ジャガイモの歴史(第3回) NO769
ジャガイモの歴史(3)日本への伝播。異説紹介。
昨日のブログで、日本へ伝えたのが1598年、オランダ人が長崎へ伝えたというのが定説であった。
しかし、日本で最初に来たオランダ人は1600年大分県臼杵に漂流したウィリアム・アダムズ(日本名 三浦按針)で、これでは1598年に長崎に伝えるわけにはいかない。長崎の平戸には、多数のポルトガル船が出入りしていて、パン、カステラ、タバコ、ワインなど日本へ1550年ごろから持ち込んでいた。ジャガイモもそのとき一緒に持ち込まれたのではと推理する人もいる。(下記のブログを参考にしてください)
オランダ船の平戸初入港は1609年だ。ジャガイモの語源が、ジャワ島(ジャカルタ)の地名をなぞって『ジャガタラ芋』と命名されるのも、オランダの東インド会社がジャワ島にあったからという説明もあるが、オランダがジャワ島に上陸したのは1596年、98年に東インド会社の設立とあるから、ポルトガルはそれ以前からジャワと貿易外交をしていて、長崎はじめ日本と行き来をしていたとすれば、伝えたのはポルトガル人ではなかったかと筆者も思う。当時の日本人から見るとポルトガル人とオランダ人は区別できないとも思われる。
しかも最初、ジャガイモは食用ではなくて観葉植物(白い花は実に清楚で美しい)として迎えられた。それが1706年、食用として北海道で栽培されて(ジャガイモ栽培はヨーロッパやアメリカ同様寒冷地に適している)、明治以降、アメリカ・ドイツ・イギリスからいろいろなジャガイモの品種が輸入されて広がった。
蘭学者高野長英(1804年~1850年)も『ソバとジャガイモを考察する本』で凶荒の年に人民を救う食べ物としてジャガイモ栽培の促進を提言している。世界中で2000種あるとも言われるなか、日本では20品種が作られ、食べられている。
ジャガイモは長雨なので疫病も付きやすく、そうなると何百万人もの餓死者をアイルランドはじめヨーロッパは出してしまい、それが後のアメリカ大陸移住へ大量に向かわせた。複数の作物でなく単品だけに依存する食糧事情はいざというときに弱く、凶作になると餓死者を生むのである。
ジャガイモの疫病は黴の1種とされる。ジャガイモの出来不出来で世界の歴史が動いているのである。寒冷地と痩せた土地ということであればアイルランドに北海道も似ている。いまでは土作りから農業であってみれば、より美味しいジャガイモを作る農家が増えているのは言うまでもない。それにしても安くて得がたい作物・数ヶ月保存できるインカからの贈り物である。(筆者の自宅床下に5キロ800円のキタアカリが保存されていて、これで来年までイモは買う必要がない。便利な食べ物で、災害時にも強く、料理の幅も広い。さらに栄養価も高い)。
伝えてきた人、品種改良した人、作る人、選別する人、さまざまな地域と人の交錯で生まれたジャガイモ。ひとつの作物にはまだまだ知られぬ物語が隠れていそうだ。
http://www.in-ava.com/zyagaimo.html
自然薯。
昨日もジャガイモを食べました。マッシュ・ポテトです。何と?今日遅く帰宅するとジャガイモの入ったカレーです。いかに多くのジャガイモを食べているかと,改めて考えさせられます。荒地の自然に生まれ育った根の食べ物はジャガイモの他にも沢山ありますね。田舎で父は「山芋」堀りの名人でした。根気よく土を掘り起こして傷つけないように掘り出すのですが,ある時とんでもない大きな山芋を掘り当てて,農産品の品評会に出展したのですが,「山芋は農産物では無い」との事で審査員からは大きな見当違いを指摘されたのですが,何と県知事が目をつけて「特別賞」を貰いました。自然薯とも言われていますが,山芋のトロロは大好物でしたね。ツルに着いた「二カゴ」もご飯に入れて炊くと美味しかったですね。サクランボほどの大きさで,まるでジャガイモの子供のような形でした。山芋は農家で栽培される長いもより粘り気が強いです。
山芋のトロロ失敗談。
山芋は都会人には珍しいと思い,大阪へ持っていきました。音楽仲間の集まるマンションで僕がおろし金でおろして準備していました。後はタレのダシを取って冷やしてからすり鉢でタレで薄めながらスリこぎ棒で混ぜるはずでした。ところが大阪の女の子が手伝ってくれたのは良かったのですが,ダシを取っていたタレを冷やさずにすり鉢の中のおろした山芋に掛けてしまったのです。せっかくすりおろした山芋は真っ黒に変色して固まってしまいました。こうなってしまっては,もう取り返しがつきません。ごちそうしてあげたかったのですが,残念な結果に終わりました。貴重な食材の料理は未経験の人に任せてはいけないと言う教訓でした。田舎の山では山芋を掘る人など、今はいるのでしょうか?
収穫の楽しみ。
子供が小さいころ,まだ自家用車も無く,バスで真狩村の「じゃがいも堀り」ツアーに出かけました。いくらでも掘り起こせたのですが,大きなビニール袋に吹いた袋をやっと持ち帰るのに大変でした。久しぶりのジャガイモ掘りでしたが,あの時の感動はきっと子供も感じたと思います。最近では長沼の農家で,孫たち4人を連れて大根を抜きに行きましたが楽しそうでした。本州に送るジャガイモ30kgを農家へ直接買いに行った時に,枝豆採りもしましたが,収穫は楽しいですね。農業もいいな,と思う瞬間です。
ジャガイモが縁。
田舎では大根やナスは生で食べる人もいましたが,イモを生で食べることはありませんでした。サツマイモの味に似た栗はポケットに入れて小学校に登校していてお腹が空くと皮を剥いて,爪で渋を剥いて,皆んなが生のまま食べていました。栗に似たサツマイモも生で食べれば同じように食べられるのではないかと思います。我が家に迷い込んだ雌の野良猫が貯蔵してあったジャガイモを生でかじっていたのを見て,父がご飯に,好物らしきジャガイモの味噌汁をかけて(猫まんま)あげました。山の中で,右手を虎挟みの罠に挟まれらちぎられていました。その後は我が家に居つくようになり,何度も子供を産みました。子供が生まれる度に僕に教えに来るほど猫には信頼されていました。片手が無くても犬に飛びかかるほど気の強い野性的な猫でしたが,すっかり我が家の一員となりました。これもジャガイモがきっかけでした。僕も兄弟か家族のように猫と共に暮らしているうちに,ジャガイモ入り味噌汁が好きになっていました。そして猫と同じ「猫まんま」をしては親に叱られたものです。
食料常識論。
野生動物は木の芽や木の皮や木の根を食べます。人間も野生時代には,動物たちと同じ食生活をしていたのでしょう。むしろ動物たちに学んでいたかも知れませんね。そんな野性的な暮らしの中で野生のジャガイモの元祖など根のモノを探し当て主食していたのでしょう。私たちもサバイバルを実践しなければならない状況下に置かれた時には,野生動物の生き方から学ばなければいけないでしょうね。大抵の人々は,今が平和で,そんな極論は必要無いと考えているのでしょうが,歴史は繰り返して今日があるわけです。スーパー・マーケットやコンビニが食糧庫と考えるのは果たして常識でしょうか?
seto
その町の安全性は、豊かな農村を身近に持っているかです。ヨーロッパはすべて農業国です。ドイツでさえも。
アメリカは膨大な税金を農業に投入しています。農家はさらにロビー活動(昔の農協と自民党の関係)で
日本へ農産物を買わせる政治をして、安全でもない食糧や飼料を買わせようと、日本の商社と結託してます。
それが、スーパーに並んでいるバナナやコストコ商品や、オレンジジュースですかね。農業=政治が現代です。
世界のモデル地区「北海道」。
日本の農業をアジアやアフリカの貧困国に教えてあげるなどと聞いたことはありますが,実際にはどうなんでしょうか?。ジャガイモもルーツをたどればアンデスやアフリカやアジアから教わったはずです。今度は日本で品種改良や寒地に強い品種などを世界に教えてあげるべきではないでしょうか。実現すれば,北海道はそんなモデルになりそうです。人間も動物もお腹を空かせれば気が立って争い事も起きます。まず食料問題を解決しなければ,貧富格差は解消しませんね。