そこに行かないと買えない、会えない。
何でも通販で買える世の中。しかし、そこまで行かないと買えないもの、会えない人もいる。結婚してアメリカ・アイダホ州に住み、仕事を自宅でしているIT関係者が、2017年正月に我が家を訪ねてきた。小学生のころから娘同然に可愛がってきた35歳だ。『テレビ電話で仕事はできるけど、やはり、相手の顔を見ながら仕事をしたい』と言っていた。
大分豊後(ぶんご)高田市に「昭和の街」があってそこでしか売られていないおばあちゃんの漬物だ。中津に住む娘が我が家へ帰宅する折り、必ず買いにいく商品で、多めに買って近所へもおすそ分けをして喜ばれている。通販で買えないというところが味噌だ(商品も麦味噌漬け)。通販で買えないものはないくらい溢れている。新聞もテレビもチラシでも。パソコンを開けると、商品のオンパレードだ。
しかし、そういう世の中であっても、そこに行かないと買えない(食べれない・会えない)ものがある。それは必然的に移動を促すものだ。買うために、食べるために、会うために。注文したら、宅配業者が届けてくれるというものではない。自分がそこへ行かないとダメなのだ。必死になって。エネルギーが要る、それを獲得するために商品価値(値段)以上の、犠牲(ガソリン代・交通費)を払いながら行かないといけない。
ネット時代に逆行するけれども(猫も杓子も通販で運転手不足を来している運輸業界)、車もなく歩いていけないご老人ならともかく。北海道なら、わざわざ、オーストラリアからニセコのさらさら雪を求めてスキーやボードを担いでやってくる。ニセコ生まれの私の父は草葉の陰で苦笑しているだろう。歩くスキーで小学校へ通い、冬は大嫌いだった。その同じ雪が、今度は商品に変わってしまったのだ。ハワイの波に乗りたい、陽光を浴びたい、空気を吸いたいために飛行機に乗っていく人もある。「ハワイは最高だよ」。
男女の交際もそうで(あたりまえ)、会うために約束の場所へお互い移動しなければいけない。たぶん、豊後高田の漬物も、昔からおばあちゃんが、彼女のお母さんから、そのまたおばあちゃんから伝わった漬物かもしれない。すべてに共通するのは、我々の五感が、直接そのものに触れて、喜びを享受するということだ。しかも、会いにいくためにそのプロセスでドキドキ感が高揚するかもしれない。イマジネーションも働く。
お盆やお正月に,帰省する最大のメリットは、生の声を聞くために、肌の接触を求めた大移動なのだ。親以上に同級生やたくさんの友人たちとも。言葉の直接性や、買ったお土産の手渡し。そのときの相手の笑顔を思い浮かべて買う。そこまで行かないと会えない数々の人がいる。兄弟もいる。本音が飛びかう貴重な時間と空間。久しぶりに会った大学の同級生と居酒屋で飲みながら、そんなことを考えていた。彼に会うために行った街中で、途中、たくさんの知り合いとも会え、お喋りもできた。歩けばハプニングが待っている。ハプニングの連続だ。「お前、やせたな」「顔色が悪いぞ」「何か心配事でもあるのか」「えっ、あいつが会社を辞めたって?」。時間が生きている、躍動している。引きこもってる暇はないのだ。自分の五感を生かすために。
懐かしい対面販売。
スーパーなど,対面販売が無くなって久しく,市場などに行くと懐かしいですね。店員とのやり取りも楽しいですね。「お兄さん!メロンはどうだい?美味しいよ!」と市場のおばちゃん。見ればはるかに私より若い。そのままやり過ごすのもどうかと?私も「おばちゃん!残念だったね~!今さっき買ったばかりさ!」と。こんな軽いジョークや,値切るテクニックも面白い。「社長!このスイカ甘いよ!1000円に負けておくから~」と。「二玉買うから1800円にしてよ!スーパーで一玉900円で売っていたよ!」、「参ったな~!よっしゃ!大負けで売った!」と。こんな会話があちこちで交わされ活気がみなぎる市場は懐かしい。
seto
知らない人と楽しく会話する能力、知らない人へ気軽に声をかける人、知らない人から声をかけられて適切に応答する力、
どこでどういうしつけや教育が行われているのか、相当劣化しています。地域が崩れて、隣近所付き合いが、信頼関係が薄く
なってるのでしょう。お店をやっていても、会話がなくなれば仕事はつまらなくなりますね。私は近所の米屋の大将と同じ年で糖尿
の共通点があるから、『どうです?血糖値?』『治りましたよ』米5キロ買いに行っても10分はおしゃべりしてきます。母が
近所の市場から世間話で帰ってこなかったことを思い出しました。すべてアドリブの世界です。
怖い!通販。
そこでしか味わえないものなども通販で流通する時代ですね。しかし,送られてきたのを見ると,貧弱な封筒に少量の食品が入っていたりと,ガッカリすることもしばしば。ネットの写真だけが頼りの通販ですが,実物を見るまでは安心できませんね。
懐かしい故郷の味。
お盆が近づくと,田舎の名物蕎麦が食べたくなります。かつては国鉄の操車場まであった山間の小さな鉄道の町は,北陸トンネル開通後からすっかり寂れてしまいました。ここでしか味わえない駅の立喰い蕎麦も,あんころや,鯛寿司なども,今では影も形も残っていません。今は,ドライブインなどで出されている田舎の名物蕎麦が僅かに残されているくらいですね。あの味は地元でしか味わえません。蕎麦の味もさることながら,今年は何年ぶりかで,両親の墓参りにでも行って,墓守りの居ない我が家の墓周りの草刈りでもして来ようかと思い始めています。
seto
ふるさとが残っていてうらやましい限りです。根無し草ですかね。お墓もなくて納骨堂にありますが、住職にケンカ売ってる
ので(寄付金ばかり要求してくる)行きません。故郷の話をすると、シベリア抑留者が『日本海を超えると国へ帰れる』と
痛切な思いで死んでいった人を考えたりします。『私のシベリア』(立花隆)やシベリアから帰国したロシア文学者内村剛介
さんや画家の『香月泰男』さん、山崎豊子の小説にもありました。7月が過ぎて8月が近づくと戦争のドキュメントが記憶の
中で蘇ります。
嬉しいお土産。
石屋製菓の白い恋人やジャガポックルは北海道でしか買えないとあって千歳空港の売店では大モテでしたね。安いお菓子でしたが,北海道でしか買えないから付加価値がついたのでしょう。幼いころ母がよく東京に行って戻ってくると,東京のお土産が楽しみでした。歌舞伎座のものや国技館の軍配のレプリカも,金太郎飴も,巣鴨のトゲ抜き地蔵のお土産や成田山の身代わり札も子供心にうれしかったですね。食べ物では浜名の「しぐれハマグリ」は大好物でした。昔はお茶漬けばっかりしていましたからね。長女の姉が東京から帰ってくるときは,東京の学生の被っている白いカバーのかかった帽子や,おしゃれな白いバスケットシューズや半音階も吹けるクロマチックハーモニカなど田舎には無い珍しいものを銀座あたりで買って持ってきてくれました。田舎には,お決まりの干し柿や梅肉くらいしかお土産に持たせるものはありませんでした。
seto
お土産は、そんなに思い出は筆者はないですね。というか、そんなに本州とは縁がなかったですね。父が日本一周ツアを旗を
持って30日間、旅をしてきて、そのときの若かりし頃の父の写真が土産と言えば土産ですかね。長崎ちゃんぽんが美味かったと絶賛してました。
妻も先日長崎軍艦島へ、やはりちゃんぽんと長崎カステラ本家は美味いと。私もいつか長崎でも参って、西洋医学学びのルーツ
でも探りたく思います。