子育て、失敗の連鎖・・・。
思うように子供は育たないという話です。名作『私は赤ちゃん』(松田道夫著 岩波新書)という子育てバイブル本はあるのですが、私自身は子供は妻へ丸投げで子育てには参加せずにきました。新聞記者になる夢を持ち京都の私大へ進学、夢果たせず、不動産会社へ就職、京都の居酒屋で彼氏を見つけて交際、結婚。現在、大分県在住。
3月下旬から2週間、幼稚園の春休みを利用して帰省、5歳の娘を連れてきた。しかし、家事は何一つしない。もちろんご飯も作らない。外食しても財布を一度も開けない。大学時代の奨学金250万を15年間で二分の一づつ返済してきて、残り少しまで漕ぎ着けた。毎月の返済が面倒で残金と通帳を一緒に渡し、これでおしまい。しかし、問題は『感謝の表現』である。『長い間、ありがとうございました』という言葉が娘からない。
これには妻は悲しみと怒り。その怒りは娘にではなく、筆者へと向かう。強い愚痴である。朝ごはんも、静かに食べる夫婦なのでテレビは大事件が無い限り、一切つけないし見ない。それが娘と孫は必ず点けて見る。朝からひな壇に並んでうなづくだけの女子アナのテンションの高い声を聞きたくないのである。テレビリモコン依存症に罹っている娘である。もう少し、落ち着いた静かな知的な子供に育つと思ったらミーハーな話題ばかり。芸能音痴だ。
『もっと本を子供に読ませないと』と諭すと『本なんて読まなくていい』とi-padミニをいじりながら返事するのに唖然。筆者も読書は17歳の浪人時代から始まったので、読書習慣は出会う本の感動で決まるから、強制的な読書はなくてもいいけれど、娘の断定的な物言いには参った。親戚も誰もいない九州の土地で道産子女子が生きていくための頑張りは認めるが、帰宅とともに、甘えん坊の少女に戻る。財布と時間と体力を消耗させられた2週間であった。
考えてみれば、筆者も親の意向は全く無視して、大学退学、愛知県岡崎遁走、貯金ゼロでの結婚、結婚後4回の転職。父親はきっと私のいないところで、『あいつは思うようには育たない、成長しない。苦労ばかりをかけやがって』と思っていたに相違ない。この年齢になってわかることがある。子供は思うようには決してならない。なぜなら、子供は自然みたいなものだから。
そう気づくと自分たちの祖父母もそして未来の世代も親になれば、子供は思うようにならないことに気づく(生まれないかもしれないし)。古今東西での真実ではあるまいか。失敗するように実は子育ては仕組まれているようにさえ思う。成功した子育てって、別に有名私立の学校や大学に入ることではなくて、医学部に入ることでもなく、それからの50年60年の長い人生を楽しく泳いでいく、努力して生きていく力を与えられるかどうかではないだろうか?人生を終わってみないと成功や失敗って言えないと思えば気が少し楽になるこのごろである。
ドブネズミ色のスーツ。
若い時の自分を顧みれば,随分と無茶な事をして来た事に気づきますね。今では,あんな生き方はとても出来ませんね。冒険の連続?でしたね。羞恥心も無かった訳で,完全に社会に対応していませんでしたね。例えば,大メーカーのヘッド・オフイスのど真ん中を短パンとタンクトップにサンダル履きで,覚えては居ませんが?多分,髪もボサボサのままズカズカ入っていきましたね。両サイドに並んだデスクの人たちの目が一斉に集まるのを「変な人たち?」と思ったものです。また大手銀行の業務のオフイスではスリムなセーターにジーンズで,しかも応接セットでタバコ(それも銀行員より上等な)をプカプカ吸っていましたね。これも視線を集めました。でも,或る事件で僕は変わりました。銀行の担当者から僕の上司に「あんまりラフな格好で来られては?」と言われたらしいのです。そこで反社会派の僕は,何を思ったか?黒服の三つ揃いで登場したわけです。これには銀行もビックリ!一種の抵抗と言うか,単なる嫌がらせでしたね。その後は「銀行へはドブネズミ色のスーツ」と決めました。これで環境に融け込んだのか余り視線を感じなくなりましたね。タバコもランクを落として。
親は子の鏡です。
子供は女房に任せっきりで自由人でした。可愛くないわけではありません。とにかく自分が子供みたいなもので自分中心に生きていたからです。友人らと無断で旅行して外泊したり,女房には一切連絡も報告もせず我儘のし放題でした。子供はそんな親をお手本にするわけですからお利口さんに育つわけがありませんね。(反省!)今さら悔やんでも取返しが付きませんが?。きちんとした子供を育てるには,先ず親がきちんとしていなければいけませんよ。誰に言っているのだか?です。ね。
無言の感謝。
失敗は無いですよ。子育てに。失敗と思うこともすべて子供のためになっていますからね。子供のためを思わない親は居ませんから,子供もどこかで親には感謝していますよ。親に「ありがとう!」なんてかえって気味悪いですからね。無言の感謝はしています。きっと。口に出して言わない方が伝わる事も有りますね。実家に来て初めて童心に戻れるのは,思えば自分たちにも当てはまりますね。帰省した時には何にもしませんでしたから。
大きな子供。
男はいつまでも子供っぽいですね。同じ年どころか,年下の女房の方がしっかりしていて,家庭内では主導権を握られる事の方が多いですね。僕は命令を聞く事ばかりで,口答えすれば喧嘩になるので「ハイ~ハイ!」と言いますが,「ハイが余計でしょ」と言いますね。何をやっても100点満点のつもりが,褒められたなんて事はありませんね。まるで,子育ての延長をされているようなものですね。
子供は宝。
「子は鎹」と言いますが,何度も夫婦中が壊れそうになっても,子供の事を思えば,修復しようかと思いここまで来ていますね。何方も悪いのですが,どこの家庭にも問題の無い家庭はないですね。子供は偉大な力を持っていますね。
親の責任?。
みなさん口を揃えて「本を読みなさい」と言います。今,小学校でも朝の30分間読書の時間があります。情操教育に良いからでしょうか。しかし幼い頃から漫画以外に本を読む癖の無い僕には読書は苦痛です。面白い事、興味深い事なら読みますが,それ以外はありません。文字ばかり読んでいると眠くなったり,目が疲れて頭が痛くなります。同人誌に掲載されたからと知人から貰っても,他人の創作小説など初めっから興味が湧きません。でも,長い船旅や,何も無い島などに居れば読書にも身が入るのかも知れませんね。慌ただしい環境にいると文字を読むのは原稿の中だけですね。読書嫌いも親の責任でしょうか。
seto
教室での読書の強制ですか?苦痛ですね。それは、教室を静かにさせる工夫・アイディアではないかと思います。
昼寝の時間を作るほうが、午後の勉強には最適と思いますがいかがでしょうか?とにかくつまらない教科書が多い
ですから、小学生や中学生・高校生はかわいそうです。無理やり、実績を出そう、市の教育委員会へ報告しようと
考えてる校長や教頭のたくらみ、道教委へ報告しようと考えてる市教委のたくらみ、道教委が文科省の初等教育へ
成果を報告しようとするたくらみのにおいがしますが、犠牲は最弱な子供たち。筆者の邪推ですが。