「理由(わけ)あり」デコポン。拾う癖取れず。
昨日買った「理由あり」ワゴンに入ったデコポンは超美味かった。3個で380円。今の時期、1個でそのくらいする商品だ。妻は「傷が付いたりしたら、果物はそれを埋めるために、美味しさ成分をいっぱい出して、結果、美味しくなる」と講釈した。野菜も味が変わらないのに、形状が規格に合わないと敬遠されていたものが堂々と店頭に多く並び、あっという間に売り切れる。
お菓子の袋物も、割れていたりしても量は多く、安い。少年時代に食べたカステラや食パンの耳、センベイの耳たちを思い出す風景だ。10円出して食べきれなかった。家具でも傷物が安い。中古やリサイクル思想が広がりを見せて、この「わけあり商品」人気は庶民の不景気感浸透とともに続きそうだ。私は、昔から景気に関係なく「ワゴン商品大好き」で売れ残りを買う癖がある。たぶん古本屋漁りがきっかけかもしれない。
本質は見えっぱりのケチなのだろう。車も動けばいいと50歳になるまで新車は買ったこともない。家も雨漏りしない中古で十分。オーディオも近所からもらったダイアトーンのスピーカーで満足している。自慢ではないが、捨てられた物を拾う癖もある。特に道路に落ちている紙は気になってしょうがない。名刺とか領収書、運輸業者が落とした納品書とか拾っては読む楽しみがある。
落とした名刺には風俗関係のものも多い。手書きで「きょうはどうもありがとう。また来てね」。出勤曜日なども添えられてある。公園の中を散歩していても紙が気になる。いっそう、ボランティアで公園清掃をひとりでする方がいいかもしれない。めったに千円札を拾うことはないが、100円玉や10円は良く拾う。まさかとは思うが、新聞紙にくるまれた札束を拾ったらどうしようか迷う。
交番に届けるのが筋だろうなあと思いつつ、いやあ、車のトランク下の補助タイヤ格納場所に100万円くらいなら隠せる場所がある。ここへ隠せば、妻にもばれないで遊び金を作れると妄想する。でも、これは泥棒だよな。こんなことをしていたら、お天道さんから罰が当たるわ。考えるのはよそうよそう。
ふと思うのだが、私の35年間の営業生活も、歩いては拾いの繰り返しだったような気もしてくるのだ。たまに大きな売り上げもついてきたけど。筆者が「わけあり商品」や「ワゴンセール」に向かう姿を見て妻はしみじみ「私もワゴンセールみたく売れ残りをあなたは買ったのね」。そういう自分も実はワゴンの中のわけあり人間なんだけど・・・・・・・・。
昔の少年
農協や大手流通を通して売られた農産物は形も規格品が多い。最近は農協や流通を通さず農家が直売するケースも目立ってきた。生産者たちが手塩にかけた商品をどれも規格品でひとまとめ評価されるのが不満でもあり非効率であり不経済でもある。僕は本州の親戚にジャガイモやタマネギやカボチャなどを何十kgも送るので近郊の長沼の農家へ直に買いに行き、その場で送ってもらっている。大家族なので自分達の分はクルマに満載してくる。大根も畑から抜いて、枝豆も鎌で刈り取って束ねて持ち帰る。こんな仕事は子供の頃、福井の田舎でしょっちゅう経験していたので容易い。少しの手間を掛ければ農家の方お手伝いと、ご苦労も理解でき「安いの高いの」と考えたくなくなる。実際には安く、ガソリン代と手間で高くなるのかも知れないが。秋には余市でリンゴの木を一本買いする。40kg以上、ダンボール箱に5個以上あり、昨年などは生育が良く600gほどの大きな実もあった。脚立に乗っての収穫の楽しみは買い物より楽しい。大きさは勿論どれも不揃いだ。エチレンガスが出るので一つ一つを新聞紙で包んでビニル袋で縛って他の野菜や果物に影響しないようにして、冷えたガレージで保存すれば春先まで美味しく、長もちする。僕のガレージは、クルマは無く、不揃いの野菜や果物たちの貯蔵庫に化している。最近の大型スーパーの野菜高騰に、農家で余り買えないものや、痛みやすいものしか買わなくなった。店で痛んだ野菜たちは捨てられていくのだろうか?