ユダの福音書発見)について書かれていて、「ユダはイエスの特命を受けて、お互い承知の上でイエスを裏切ったとするもの。ユダの裏切りがなかったらキリスト教は成立しなかった。・・・なのに、ユダという個人の名前がユダヤという民族名と偶然重なったがゆえに、キリスト教徒はわざと混同して、イエス殺しの罪をユダヤ人全体に象徴的にかぶせた」。興奮する3ページであった。259p~261p

  1. 良かった事しか覚えていない都合の良い僕。

    「幸福度」は,皆それぞれ違うのでしょうね。独身生活が幸福な人,恋愛時代が幸福な人,結婚生活が幸福な人,子供の成長を眺めて幸福と思う人,仕事を持つ事を幸福と思う人,定年後の余暇を幸福と思う人,大手企業や官公庁を多額の退職金で退職した幸福な人,孫との遊びが幸福な人,デイサービスの時間が幸福だと感じる人,宗教への信心を幸福と思う人,等、同じ環境で生きてきた人以外,幸福感はそれぞれ違うでしょうね。他人から見て「不幸」に見えても,ご本人にとっては「幸福」だったりするかも知れませんね。例えば,女房の尻に敷かれて可哀そうにと?思っても,それが本人は幸せと感じる人も居るでしょうね。勉強でもスポーツでも「スパルタ式」で鍛えられても「恩師」には感謝しますからね。幸福度は持続する人も,断続的な人も,瞬間的な人も全てひっくるめれば,幸福な人はたくさんいらっしゃると思いますね。僕は?,どちらかと言えば,瞬間的にその時々に幸福感も得る反面,またその時々に不幸感も感じるほうでしょうか。でも,ほとんど良かった事しか覚えていないので,自分は世界で一番不幸とは思った事はありませんが。

  2. SNS式おしゃべり法。

    「おしゃべり」する事は少ないですね。仕事上の「雑談」くらいですかね。家でのおしゃべりは殆ど実務的な言葉のやり取りで,長時間の「おしゃべり」はありません。あまり喋らないと言葉を忘れますね。パソコンばかり使っていて,漢字を忘れるように。
    あっ!そうそう。「おしゃべり」になるか?どうか?は別としてSNSでのやり取りは結構しますね。現代は対面での会話は少なくなりました。嘆くべきか?それとも称賛すべきか?

  3. 家族8人とクルマ3台を食わせています。

    戦後アメリカに習って日本も消費社会となりましたね。消費はさらに消費を産み,負?のスパイラルは止まりません。例えば,今までバスや電車で通勤や所用や旅行をしていた家族がクルマを購入したとします。保険・税金・車検・整備費用・ガソリン・タイヤ・オイル・ウオッシャー・備品などが必要となり,家族でクルマで買い物やドライブ旅行に行きたくなります。荷物が積めるので大型商品も購入したり,大量買いしたり,長距離も可能なので宿泊などの消費も拡大します。毎月の給料半分はクルマの経費とクルマがあるがために消費拡大する経費は家計を圧迫します。おまけに,奥さんや息子さんや娘さんが大きくなればクルマをもう一台欲しいということになります。今では一家に2~3台も珍しくありません。増えれば増えるほど消費は拡大の一途です。余程,収入がなければ家族どころか?クルマにも食わせて行けませんね。働けど働けど我が暮らし楽になりませんね。

  4. 「素敵な暮らし方・生き方」とは?きっと自分に無い生き方の事を言うのでしょうね。と,なれば,自分は素敵では無い生き方とも言えてしまう。でも,他の誰かが僕を見て「素敵な生き方」と思うかもしれないからそれほど悲観する事もないでしょう。人様に誇れるほどのものは何一つ無いですが,隣の芝でも無いですが,今さら他人を羨んでも仕方がないですから。余生を自分流で過ごすのが一番です。

  5. 「幸福」を求める外国人。

    世の中は不公平なもので,ただ「ペラペラ喋っているだけで食える人」や「デスクのPCの前に座っているだけの人」もいれば,必死に汗をかいて「黙々と働かなければ食えない人」もいる。頭脳労働と肉体労働。どちらも労働とは言え,頭だけ働かせたほうが楽に決まっているが,楽な頭脳労働のほうが報酬は高く,現代人の殆どは頭脳労働をしたがっている。ただ,物を生産するには頭脳も必要だが労働がなければ成り立たない。その人気のない肉体労働分野の人材は不足するばかりで,外国人が担うようにさえなっている。就職難の問題は報酬が良く体力的に楽な頭脳労働(ホワイトカラー)に集中しているからでしょうね。「幸福」とは,オーバー・フローしている頭脳労働分野志望での「就職浪人」や「失業」を選ぶ事ではなく,先ずは社会参画「就職」ありきではないでしょうか。今や,自然環境と同じく,労働環境までもが,「幸福」を求める外国人に狙われています。

  6. 「幸福のお裾分け」。

    自分を基準にして考えれば,「幸福な人」も「不幸な人」も同じくらい沢山いますね。つまり自分の基準で考えれば,僕は「幸福」でもあり「不幸」でもあるわけです。世界中にはさらに不幸な方々もいらっしゃる事を考えれば,むしろ幸福に分類されるのでしょう。かと言って,その方々に何かしてあげる事もなく,自分の事しか考えて居ない事にも気づきます。収入の違いはあるものの,TVで馬鹿な事を言っている「大物タレント」などは,アフリカの未開地に学校を沢山建てたり,普段見せない部分で社会(世界)貢献しています。ロックやAKBまがいに夢中の若者たちが馬鹿にしがちな「大物演歌歌手」なども遠洋漁業の海難事故撲滅のための基金をしていたり,ご自分の「幸福」のお裾分けをしていますね。また,徳のある方々は,そんな素振りを感じさせないところは共通しています。

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