昭和の消えた仕事図鑑 (2016年8月3日掲載)
たくさんの仕事が生まれ、また消えていった。ことし年賀状づくりで突然、写植を用いてつくることが流行りだしたり、消えた仕事から、未来へのヒントがあるかもしれません。
昭和の消えた仕事図鑑
素敵な本に出あった。~イラストで見る~「昭和の消えた仕事図鑑」(原書房)だ。イラストが平野恵理子さん、文は澤宮優。真っ先にページをめくったのは「ロバのパン」だ。説明は昭和6年に札幌で「ロバパン石上商店」が始めたとされ、昭和30年代まであった。
私が小学生のころ住んでいた団地にもやってきて、ロバを撫でながらパンを買ったものである。現在もロバパンは健在で、スーパーで棚は狭いが、このメーカーのものがあると買う癖がある。始まりは。石上さんがたまたま中国からロバをもらい、この愛くるしいロバにパンを運べば売れるのではないかと考えた。御者に蝶ネクタイをさせていたというが記憶がない。
冬には馬橇を引いて売りに来た。ロバの名前は「ウイック」、いたずら・ワンパクの意味だ。ロバの鈴・カランカランという音が近づくと10円20円を握りしめてパンを買いに行った。ロバが死んだときは地元紙は大きく取り上げた。昭和30年代の札幌の子供たちに愛された。ロバ亡くなって泣いていた子供がたくさんいた。パンを買わずロバだけ見るために集まってもきた。紙芝居の拍子木でも兄弟3人で5円玉を持って走った世代。テレビもゲームもないから。豆腐屋さんもリヤカーを押して辻を回ってきた。母から言いつけられて鍋を持って走った。売り子の音が聞こえるとすぐに外へ出る習慣が、冬の間、ピーピー音を鳴らして来る焼き芋屋に子供に千円持たせて買い物させるのも、実は私の幼少期、音がしたら買いに行く5歳からの習慣が生きている証拠かもしれない。
この本は、冷蔵庫が出てきて氷売りが消えたり、ワンマンカーが出てきてバスガール、燈台守、三輪タクシー、蹄鉄屋、文選工、アイスキャンディー屋、畳屋、ポン菓子屋、金魚売り、天皇陛下の写真売り、豆腐売り、風鈴屋、マネキンガール、エレベーターガール、カフェ(純喫茶)、ミルクホール、サンドイッチマン、チンドン屋、三助、活動弁士、紙芝居屋、傷痍軍人の演奏、のぞきからくり、水芸人、代書屋、口入屋(仕事の紹介)、タイピスト(花形)、こうもり傘修理業、刃物磨き、靴磨き、し尿汲み取り人、屑や、エンヤコラ(肉体労働)、ショ場屋、丁稚、寺男、倒産屋。丁寧な説明とともにノスタルジーをそそるイラストが付いている。いくつか現在も残ってる職業もある。口入屋が派遣業だったり。
最後に面白いのは、新聞社伝書鳩係という項目だ。電信が発達してなかつたころ、新聞社では地方のスクープを伝書鳩で送っていた。本社の屋上に鳩舎があって、「伝書鳩係」がいた。専門職として遇されて、この鳩は東海道、東北、上越、信越とグループ分けして訓練していた。伝書鳩係は5~6羽を地方に出る記者に渡して通信文と写真の付け方を教えたが、飛んでる最中に襲われる危険もある。昭和15年の三宅島噴火は伝書鳩の送稿でできて、読売新聞社は鳩へ社長賞を授与している。(データ 伝書鳩数3172羽「昭和元年」、300羽(昭和29年))人間は狼煙に始まり、誰かに何かを伝えないといけない動物、アリでも鳥でも生き物でもたえず複数で動いている。鳩は特に人間社会の横に生きている感がある。小学生のとき、鳩小屋を持ってる同級生が何人もいたのを思い出した。
この図鑑は、職業の栄枯盛衰が美しいイラストと的確なコメントで書かれていている。「三丁目の夕日」で冷蔵庫の登場で「氷売り」の職業が消えるシーンもあったのを思い出す。パソコンやスマホの出現で消えて行った職業をいまのうちから残しておく作業も必要だと思った図鑑だ。「平成27年までに消えた職業図鑑」として。
全世界失業時代。
母の実家の「車屋」もタクシーに変わって無くなった商売の一つです。たくさんの車夫を住みこませて大きく商いをしていたらしく,子供13人に日本舞踊やお琴やマンドリンなど習い事をさせたり贅沢をしていたようです。今の東京でも観光用に人力車は少し復活していますが,大きな商売ではなくなりました。父の商売は瀬戸物屋でしたが,自分で絵付けして窯で焼いて売っていました。これも戦災で家も仕事を奪われましたが,今ではロボットが大量生産しています。九谷や相馬などでの厳しい修業も必要なくなりました。クルマの発達とコンピュータの普及で残された仕事は大きく変わりました。女房は邦文タイピストでしたが,1級のライセンスもパソコンの登場で全く価値が無くなりました。息子の職業は東京での写真業でしたが,デジタル化で失業しました。今も辛うじて残っているのは僕のデザイン関係の仕事です。しかし,これも早くからパソコンをいじっていなければ,とっくに失業していたでしょう。しかし,今や土木作業もコンピュータ制御の建機でプログラム通りにできる時代です。建機のオペレータや電車やバスやクルマの運転手さえ必要が無いようです。今後は人口知能に対抗できる仕事しか残らないでしょうね。つまり,人力や,肉体労働などでも,機械で大量にできない,機械たちが面倒がる残り物の仕事くらいかも知れません。
逆行の時代。
職業軍人も必要の無い職業と思っていましたが,此処に来て物騒な情報が飛び交っていますね。昨日は大雨の中,朝から「雷」かと思えば,なんと大砲の音でした。恵庭や島松や西岡演習場が近いのと,曇り空で轟音がこもってまるで雷かと思いました。続いて戦闘機らしき編隊スクランブルの轟音です。子供には「戦争の練習だよ」とありのまま伝えました。TVで他国の軍隊の装備などリアルに見せられると,我々の無力さを実感します。出業者がこれだけ多いと,命がけでも軍隊に入隊して戦うのではなく,?自分の命を守ろうと考える人もいるかも知れません。平和であれば考えない事ですが・・・。
seto
人間は静けさや何もない日々にひょっとしたら耐えられない動物なのかもしれません。ほかの動物は
エサさえ確保できれば、耳をそばだてはしますが、お昼寝ですからね。植物も一度、根を生やした所
から移動しませんから、縄張り争いはせいぜい地下の毛脈で隣の植物とぶつかる程度。だまってお日様
を浴びています。テレビを消す日々が続いています。新聞も読まなくなりました。いずれどちらの媒体も
消える日が来そうです。その準備をしないといけない時期です。だからといって、アマゾンやマイクロソフト
やアップルやグーグルが生き延びる保証もありません。すべての企業が農業へ向う公算が大きいと筆者は
推測しています。現有の技術や資産を利用してね。
夏の定番。
懐かしいですね。子供のころの街で過ごした「夏休み」を思い出しました。紙芝居のおじさんが自転車でやってきて5円でしたか?割り箸に水飴をぐるぐる巻いてくれました。自家製サイダーを作っているお店に行ってレモン水など買っていました。田舎では駅前にアイスキャンデーが売っていて一本買ってかじりながら汽車でお使いに行ったものです。今では不衛生とかでなくなってしまいましたが「かき氷」だけは今も残っていますね。昔のものは全てシンプルなものばかりでした。
大通り公園のハトのルーツ。
大通り公園にハトが多い理由が何となくわかりました。不要になった新聞社のハトが繁殖元ではないですか?きっと。伝書バトの役目も無くなってハトにも平和が戻っていますが,公園のハトを捕まえて食べる人もいるとか?