彩雲(6月2日撮影)

彩雲(6月2日偶然撮影・南西の空)12時45分

雲

私の住む小さな街にもリサイクルショップがたくさんある。閉店していないところを見ると経営が成り立ってるのだなあ思うが、見ていると売りに来る人の数も多い。少しでも暮らしの足しにしようとお金をつくりに来る。自宅の中も整理して広くなるし一石二鳥だ。いまは本屋もCDやファッションも扱い、電化製品・家具・オーディオと幅広い。

「私は、他人が使ったものは全然受け付けない」という人がいる一方で、「安くていいものなら構わない」という人のすそ野が広がってるがゆえの興隆だろうと思う。スマホや携帯もipadも豊富だ。新車も一日乗れば中古。試乗車を新古車という。「新しい」と「古い」をくっつけた日本語。中古車を丁寧に乗れば再度、中古車市場へ出すこともできる。まるでブックオフ。

私は61歳で一回目の定年、63歳で2回目の定年をした。隣近所の同世代は、ガレージ族が多い。ガレージに籠って大工仕事や釣り道具の整理、ニスを塗ったり、奥さんとは別時間を過ごしている。しかし、こういう時間を持てる人は恵まれている。住めるガレージ(約3坪)を持っているだけで贅沢だと言われる。

先日の川崎の簡易宿舎の火事でたくさんの生活困窮者が焼け出された。死亡しても、親族なく身元不明で処理される。やるせない社会環境だ。ネットの株取引で20代で毎日、億万長者が出ている一方で、同世代がネットカフェ(2坪未満)で暮らしている女子も多い。これまで、私が長年携わっていた業界が、できるだけ消費を促す行為を促進する広告の世界であっただけに、気持ちは複雑だ。

忘れかけていた息が苦しくなるパニック症状が、ネットカフェの住人が仮眠に入るシーンをみて私の中に出てきた。カプセルホテルで昔、出た症状でもある。柔らかい布団で眠らせることができないのか、もう少し天井の高いせめて10坪はある部屋で。100人宿泊できるカフェは大体満員。長期の滞在で1日2千円を切る。切なくなった一日だ。貧と富と超えられない断層がこの国を割ってしまってる。シングルマザーの増加もそうだし、子供の教育も貧と豊が同じ教室空間で見えない傷つけ合いをしてるかもしれない。

格差が教育も分断している。ネットカフェから若者たちが出て暮らせていける、自分の子供やその孫たちが、広い空間で生きられるような環境を提供しなければと思った。

 

 

  1. 若いときは夢を持って大海に飛び込んで自分を試す。と、思っているのは自分だけ。気づかないうちに実際には試されていたりする。誰にでも人生には三度のチャンスがある。などと聞いた事がある。それがどこかは個人差があるのだろうが、そのチャンスのときは誰も教えてはくれないし気づかない事だってあるだろう。振り返れば、すべては人との出会いかと思ったりもする。それほど親しくも無く、影響力も感じていなかった人が、そのときの自分にとってキーマンだったりもする。大きな夢も小さな夢も実現すれば自分にとってどれだけの価値を感じるかで幸せ度も違うと思う。農村地帯には仕事はあっても人が足りない。若い働き手が都会に流失してそのまま暮らしてしまうからだ。或る日、友人家族と二台のクルマで浜益の果樹園にさくらんぼ狩りに出かけた。何と、広大な果樹園に老夫婦二人しか居ない。最盛期には近所の人にお手伝いをお願いしたりもするようだが、僕達はさくらんぼ狩りを忘れて果樹園の収穫の手伝いをしていた。『助かるよ~。息子達は札幌だから」と、お土産に貰ったさくらんぼを持ち帰った。秋になるとリンゴ狩りに行った余市の友人の家ではお父さんが亡くなって果樹園を手放した。彼も毎日JRで札幌に通勤している。農村も漁村も人手が少ないが、都会には人が溢れている。都会暮らしに慣れると田舎暮らしは出来ない。子供達はカブトムシは好きだが他の虫は大嫌い。シャワートイレときれいなお風呂とコンビニや大型ショッピングモールが無ければ暮らせない。都会で育ち、田舎に憧れる人も居るが、長続きはしないだろう。一見素晴らしい環境の中にも暮らし方に格差がありすぎるからだ。だから都会に暮らせばもう戻らない。都会には仕事量のキャパ以上に人が集まり、その人を相手にビジネスする人たちが集まる。飽和状態の中で社会の歪が生まれ流浪の若者たちや失業者が増えている。まじめに働く農村や漁村から見れば都会は虚業の人達の集団にしか見えないのだろう。田舎暮らしをもっと快適にすれば都会の人達は回帰するのだろうか。

    • 田舎から見たら、都会は虚業の集団でしょうね。田舎からきた叔父さんが札幌駅に降り立ったら「人がうようよいるね」。うようよ
      なんだ。世界中の都市がそうなっている。食べれないと、難民化する。いずれ飢えが先進国でも襲ったときに農村回帰がはっきりと
      起きる気がする。それまでは無理。郊外暮らしの私も2週間いると、人混みが恋しくなるのですから。

  2. 農・漁・山村回帰の前に、先ず食物の作り方を学ばなければならないかも知れない。マンションのバルコニーのプランタンでも、戸建ての庭先でもいいから作物を植え家畜を飼う。豚や牛はきついかも知れないが鶏くらいならいけるかも知れない。皆が自給自足のような感覚で暮らせば、もう田舎暮らしも平気になるに違いない。TPPで輸入に頼るのも一つの方法だが、自分たちで出来ることもあると思う。海や川に行って魚釣りや貝を拾う。漁業権を犯さない程度に。山に行って山菜を少しいただく。熊の領域を荒らさない程度に。キューバのカストロは独裁者でも彼は各家庭の玄関先に作物を植えさせ国内自給率を高めて国民を危機から救った。独裁者だから徹底して出来た凄技だ。作ったり、捕ったり、採ったりする苦労を知れば食物に感謝もし、自然の恵みを感じ、大半の生ゴミも減るだろうし、回帰のきっかけの第一歩になるかも知れない。額に汗せず『ふるさと創生』のお題目だけぶち上げて予算を割り振っても何ら変わらないだろう。カストロのような具体性が求められているのではないだろうか。

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