山崎豊子の名著「白い巨塔」から。国立浪速大学付属病院で繰り広げられる、東教授定年を来年に控えた医学部教授選挙。同じ助教授の里見助教授へ向って財前五郎が吐いたことばがこれである。


しかし里見は「教授などというものは、なろうと意識してなるものじゃないよ、自分の研究を積み重ねて行くうちに、いつのまにか、それが認められ教授に選出されるというものだ」(新潮文庫 1巻169P)。

 

1963年から始まった「白い巨塔」の話を友人としていたら、いまも変わらない政治力と金と名誉、嫉妬の巣屈のアカデミ-について語る羽目になってしまった。最近の医学部教授選挙でも、ふたりの助教授(准教授)が同じ高校出身で先輩後輩の間柄が、後輩が教授になってしまい、先輩はうつ症状を呈して医局を去って、市内の病院の院長に就任したとか、あそこの病院の院長はS医大の教授選挙に負けて、あの山の下に病院を作ったのだとも聞いた。

 

筆者なら、どちらにしてもいい暮らしぶりが保証されて何も言うことはないとは思うが、「教授」という席にある威厳や権力と金に血迷う人たちは、民間以上にヒドイと聞く。製薬メーカーにある「講演会の謝礼金リスト」でも教授になればワンランクアップである。筆者が「糖尿病の現在と最新治療」という講演会を実施したとき、東京から呼んだ私立大学医学部の教授と地元の総合病院の医師のギャラの差が2倍であった。製薬メーカーは直接お金を手渡ししたくないので、筆者の会社経由で医師へ私が支払ったので金額は鮮明に覚えている。


庶民のいく開業医を下に見る癖のついた大学病院の医師たちも多い。最後に残る人間の欲は「名誉欲」とはよく言ったものである。「医学部教授」と町の医師とは、その後の人生で雲泥の差を生じるから、教授選挙の票を取るために選挙権のある人たちへの取り込みは「卑怯や」「金爆弾」「スキャンダル流し」もすさまじい。教授の権力は「大学の医学部内ではたとえ、教授の診断が間違っていても、それに批判を加えたり、訂正することは禁句(タブー)にされてるじゃないか、たまたま、教授より助教授の方が優れていることが、おおやけに知られることすら、ここではいけないんだ」(財前五郎)。


政治の世界でも「総理がこうだと決めたことを、省庁の役人レベルの人間がつべこべ言わずに、反対せずに実行しなさい。たとえ法律上、間違っていても私の言うこと、決めたことが絶対なのだ」という。私,無謬神話捏造である。田宮二郎の映画や唐沢寿行主演のテレビドラマで「白い巨塔」は見たが、文章の細部について気になって読み始めた。全5巻でまだ2巻目半ばである。野心の低い里見助教授に開業医のお兄さんがいて、京都の大学医学部で教授と衝突。開業医になる。そのお兄さんが患者から「先生、どうせ保険やから、治療費の心配もないし,注射もほかの薬ももらった方が僕は安心ですねん」に対してお兄さんは「保険であろうとなかろうと、不必要な薬は要らんから要らんといっのているんだ。それで不足なら、ほかの医院へ行きなさい。・・・要らん治療までまでして貰う、また保険なら風邪引きでも胃腸の薬まで調剤して点数を上げようとという患者と医者があるなら、ほんとうに保険診療を必要とするほかの患者にとって、実に気の毒なことだ」(同120P)融通は利かない実直な里見助教授のお兄さんらしい、現在の町医者たちに聞かせたい科白である。


細部を読むと退官する東教授には長男がいて、医師になりたくない彼は親父の説得に負けて新潟の医学部へ行くのだが、22歳で病死ている。ひとりひとりの人物の骨格が出てくる。山崎豊子の細部の積み重ね(調査と勉強)は凄い。小説のストーリは知っていても結論細部に手抜きをしないから発見が次々とある小説である。人生はプロセスしか生きられない。それが医師の世界だろうと、経済界で成功しようと失敗しようと、学問の世界であろうともだ。身近にも「医学部の教授選」で負けた准教授がいたが、大学付属の看護士の養成で教授になり、ある日、病院の医局で教授になっていた。おめでとうございます。新潮文庫で全5巻なので、また興味深い細部を発見することができたら紹介します。製薬メーカーや医療機器メーカーとの癒着や、政界の派閥以上に異様な派閥抗争がわかりやすい表現で出てきたらまたブログに書く日があるでしょう。

  1. ドラマや小説はドロドロの世界が面白い。

    どこの世界にも表と裏,光と影があるわけですね。本音と建て前,ストレートに物を言わない日本の文化の美学は腹の底を探らないと本心が読めないわけで,医学の世界だけでなく,政治も,軍隊も,会社組織も,裏まで知って上り詰めるには相当の野心が必要でしょうね。他人を蹴落としても,踏み台にしても,どう思われようとも,目的に向かう訳ですから,先輩だ後輩だなんて上辺だけでしょうね。腹の奥底ではいつも下剋上を企んでいたりしますね。優しすぎる人には無理な世界ですよね。女性があこがれる男性は「優しくて,面白くて,背が高くて,イケメンで,お金持ち」?でしょうが,若くしてそこまでの人間になるには,親の七光りか,下剋上しか無いですね。世間一般に言う「やり手」と言われる人ですね。どの世界もライバルへの足の引っ張り合いで「スキャンダル」が格好の道具になっていますね。お金が絡むスキャンダルと異性問題のスキャンダルが,時には人生を左右しますからね。小説のモチーフには最高ですね。聖人君子で研究に一生をささげたノーベル賞受賞の科学者などは例外でしょうけど。またこんな人は小説にもドラマにもはなりませんね。面白くないと言えばそれまでですが?あるとすれば伝記ですね。

    • 第三者は見ていて面白いですが、当事者は大変。有名税がスキャンダルだと思えば、凋落のタレントの所属事務所は
      意図的にスキャンダルを自作自演までしますから。たくさん獲得する=たくさん失うという法則、人生の法則があり
      ますから(筆者の思いつき)、バランスよく生きるのは大事業です。そこに必要なのはたぶん教養だったり、親の躾
      だったり、読書だったり、大きな事件との遭遇であったり、そこから学ぶ心構えみたいなものですかね。

  2. 銃より危険なペン。

    世間一般に表に出ない「裏話」ほど興味深いものはありませんね。「ねぇ!ここだけの話だけどね。誰にも絶対に言わないでね」などは翌日には周囲すべての人が知ることになるわけですね。小説はこんな部分を題材にしているものが多いですね。言いたくない,隠しておきたい部分をさらけ出すことの意外性が反響を呼んでベストセラーにもなるのでしょう。真実を暴露したとすれば,小説のモデルになった人たちは犠牲にもなるわけですね。恥の部分も陽にさらされるわけですからね。未体験の作者がいかにも知ったかぶりをしても,その世界に入り込む機会を作らない限り,創作できませんね。仮称とは言え,モデルは実在する事が多いですからね。ヤクザの組に寝泊まりして書いた小説家も居れば,自分で体験談を白日にさらす小説家もいますね。物書きとは,ジャンルによっては危険な仕事ですね。「銃をペンに」などときれいごとを言っても命を狙われたジャーナリストも沢山いますからね。「口は災いの元」とも言うように,過激な内容ほど,敏感に反応する読者たちも存在しますから,文章書きも相当の勇気と覚悟が必要なわけですね。

    • 下手なぺんは命を狙われるのは本当ですね。実際、コーラン批判の『悪魔の書』を翻訳した千葉大学の先生は殺され
      ましたから。池田大作批判、公明党批判を書いた人も以降、干されたりしたり、除名処分を受けた元委員長(特に
      矢野さんはかわいそうです)は、メモまで盗まれるわけです。狂信は何でもしてしまいます。超法規的行動・判断です
      から止めようがありません。森友や加計学園も超法規判断の連続で、文科省の若手官僚は『首相官邸に怒りの花束』を
      突きつける日が来ると思いますよ。人事も武器になります。というか人事しか武器にならない世界は酷薄なものです。

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